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Twitterでたまたま流れてきた現代アートからのリハビリテーション‘23にテーマに惹かれて行ったら、めちゃくちゃ楽しかった件

ラノベ?






はい、お久しぶりです。
吾輩は大学生である、まだ内定は決まっていない。



突然ですが、皆さん、個展って言ったことがありますか?

もちろん、僕にはありませんでした。(Ted風)

んで、Twitter漁ってたら、たまたまウィーンの話が流れてきて、文化に対する危機感を常日頃から抱いていた私はリンクをタッチせずにはいられなかった。
正直な話、ここまでの行動力は俺には無いなという感想で終わってしまった。すげぇよ。あと、文化支援をどげんかせんといかんって感想。

で、色々と文章の面白い人だなァ..........っと想って、チョイト遡って、ドンナに素敵なツイートをしてるのカナ..........と思って見ていた。アッと驚いてしまった。
これが、現代アートからのリハビリテーション‘23との出会いだった。
まず惹かれたのがテーマである。
現実の問題を引き受けながら、それに対しての先鋭の批判を喉元に突きつけて、掻っ切ろうとする、その瞬間の写真のフィルム!これが広まれば、全く、この世の仕組みが大きく変わってしまうぞ!芸術の役割とは世界を変えてしまうことだ!
悪魔を従えたような心地で、知的快楽に溺れてしまっていた。

世界中探せば色々なところで開催されていたのかもしれない。
でも、この時に僕の手元に、こんなに素晴らしいコンセプトの個展が開かれるなんて、なんて喜ばしいことだと感じた。運命的な瞬間と言えばそれまでだが、私はこの瞬間を大切にしたいのだ。

ということで始まりました、弾丸根津旅行。
自宅からはさほどの距離は無いにせよ、色々厄介で、まず降りない。駅で、わざわざ根津に降りることがない。
一人下町散歩が始まった。
S字通りを抜けて、垂れ下がった枝が優しい木漏れ日を作り出すカーテンのかかった坂をのぼり。
森鴎外記念館に到着。

が、正直、森鴎外読まなさすぎて、実力不足を実感した。ごめん、りんたろう。

合気道師範っぽい構えしてる


そして、ラーメン!
ある民俗学者も言ってた。その町の地場の物を食べなさい。

冷やしまぜそば

味は美味しいんだけど、冷たい食べ物食べると内側からエネルギーが吸われる気がして、なんだかね。僕は暖かい食べ物が好きなんじゃい!!!
だから、コンビニで買ったものとかほとんど温めちゃうタイプ。アツアツがいちばん美味いに決まってるじゃないか。



そして、教会。

花びら落ちてるの演出?

暑かったから涼みながら。敬虔なクリスチャンではないが、人びとが拝む場所というのは厳かな気持ちになれる。黙想に近い時間が過ごせるから好きだ。

そして、暑い中、とうとう、たどり着いたんだな。


やってきたぜ!現代アートからのリハビリテーション‘23!!!!!!今年もやってきた!!!!

ユニバじゃねぇよ。


正直、緊張した。なんだかわかんないけど、多分、子供が2階に続く階段にドキドキする心理と同じだ。
階段をあがっていくと、色んな作品があった。

私は語れないから、とりあえず、正直に思ったことを語る。芸術なんて好きなら良いが一番だ。


現代アートからのリハビリテーション‘23、をテーマに惹かれて見に行ってきた。私は芸術に対しての学がある訳でもない。だから、大層なレビューは書けない。所詮、有名どころの美術館を大学生料金で見に行っているだけで、喜んでいるような輩である。まさに、私はその空間で分不相応とでも言うべきか。

芸術とはなんであろうか。
私は、芸術とは、人間であると考える。ラスコーから始まって、今、この瞬間に生きている時空をあるがまま切り取った一種のメディア。たった今、トイレで夜に食った二郎で腹を壊している、くだらない時間もあるがまま描いてしまえば芸術になりうると考えるのが私の芸術論だ。

しかし、人間は芸術を読み解く時に、一種の価値か判断してしまう。物語的な人生の価値や資本的価値、これを無自覚に行うことがライフプランにおける良薬である。まさに最高の。
だが、芸術は読み解く必要なんてあるのだろうか。その一瞬一瞬のトキメキが、まさに芸術の真髄とも言えるのではないか。

芸術は判別に苦しいものである。だからこそ、なんーか、こう?あの美術館の横のアレ、説明?ってさ、主観的なんじゃねぇーの???特に近代オメーだ。
人物的価値や影響力から判断されるのは充分分かる。それが歴史的価値に繋がるからだ。ただし、時間の積み重ねであって、芸術の真の価値とは言えない

要するに、歴史的価値なんぞは、そこら辺にある化石と変わらないと思ってしまう。芸術の価値とは、まさにその一瞬のキラメキ、ビッグクランチだ。読み解く必要なんて無い。

要するに、人生という広大な空間で凝縮爆発した瞬間がまさに芸術であり、生きることだと考える。
それを作品に書き起こして、それが好きか否かだけ。

私は、すごい好きだった。

技術がすごいとかは、知らん。
キュビスムだって、技術があるのかもしれないが、私が好きなのは、あの幾何学的境地に至るまでの思想だ。私は近代アートが好きな理由が、思想の裏付けがあるからだ。技術だって、思想をより良く表現するための道具に過ぎない。思想が仏であり、木は過去、技術が彫刻刀だ。

その思想が好きだから、どんな作品だって楽しめる。
勿論、他のエンタメ作品にだって、単純な形ではないにしろ、思想はあるはずだ。

今回の展示は、その思想がよく伝わる作品群だった気がする。そらこそが、アートの本質とも考えてしまうほどに。

私がコンプレックスや偏見で毛嫌いしてしまうような作品にだって、壮大な人生を懸けた思想があれば、私の壁を突き抜けて、過去の自分を殺せる5セントの弾丸になるはずだ。

新たな知見を得ると共に、考えさせられた。

私はそれぞれの作品に感想なんて書かない。
人それぞれ感じるものに答えなんて作りたくないし、書くことによって自分の中でその答えが固着してしまうからだ。
とにかく、全て良かった。

400円からエッセイを買うことが出来る。
これを読みながら作品を読むことでやっと完成する。

400円からな訳で、400円以上あげてもいい。
というか、あげやがれください!本当に、安いから無料だからじゃねぇんだわ!!!!

でも、思うのは、良いと思ったら、その分の対価を支払う。サブスクが溢れて、なんでも摘めるような時代だからこそ、正当に支払うシステムが重要なんだ。
本当にサブスクは滅ぶべき文化だと思う。
とは言え私もそれを享受するしかない、しがないにんげんの独りだ。

コスパじゃないよ、本当にその作品と人と向き合わないと、人生幸福なんて、0と1のまま終わっちゃうんだよ。


どうか、芸術をやろうとするこれからの人々に幸があらんことを。

そして、芸術でしか生きていけない子羊に、良い羊飼いが現れんことを。

願っています。
本当に貴重な経験を、ありがとうございました。


あと、楽しくて、色々と質問してしまって、お忙しい中すみませんでした。
本当に様々な知見を教えて頂いて、僕にとって本当に一生物の学びです。
私自身、人生の岐路に立っている時なので、とても勇気づけられました。
人生の有り様って、それぞれあるけど、でも、いづれこんな素晴らしい作品だって生み出せるんだぞっていう、純粋な、美しい、ものを見ました。
またの機会があれば、行かせて頂きます。


稚拙な文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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