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【6/7更新】????・????
私の人生の中で、心の底から幸せだと思えた日はどのくらいあるだろうか?
常に、何かに悩まされていたような気がする。
もう、考えたくはない。
いや、もう何も考えなくてもいいのだ。
お金も、仕事も、家族も、空腹も、そして星のことも……。
もう、いいんだ。
その男は何日も食べていないのか体はやせ細り、小さく丸まった状態で、寒空の道端で発見された。
001 幼少期の思い出
「この子をまだ神の下には行かせたくないんです。
どうか、お願いします……」
急に頭痛がしたと思ったら、高熱により起きれなくなり数日が経ち、意識が朦朧としている中、何度も祈る声を聞いたような気がする。
顔や身体には豆粒状に隆起した発疹があり、呼吸が大変困難な状況が続いている。
生まれたときから身体はあまり強くはなかったが、この時は生涯の中でも1,2を争うくらい辛い状態だったと思う。
発熱から3週間がたったあたりから、熱は下がり回復へと向かっていったが、私の目は光を受け取りにくくなった。
これが私が持っている一番古い4歳の時の記憶だった。
そもそも、私が生まれた時代というのは争いが多く、政治情勢と経済状態がかなりひどかった。
そのため、父方の祖父が市長も務めた人物であったにもかかわらず、私が生まれ時には一家の経済状態は傾きつつあった。
なぜこんなにも貧困に苦しんだのかというと、お人好しの父親が友人の保証人になり財産の大半を失ったからだ。
なんとも、情けない話である。
さらに、その後店を経営するも、今までそういったところで働いた経験がない父親にうまくいくわけがなく、すぐにつぶれてしまう。
そのため、私が5歳の時に父親は家族のため兵として戦場へ行ってしまったため離ればなれとなった。
父親と言われても、顔も声も思い出もなかった。
「お父様はネーデルランドで戦死しました」
全ての家族を居間に集め、母親はそう告げて泣き崩れたのは私が17歳の時だった。
私の記憶では、母親と父親は頻繁に喧嘩し、仲はいいようには見えなかったが、やはり夫の死というのは悲しかったのだろうか。
ほかの兄姉も泣いたり、その場に崩れ落ちたり、手を握りしめ何かを噛み締めていたりと色々な思いが交錯していたが、私は父親が亡くなったと言われても特に何も感じなかった。
002 ○○○
父親が亡くなってから数ヵ月後、進学先を決めなければならなかったが、私は迷わず神父になることを決めた。
なぜ迷わなかったのかというと、父親のような生き方はしたくなかったのと、安定したお金が入ってくるような職に就きたかったからだ。
大学に進学し神父になる勉強を始めた私は、ある学問に心を奪われた。
【2024.4.9】
気が向いたときに更新していきます。
完結した時点で、タイトルと書きます。
本当に気が向いた時なので、いつ完結するかは未定です。
【2024.4.11】
思えばしばらく小説を読んでいないので、
これを機会にまた古典文学読もうかな。
あっ、でも種の起源読み終わっていなかったからそれからか。
【2024.4.16】
あれ?暗い話題しか更新できない……
【2024.6.7】
久々の更新過ぎる。
年内に完結するのを目標にしよう。
あっ前半部分も追加しています。
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