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ライフストーリー#5 20〜25歳

へろう。
ライフストーリーも最終号である。書き始めてみればあっという間で、自分の人生がまだまだこんな年月しか経っていない事を実感する。
今回は大学四年間と社会人になった僕について書こうと思う。
アイセックに入り、コーチングを知り、今の会社に入った…。この6年間はどこよりも濃い時間だった。自分が一番変わることが出来た時期だと思う

これまでのライフストーリーを読みたい方は以下のリンクから読むことが出来る。

それでは、始めよう。

ライフストーリー#5 アイセックとの出会い。

浪人生の時、僕はある出来事をきっかけにシリアに興味を持った。
正確には現在も続いているシリアの内戦の悲惨さを知り、とても驚愕していた。
そして、予備校内の廊下でこんなポスターを見つけた。今でも忘れない。

「発展途上国に生きる若者たち」

僕はそのタイトルにとても惹かれた。自分の問題意識に応えてくれるような形でこのポスターがあるでのはないか、と思うくらいタイミングが良かった。アイセックという学生団体による、海外インターンシップに参加した大学生の報告だそうだ。場所は横浜。新宿の予備校からは少し遠いが、これは行った方がいいだろう。そう直感的に思って、僕はイベントに参加することにした。

そこのイベントで僕は身を撃ち抜かれるような思いをした。と言うのも、僕と年が変わらない人たちが社会のために奮闘し、そして今後のキャリアをこうしたい!とイキイキと話している姿に感銘を受けたのだ。
僕はこういう人たちと一緒に学生生活を送りたいと思った。

大学に入学し、僕は真っ先にアイセックへ入会した。

アイセックの人たち

アイセックでの事はあまりに色々あるので、ここでは書き切れる自信がないから、書かない。その気になれば、アイセックの話だけで4本の記事が出来上がりそうだ。そのくらい僕にとってアイセックの思い出は多いし、重い。そして何より、大切だ。
なので、アイセックで出会った人たちに絞って話を書く。

アイセックの人たちはとにかく本気だった。そして、楽しんでいた。自己肯定感が低く、特にエネルギーを向ける先を見出していなかった僕にとって、それはとても眩しく映った。社会貢献意欲が強く、社会を良くするにはどうすればいいのか、自分たちには何が出来るのか本気で考えてる人たちばかりだった。僕もこの環境の中で自分はどう社会に貢献するか良く考えた。

また、他者に対して寛容な人ばかりなので、僕も次第に自己開示が出来るようになっていった。皆、何かを抱えている。それを見せないように上手く振舞っている。初めて自分の根っこの部分で繋がり合う感覚を持てた

僕にとってアイセックは居場所だった。大学を卒業した今でも、自分から会いたくなる友人はやはりアイセックの人が多い。皆前向きで、未来への目標もある。ネガティブな感情もポジティブな感情も受け止め合い、僕のダメなところも良く知ってる上で一緒にいてくれるのだ。
彼ら彼女らがいなかったら、僕の大学生活は成り立っていないし、本当につまらないものになっていたと思う。感謝し切れない。

こういう環境のおかげか、僕は色々なことに挑戦できたし、失敗も経験できた。普通に学生生活を送っていたら学べないような事も学ばせてもらった。恐らく、アイセックに入っていなかったら今の会社を知る事もなかった。

コーチングとの出会い① 話の潰し合い・ヒトへの焦点

物心ついた頃、僕はある事に気が付いた。

それは、人は自分の話を聞いてもらいたい生き物である。と言う事だ。

人は誰しもが承認欲求を持っている。なぜなら、私たちは承認なしに自分の存在や価値を確認できないからだ。
テストでいくら良い点数を取ろうが、仕事で良い結果を出そうが、それを認めてくれる人がいなければ誰も知らないままだ。
人からの評価に興味がないとしても、今の自分が理想とどれくらいの距離なのか、あるいは満足できるのか、を測るためには自己承認をしなければならない。

まぁそんな話はどうでもいいのだが、とにかく僕は身の回りで起こる「話の潰し合い」に違和感があった。
話の潰し合いとは、お互いの関心が「ヒト」ではなく「コト」に向いている状態の事だ。例えば以下のような会話である。

「この前あの映画観に行ってさー」
『あぁあれね、面白いよね!ラストが最高でさー』
「いや、そんなことより俳優でしょ。」
『俳優なんかよりラストでしょー。あれは脚本が良かったよねー』

こんな会話を耳にして、僕はどうしてこの人たちは相手の話を聞けないんだろうと素直に疑問に思った。
そして、どうしてこのような「コト」に焦点を当てるばかりの会話が多いのだろうと不思議に思った。
僕自身、小学生の時にテストの話を家族にすると、

「何点だった?」「なんでそんな点数低いの?」「へぇ良い点だね、すごいじゃん!」「もっと頑張りなよ」「他の子は何点なの?」

こんなことばかり聞かれて、かなりうんざりした記憶がある。
僕はもっと、僕の内面を聞いて欲しかった。何を思って、感じてたのか。中身のある人間として見て欲しかった。
しかし当時はただ違和感を感じるだけで、相手に要求出来るほど言語化出来ていなかった。

だから、僕は聞き手に回ってみた。
自分がされたい事を、聞き手として実践した。
相手の内面を見つめ、コトではなくヒトヘ意識を向ける。
「どうしてそう思ったの?」「悲しかったんだね…」「あなたはきっとこういう事をしたいんじゃない?違う?」
共感を示し、質問を投げかけ、時間を共にする。それだけで相手はとても満足してくれた。

