ペスタロッチについて②

さて、公職につく道を立たれたペスタロッチは、重農主義思想である。もちろんルソーの自然を賛美した思想の直接的影響も大きかった。
ペスタロッチは1767年にアンナという裕福な家庭の子女と婚約した。その後、農業実践を経験したのちに農業経営に乗り出した。しかし、共同経営者が手を引いたことやそもそも土地が農作に適さなかっこと、そして何よりペスタロッチ自身が経営についてあまり詳しくなかったなど様々な要因が挙げられている。しかし、立派な家を建てていたので、当時の貧民の子供たちの実質的な救済に取り掛かろうとしたのである。
(今日の読後感)
 ペスタロッチは、時代の課題に自分の生き方をかけ果敢に挑戦し、失敗もしている。しかし、その気概は決して消滅せず、新たな方向性に歩み出している。途中の詳しい経緯などは書かれていないが、困難に屈せず常に自らの使命に突き動かされるような生き方をしている。そう、将来への不安よりも今はこれが大事だということをはっきりと自分の中にあったのだと思う。20代。さもありなんである。自分はどうだったろうかとか振り返ると、やはり人生の方向を決めて進んでいたように思う。その点は、誰であろうと多少なりとも思い当たることがあるのではないだろうか。
(今日のところはここまで)

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