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燃え尽きても大丈夫

今期のNHK朝ドラは、主人公の歌と踊りが魅力的で、熱心に観ています。

しかし朝ドラの宿命は、年度末で終わってしまうこと。

三月も最終週になり、ついに今朝、大スターとして最高の舞台をつとめあげた主人公が燃え尽きてしまいました。

引退を口にした主人公に対し、そんな彼女をこれまで最も身近で支え、大きな期待をかけ続けてきた人々が、動揺のあまりキツい非難の言葉を投げつけます。

その言葉の数々は、栄光の頂点で辞めようとしている主人公と違ってこれまで何度も中途半端で仕事を辞めてきた私にも、グサグサささりました。

私、いろんな仕事を辞めてきたなぁ!

天職とまで思い定めた小児科医の仕事を三十代前半で燃え尽きて、それから虚弱の民となった私は、ちょっと元気になって何かの職を得ても、マッチョなカルチャーを嗅ぎつけるとふたたび一瞬で燃え尽きるようになってしまって、雇われ人としての仕事が長続きしないのです。

もはや燃え尽きのベテランの域に達しようとしている私としては、疲れて引退を口にする主人公にどんな言葉をかけるだろう、と考えました。

燃え尽きた人を鋭い言葉でグサグサさしても、燃えかすはそれ以上は燃えません。

必要なのは、燃え尽きを認め、失おうとしている輝かしい未来を悼み、喪の作業をしながら、時が満ちるまで休む環境を整えることです。

「燃え尽きても、大丈夫」

そう言えるといいなと思うし、燃え尽きても大丈夫な社会を作っていきたいと思っています。

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私は小児科研修中に燃え尽きてお布団から立ち上がれなくなり、臨床医として再起不能になったことで、自分は職業人として死んだと思いました。
その後の数年は、臨床に未練を残し、草葉の陰で地縛霊をしていました。

そのはずだったのに、なにしろ虚弱の民なので地縛霊をする執念も続かず、いつの間にか成仏。
ふと気がつけば、いま私がいるのはあの世なのかな?という極楽ライフを生きています。

病院の正門脇に1本だけ植わっていた貧相な桜を通勤時に眺めるのだけが春の楽しみだったのに、いまは毎年、花見し放題。

私はすっかり自分に甘くなり、座右の銘は「ぬるいそよ風」、「のらりくらりと低空飛行」、「中途半端を究める(ただし中途半端に)」。
そんな私に愛想をつかさず近くにいてくれる人々は、マッチョなこと言わずに見守ってくれる優しい人しか残っていません。

一番偉いのはもちろん私の夫で、婚姻制度を利用して夫が私を扶養に入れてくれたので、私はのらりくらりと十年くらい療養することができました。

おかげさまで今度こそさすがに元気になったような気がするし、次は夫に必要なときには休養していいよと言えるよう、私なりに経済基盤を整えていきたいと最近は思っています。

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誰かが燃え尽きてしばらく働けなくても、交代で支え合えるような、なんらかのセーフティネットが機能する社会であってほしい。

私の場合は婚姻制度に助けられ、ジェンダーギャップが酷い日本社会なので専業主婦っぽい感じで目立たず暮らしました。本当は、男性でも、あるいは婚姻していなくても、燃え尽きが経済的困窮や死に直結しない社会にしていきたい。

燃え尽きたって、その先にまだ、そう悪くない未来があるように。

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燃え尽きても、大丈夫だよ。
しばらく布団に篭って、未練を職場に残して地縛霊をして、時が満ちたらうっかり成仏して、新しい生を生きたらいい。

燃え尽きる直前で踏みとどまっている人々、そして燃え尽きのただなかにいる人々に、ぬるいそよ風に乗せて届けたいメッセージです。


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