学校で教えない大切な技術(3)孤立の古傷が強張らせる
他者と関わる場面で、問われる技術。
伝えること、愛すること…
大なり小なり失敗する。
大きな失敗が心に傷を残す。
その傷はきちんと癒えて、次の挑戦に進めるか?
傷は浅くてもある種の心的外傷。
傷が深くて痛むと、医者にPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されるだろうが、浅い傷では病院に行かないし、傷の存在すらわかってない。
実は、人の心には、癒えない小さな傷がたくさん潜んでいて、それが人格を形成して、日頃の行動や言動として現れる、と思うのだ、最近。
例えば、自分の意見を素直に表出したときに「それはおかしい」とバッサリ斬られ、挙句の果てに除け者扱いされた経験が多いと、孤立感の辛さが心の傷を深めてしまうだろう。孤立は辛い。わかる。
その後の人生で似たような場面に遭遇すると身体が強ばる。古傷が痛むが如く。それでも気を張って、取り繕って交流しても、心が力んで素直になれないし、どうにもギクシャクして楽しくない。
これじゃ、傷を乗り越えて成長するプロセスに入れない。
孤立していたほうが幸せかな?なんて気持ちがよぎってしまう。
諦めは、耐え抜く心から離れる「遠心力」。無理は体も心も壊す。スポーツとか楽器とか車の運転のような技術だったら、自分に合わないから辞めた、もアリだ。別な技術を身に着けたら良いやと割り切って、自分を労る。
でも、人と人の交流に必要な技術から免れることは難しい。
ましてや、本当は、本人も技術を身に着けて、うまく人と関わりたい。
それが幸せだから。なのに学校で教えない技術。物理より心理を先に。
では、どうすれば良いのだ?
次号では、成長プロセスの考え方を深めて、手立てを考えてみる。
はい、ではここで一曲。
フレデリックのジャンキーです。