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原宿 1980 夏_5

No.5 clock


 東京新宿早稲田

ここの新聞屋さんの二階の三畳の部屋でオレのロックンロールストーリーがはじまる。

いわゆる新聞配達をしながらデザイン学校に通う新聞奨学生。

だいたい青春ドラマってこんなカンジではじまるよね。

1974年に日本でアメリカングラフィティが公開され今まさに世の中おイモ若きも朝から晩までロックロックロックンロール! 、、、って感じ?

音楽、ファッション、インテリア。

週間プレイボーイに白黒4ページで原宿の表参道のホコ天でロックンロールで踊る若者の記事が載っているのを見た。

何だコレは。カッカッコイイ〜。コレコレコレだ〜。

てカンジで日曜日にすぐに見にいった。

キティランドの前そうここで最初に踊りはじめたのだ。なぜここで、誰が踊ろうと言ったのか。

ライト兄弟も、二宮金次郎も、ウニを食べた人も

一番最初にやった人はみんな偉いのだ。

どうやら北千住のボマードというグループらしい。オレは取り憑かれように踊るのを一日中見ていた。

刈り上げリーゼントにポマードできめフィフティーズの市松模様のシャツにタックズボンにラバーソール。

踊りもフラットに余裕できめてクールでカッチョいい。そして男の子と女の子が向かい合って踊るダブルのステップ。

情報があまりない時代に最初にどうやって作ったのだろう。

そしてこのスタイルが何十年も受け継がれいくとは誰もおもわなかっただろう。毎週日曜日にこのグループを見てひとりで踊りの練習をしていた。

そしてある日いつものように見ていると表参道と明治通りが交差する横断

歩道を革ジャンにリーゼントのテッズスタイルでキメたいかにも悪そうな顔をしたヤカラがオマワリさんに追いかけられ渋谷のほうに逃げていった。そのあとパトカーもサイレンを鳴らし渋谷方面に走り去っていった。

そしてその日をさかいに

原宿ホコ天から奴らが消えた。


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