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寿司に思いを馳せる 〜寿司は、いつから「sushi」になったのだろうか〜

私の幼少期、寿司は高級品であった。
そんじょそこらの子供が食べられるものではなく大人になって、お金持ちになったら自由に食べられるものだと思っていた。

寿司は、長年(恐らく10年以上)勉強した職人が素材の活かし方、魚の切り方、握り方にその経験を凝縮して一品に仕上げるという、職人魂の籠った料理であり子供が気軽に食べるなんて烏滸がましいとさえ思っていた。

とはいえ、田舎にしては、貧しくはない家庭で育ったので祝い事の時は寿司が出ていた。
桶に入った寿司を、祖母たちが小学生入学などお祝いで食べさせてくれていた。ありがたい。その為、いくらの美味しさなどは知っていた。
ウニは子供だったのであまり好きではなかったが海沿いの屋台で、焼きウニを食べておいしさに気づいてしまい、父が「食べさせなきゃよかった」と嘆いたのを覚えいている。

ちびまる子ちゃんの中に、まる子が祖父の友蔵と寿司を食べに行く回がある。
その中で、まる子が食べたいものを頼む中、友蔵がヒヤヒヤしながら光り物ばかりを食べるという描写があった。
友蔵が光り物ばかりを頼んでいる意味がわからず父に聞いたら「安いからだよ」と言われなるほど、お会計を気にしていたのか、と理解した。

小学生になるころ、回転寿司が登場した。当時は70円〜120円ほどの皿がメインだった。360円が一番高かった気がする。
いわゆる「寿司を適当に作ったもの」が流れているイメージだった。
長年経験を積んだ職人は厨房におらず、機械やアルバイトが作ったから廉価で作れる、格安の寿司。
魚は冷凍で、型に入れられて成型された米、ビニールに詰められたガリ、絞り出されるツナサラダ。

そしてその回転寿司は、値段と手軽さから庶民にも手を出しやすく子どもにも愛される甘いシャリと甘い醤油がスタンダードとなり、何枚か食べるとガチャポンができたりチェーン店だからこそ可能なうどんやラーメンの汁物が登場し、さらにデザートや揚げ物が脇を固め老人が数枚でも好きに食事できたりと、まさに老若男女に愛されるファミレスのような存在になった。

そして同時に、「ヘルシーで肉を食わないスマートな私たち」を体現できるためか
海外セレブに浸透し始め、こぞってセレブたちの真似をするモデルたちが登場し
寿司はいつの間にか「sushi」として欧米に浸透した。
米を炊いてビネガーと混ぜて、生魚をのせたもの。誰が作っても同じ「sushi」。
アメリカのsushi店でsushiを握る人は「sushiシェフ」と呼ばれる。
彼らは寿司職人ではない。
経営者は韓国人や中国人が多く、アルバイトとして日本人が雇われていることが多い。
アメリカの回転寿司は一皿$3。円安の今(2024年5月時点)、一皿約470円前後。アメリカ在住の友人は、日本に帰ってきて回転寿司の安さに驚いていた。アメリカも大体クオリティは同じだが日本の回転寿司はどの店舗も一定で美味しいらしい。この値段なら十分美味しいよ!とのことで欧米諸国から来た観光客が、こぞって回転寿司に行くのも頷ける。

では私たちが食べているものはなんなのだろうか。
私たちは日本に生まれ、日本の食文化で育った。
お祝いだからお寿司を食べよう。
お誕生日だから回転寿司に行こう。

そうして、外国人がマニュアル通りに作った
sushiを食べ、「お祝いの寿司」を思い出にしている。

ああ

寿司が食べたい。

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