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苦悩と葛藤のヒストリー〜自我と欲求編〜

「いい」感覚を取り出し「いい」音楽を作りたい、ソーダ・ヒロです。

前回は『苦悩と葛藤のヒストリー〜音楽を得る編〜』として、劣等感にまみれた僕の中学時代から、音楽というコミュニケーションツールを得るところの話を書かせていただきました。



本日は、音楽を得て路上に出始めた頃からの話になります。どうぞ良ければお付き合い下さいませ。

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音楽を始めたきっかけ


音楽で世界を救う!とかっていう大義名分があればかっこいいのですが、僕の場合、ただただ「みんなと仲良くなりたい」「みんなみたいな"普通の人"になりたい」というスケールのちっさなちっさな願望からギターを始めたわけであります。。。

その頃の僕は、音楽に魅せられていた、のではなく、音楽を使ってみんなに近づきたかった、という、ただそれだけだったんです。

なので音楽自体に執着していたわけではありませんでした。

決定的に欠けた実力と知識

そんな僕でしたが、
いざ路上に出るとなった時、当然曲を披露するわけで。
と、いってもまだオリジナル曲を書く、というところまで考えがいってなかったので、ゆずのスコアを買って、それをひたすら練習しては、夜、地元の役場の前でメンバーと合わせて(ホントにただコード譜通り弾いて歌う、というそれだけ)、ということをしていたのですが、

ゆずを演奏するとなると、当然ですが、
曲を披露すると同時に歌を披露することになります。


当時の僕は自分の歌声、というものをきちんと認識しておらず、(小中学校の時に音楽発表会で歌ってたのに、、)

今では信じられないのですが、地声(喋り声)を歌声だと思っており、何を勘違いしたのか
自分はどんなキーの歌も楽に歌える、とかって思ってたんです。。

ゆずの『飛べない鳥』という岩沢さんがメインボーカルのゆず屈指の高いキーの歌も、僕は「きっとぉ〜見ぃ上ぁげぇたぁ〜、、」って地声で歌ってる(むしろ喋ってる?)のに歌えてる気でいたんですねぇ。。


メンバーは最初はそれを静観してましたが、しばらくして僕に言いました。


「それ、地声じゃで?」


、、当然の指摘です。


そこから歌声というものをしっかり発見するのにしばらくの時間を有しました、、、。

ホントに、そんなところからスタートしたのです。ホ、ホントに、、、(震え声)


そんなこんなで、ゆずをなんとか二人で歌えるレベルまでになったところで、ゆずの曲、数曲をレパートリーに携え路上に出たのであります。

ストリートデビュー

つい数ヶ月前までろくに友人もいなかったような人間がギターを持って歌を歌う、ということ、それも人前で、、、。ただただ恐怖でした。。

ビビり過ぎていて、当時どうやって歌っていたのか最初の方の記憶がない程です。。

フラフラ彷徨って場所を捜して、モジモジしてなかなか歌い出せずにいたと、おぼろげながら記憶しています。。

ただ、その当時はゆずと19が流行し、自分たちと同じように路上に出て歌っていた人がものすごくいて、ほんの4〜5メートル間隔で演奏する人たちがいたので、声とギターの音が飛び交う雑音の中で、何を歌っているのかよく分からない状態でした。

その状況も相まって、恥ずかしさも薄れ、少しずつですが歌い始められました。

“オリジナル曲”への芽生え

そうしてゆずをスコアなしに弾け、歌えるようになった頃から少しずつオリジナル曲を作ってみよう、というモチベーションが湧いてきました。

作りはじめの頃は、作曲のノウハウなど知らないので、知ったコードをなんとなく繋げただけの稚拙なものでした。

その記念すべきファーストソングのタイトルが、

『小心者』


、、お似合いです。

僕にはとびっきりお似合いのタイトルです。(震え声)
そんなタイトルの曲を自然と作れた正直さだけは当時の自分を褒めてあげたいと思います。。。

とにかく当時はこれみよがしに作ってはメンバーに披露し、作っては披露し、数作ることにやりがいを感じていました。

その時にはすっかり音楽の楽しさを覚えていましたが、特段誰かに聴かせるために、とか、何か訴えたいことを、とか、そんな想いは微塵もなく、ただただ曲を作ることに喜びを感じていました。

メンバーそれぞれが自作の曲を持ち寄り、一応吟味して、どれを路上で歌うかを決めてその曲を練習しました。(←この時にはメンバーが増えて3人組になってます)
その決め方も
「その曲なんかええな。」みたいな直感で、多数決で決める、みたいなやり方です。
メッセージ性とか信念とか、そういったことはこの場では皆無の"感覚"による決定です。


そうして路上で歌う中で、最初はゆずを歌って立ち止まってくれる人がいたらオリジナル曲を披露してみる、というサイクルから、
オリジナル曲で人が足を止めてくれるようになりました。

新たな自我の誕生


その瞬間に僕の中で新たな自我が生まれました。


それが、


自分の個性を認めてもらいたい。


というものでした。

最初は周りのみんなに追い付きたい一心で始めたギターでしたが、自分が曲を作ることで自分のパーソナリティを含んだもので自分を認めてもらいたい、という欲が生まれたのです。
平均点を目指していたところから今度は高得点を狙いにかかったのです。


それは自分でも想像もしなかった欲で、とても強いものでした。
まるで今まで抑圧されていたものが一気に弾け飛ぶような強い衝動でした。


それからというもの、今までは思いついたままをノートに書いては披露していた作業から、自分で自分の曲を評価して、納得のいくものができたところでメンバーに聴かせるようになりました。
評価の仕方は、「この曲がもしもオリコンに入ったなら他の曲と張り合えるか?」というなんとも生意気で世間知らずな感覚での決め方です。

そんな決め方で曲を披露できていたのですから、プロと張り合える、と思った上でのことだったのでしょう。なんとも傲慢な考え方のヤツ(自分)です。

“勝つため”の音楽


その頃の僕は、気がつけばとにかく勝つことに必死でした。
メンバーの作る曲に勝って、周りの路上人に勝って、自分の作った曲で通行人の足を止め、自分を認めてもらいたい。
とにかくそのことに躍起になっていました。


そのことから僕は、曲作り、また音楽への関わり方、考え方において長い迷宮へと迷い込んでいくのでありました。。。

本日も長くなりました、、、。

またまた記事またぎます。。すいません!

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