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娘の学校怖いから母のカウンセリングへ


前回の続編になります。

先日に続きカウンセリング3回目のこと。

年内のカウンセリングも最後。
母である私のカウンセリングも終わるかな~
と何も解決していないのに呑気なことを考えながらスクールカウンセラーとの面談3回目。

娘は変わらずですが、変わらずなのは私も同様。
年を重ねれば重ねるほど自分を変えるってすごく難しい
と痛感している自分です。

娘は、他のクラスで過ごす(静かなクラス)という選択をしました。
先生が導いてくださった提案でした。
娘の支援級は低学年が集められており1~2年生のクラスです。
娘はその環境が辛いようで、バタバタされることが怖い。
大きな声で叫ぶ子や癇癪を起しす子が怖い。
ということで
高学年の子が集まる静かな支援級クラスで過ごすことで
学校への怖さが少し軽減したようでした。
移動先のクラスの担任の先生が大好きになりました。
しかし、
その担任は小6の次男の支援級クラス…。
次男は一日の多くを通常級で過ごせるようになっており居ないことが多いのですが、それでも断固拒否
次男は難しいお年頃になり妹と学校でかかわりたくないと言います。
外ではとてもまじめで優しい子なのですが、自宅では反動で癇癪がひどいところがあります。

そんなわけで、次男のお隣の高学年支援級で過ごすことで何とか落ち着いております。
色々、うまくいかないです。
娘がYes! になると 次男がNo! みたいな…。

そんな話を報告しながら、カウンセリングでは、母としての正直な気持ちを話しました。
・娘が他のクラスや先生を好んでしまい、本来在籍しているクラスの担任の先生に失礼な感じが否定しているようで申し訳なく思う。
・娘のわがままなのではないかと思ってしまう。
特に
お友達が話しかけても怖い。話したくない。一人がいい。
ということについて、
優しさで話しかけてくれてるのに娘が反応してくれなかったら
お友達はショックなのではないか。
気分を悪くするのではないか。
相手の気持ちを考えないで自分が怖いからと無視するのはどうかと思う。
お友達が受け入れてくれようとしているのに、自ら拒否するのは違う気がしたのです。

カウンセラーさんの答えは
「お母さん。娘さんの気持ちに寄り添ってあげて。グレーでいいんです」

「良い悪いではなく娘さんの気持ちに今は寄り添ってあげましょう」

と言われました。

????????

私には寄り添うことがすごく難しい。
簡単にできることのようなのに出来ない自分が情けなくなります。

そして、ここで前回に続き、また新たに気づかされることに。
「お母さん。今までご両親や対人に嫌だって、Noって言ったことありますか?
きっとずっと我慢して生きてきてはいませんか?」
と。

・・・・・。

考えたこともなかった。振り返ったこともなかった。
でも仰る通りかもしれないと衝撃が走りました。

ただ自分が我慢してると感じてはいなかったのです。
我慢が当たり前になりすぎて、それがおかしいことにも気付かなかったのです。

私は自分が我慢して親や相手に合わせて機嫌をうかがって生きてきたのです。
自分が我慢すれば全て丸くおさまるんだからそれでいい。
何を言われても受け入れ相手が怒らないように機嫌悪くならないように
といつも怯えて生きてきました。
根源は俺様気質な父親によるものです。
私は平手打ち1度だけでしたが、いつも父に逆らってDVされている母をはじめ家族を見て育ちました。

振り返ってみれば、男性とお付き合いをしても、友達と遊んでも相手に合わせるだけで自分がない。
つまらない人間ですよね。
だから「何考えてるかわからない」と家族からも周りからもよく言われます。

唯一、自分の気持ちを押し通したのは元夫に「離婚したい」と話した時。
これが記憶の中では最初で最後です。
しかし結局、離婚できた今も、元夫に言われた言葉に怯え続けて
毎日を過ごしている自分に、このカウンセリングで気付きました。

お母さんは他の誰のものでもない。自由なんだよ。
好きに生きていいんだよと。
相手に自分の気持ちを伝えてもいいんだよ。
嫌なら嫌だって言っていいんだよ。と。

目に入るところ貼ったり、毎日書いたりしてみてくださいね。

私は自由。
私は誰のものでもない。
私の人生は私がつくる。

我慢することが当然と思い自分を押し殺して生きていたことに気付かされたのです。

だから、娘に対して

わがままを許せない。
わがままを言ってはいけない。
相手や周りのことを考えなさい。

と子供に無意識に押し付けていた。

また娘に教えられました。

次は来年になりますね。
と、次回カウンセリングの予約が入りました。

このカウンセリングは娘の学校怖い病がおさまるまで続くのかな。


この子はいったい何者なんだ?とすら思えてきました。
誕生してから12日間、目を開かなかった子なんです。
結局、原因はわからないまま15日目に病院の先生に「大丈夫!」
とお墨付きをいただき今も目は細く古風ですが、ちゃんと開いて見えています。


我慢


これのせいだったのか?と思うことが多々あります。
アトピー性皮膚炎
尋常性白斑
摂食障害
円形脱毛症
胎児化死
他にもダークなことが色々とありました。
とにかく自分が経験してきたことの多くが原因不明だったのです。
ネガティブと思っていたこれらの経験も
今はだいぶフラットにプラスのギフトとして捉えることができていますが、
私は何のために、ネガティブと思われるような人生ばかりだったのか
の答えが分かった気がしました。

もしかすると
当たり前になっていた我慢
我慢しなくていいんだよっていうメッセージだったのかもしれません。
それを気付かせるために何度も何度も起きたことだったのかもしれません。

娘から教えてもらった幾つもの気付きは今年最大のギフトでした。

2学期も間もなく終わります。
娘、息子2人も!よく頑張りました。
そして
私もよく頑張りました。

私の冬休みの宿題は
「娘の気持ちに寄り添う」
です。
がんばります!

長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。


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