気が付いたら僕は周りから何かと相談をされることが増え、良い聞き手として頼られるようになっていった。

コーチングとの出会い② 愚痴屋とその限界・コーチングの存在を知る

僕は大学時代の一時期、愚痴屋をやっていた。愚痴屋とは、今でもたまに新宿駅や渋谷駅で見かけるが、路上に椅子を構えて道行く人の愚痴をタダで聞くというものだ。
下の画像は僕が初めて愚痴屋をやった時のものだ。

愚痴を聞かされるのは嫌だという人も多いだろう。ただ、当時の僕は、聞くに徹することでどれだけ人の役に立てるのか試してみたかった気持ちが大きかった。
色々な愚痴を聞くことで、自分が体験し得ない人生を追体験できた気がする。
そして僕はある事に気がつく。それは、愚痴は吐き出してスッキリするものだが、人の本質的な変化には繋がらない。という事だ。
一時的な措置としての愚痴吐き出しは良いのだろうが、本当に本人のためになっていたのか、正直僕には自信がなかった。

そんな時、「人の話聞くの好きなんだっけ?そしたらコーチングがあるよ!」と知り合いからコーチングの存在を教えてもらった。
相手との関わり合いの中で、本人の変化や成長を促していく。僕は自分が求めていたのはこれなんじゃないかと思った。

そして就活生の時、企業の人事の方から「CTI行ってみたら?」と言われたのをきっかけに僕はCTIを知る。
CTIとは、僕がコーチングを学んでいる団体で、世界最大の対面型コーチの育成機関である。
アイセックの信頼する先輩もここでコーチングを学んでいた事もあり、僕はCTIで学ぶことを即決した。

なぜ今の会社(アクセンチュア)を選んだか

大学生の僕にはCTIでコーチングを学ぶ費用を捻出できなかった。
そして、卒業後すぐにコーチだけをやり続けようと思うほど、コーチングのことも何も知らなかった。

だから、社会人をやりながらコーチングを学ぶ事にした。
どうせなら、自分が成長する環境をもう一つ作ってしまおうと思った。

そういう意味で、僕が会社を選ぶ基準は以下の三つだった。
1. 1年目から稼げる事
2. 自分が絶対に行かない・行きたくない業界である事
3. 成長環境がある事

この三つに合致したのが今の会社、アクセンチュアだった。

1. 1年目から稼げる事
コーチングの費用や、他にも自己投資をするための資金として、1年から稼げる会社ではないといけなかった。今にして思えば、自分でビジネスを起こした方が稼げたのではないかと周りの人を見てて思うが、当時の僕にそのセンスと発想はなかった。

2. 自分が絶対に行かない・行きたくない業界である事
どうせ会社に入るなら、コーチングとは縁遠いものが良いと思った。なぜなら、そうする事で自分の幅が広がると思ったからだ。

外資系ITコンサル会社なんて、周りからしても「なんでそこ?」だっただろうし、僕もこの業界だけは絶対に行きたくないと就活前は思っていた。
まず英語苦手だし、IT良く分からんし、コンサル会社なんて左脳でロジックな世界は僕と真逆の志向性だと当時は本気で思っていた。
ただ、こういう感覚だけで生きてるような人間だからこそ、他の人とは違うバリューを出せるとも思っていた。

3. 成長環境がある事
時間は有限だ。成長速度も角度も高めるためには、1年目でもしっかりしごかれる環境が良かった。弊社の場合、特に高いフィーをクライアントからいただいているため、求められるレベルも当然高い。それはつまり、若手だろうが関係ないという事だ。実際、アクセンチュアに入ってからというもの、毎日泣きそうなくらいしごかれている。というか、たまに泣いてる。トイレの個室とか帰りの電車で(笑)。それでも、ITとかテクノロジーについての見識も広がったし、仕事の進め方、論理的に考える事についても学びは多い。プライベートの過ごし方もブラッシュアップされたし、何より「しんどさの深さと幅がアップデートされた」ことが大きな学びである。
コーチングで、クライアントの内面のより深いところまで一緒に潜れるようになった。

まとめ

こうやって書いてみると、アクセンチュアを選んだ理由はかなり適当である(笑)。良く内定もらえたなと思う。当時の採用担当の方には感謝である。
そして、コーチングに出会ったのはある意味必然だったのかもしれない。聞き手として感じた違和感、愚痴を吐き出すことの限界。これらはコーチングと出会うための「点」だったのかもしれない。それが、こうして「線」として繋がった。

最後に、アイセックの理念にこんな言葉がある。

Peace & Fulfillment of Humankind’s Potential
私たちは、平和で人々の可能性が最大限発揮された社会の実現を目指します。

僕は、この理念が大好きだ。特に、後半の人々の可能性が〜の部分が特に好きだ。
僕自身、人生の様々な経験や人との出会いによって、自分の可能性を教えてもらい、そして発揮することの重要性について知った。
僕はこう思う。「人が自分の可能性を最大限発揮する事が、一番の社会貢献である」と。
自分も、周りの人もイキイキと生活する世界はとても眩しくて、想像するだけで震えてしまうくらいに興奮する。
自分の人生を自分が切り開いていく。時に辛くしんどい時も、誰かの助けを頼ったり、自力で立ち向かいながら前に進む。そんな姿はどうしてもカッコいい。光がある。

僕はそんな社会を実現したいのだ。

ライフストーリー#6 これからのライフストーリー に続く

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