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尊敬されたいと思うと尊敬されない

日頃、私は職場でこう言っています。

私たちは、地位や能力で自分を裁きません。そういう世界に自らなります。

かつてなく、いろんな情報が流通している現代では、自分が誇りにしている能力を遥かに上回る人の存在を知ることが時々あります。その現実を突きつけられて「劣等感」に駆られてしまうことはありませんか?

世界は広い。
自分より凄い人はどこかにいる。
わかってます。
でもね…………ってやつ。

特定分野で周りより優れていることをプライドにして、そのプライドで自分を支えてしまうと、外の世界を恐れて直視できなくなります。代わりに身近で「自己顕示欲」を満たすことばかり考える人生が始まってしまいます。

これではいつまでも幸せになれないから能力を誇りにしない方がいい。
では、何を誇りにしたらよいのでしょうか?

お金?人よりお金を持っていること?違うでしょう。
地位?所属する会社の大きさとか、部長とか社長とか?それも違うね。
そのヒントが、このツイートにありました。

こういう人は本当に尊敬できますね。自分もそう有りたいと思っていますが、なかなか実践できなくて、毎晩一人反省会状態です。

では、こういう尊敬できる人は、自分の何を誇りにしているのでしょう?
多分、こういう秀でた優しさがあっても、それを誇りとしていないでしょう。なぜなら「優しさを誇る」なんて慢心に過ぎませんからね。

そもそも尊敬できる人は自己顕示には興味無い。

他者と自分を比較する無意味さを知っている。
目指す社会は自分から作ることを知っている。
目の前の課題は社会が自分に委ねた課題だと知っている。

ということは…
現実から目を背けずに「今日も一日行動できた」事実が自分を支えること。
行動できた自分を「頑張った」とねぎらって、翌日の活力にすること。

尊敬されたいと思うとそうなれないロジックですね。

尊敬する人を模範にして、自分もそうなれるよう直向ひたむきに努めます。

その意欲を棺桶に入れる宝のように大切にするのだ。

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