『恋愛社会学』が気になる人のためのnote:②-1 木村絵里子×永田夏来──ファッション誌で読む「恋愛」
謎現象、でも話せてるから良いか……。
永田:木村さん……もしもし ?
木村:聞こえたかな?聞こえました?
永田:木村さん、いま一瞬聞こえたよ。
木村:これでどうですか?
永田:聞こえた気がする。
木村:なんかね、マイクをミュートすると聞こえるみたいだ。
永田:逆に?
木村:赤い、マイクのアイコンあるじゃないですか。これを聞こえないようにすると声が聞こえるみたいです。
永田:なるほど……どういうこと?まぁ、話が成立しているからいいのかな(笑)
木村:私、なってますよね?ミュートに。
永田:なってる(笑)。意味がわからないけど、とりあえず話せてるから良いか〜。
木村:良さそうですね。
永田:ですね、始めていきましょうかね(笑)
木村:よろしくお願いします(笑)
永田からの挨拶(『恋愛社会学』って何よ?)
永田:10月7日に『恋愛社会学』っていう本が出る予定なんですけども。編者が私、永田夏来と、もう1人が高橋幸さん。私は家族社会学が専門で、高橋さんは社会学理論、特にポストフェミニズムの理論がご専門で……まぁ、私たちと仲が良い人にお声掛けをし、様々な立場から恋愛について社会学的に論じていただきましたよと、そういう本になっております。そもそもの発端は、2021年9月に出ました『現代思想』の「特集〈恋愛の現在〉」ですね。
そこで私と高橋さんが対談をして「新しく恋愛社会学っていうジャンルを作るといいんじゃないの?」ってところで意気投合して、本当にそういう本を作ったと……そういう流れでございますね、はい。
本日のゲスト、木村絵里子さん。
永田:私とのお付き合いは相当長い木村さん。現在は大妻女子大学におられます。ご専門はもちろん社会学、なかでも文化社会学、歴史社会学……あとはメディア研究がご専門ですよ、という感じですけど……こんばんは。
木村:こんばんは。よろしくお願いします。
永田:今回、『POPEYE』と『non-no』の雑誌分析を題材に寄稿をお願いしたんですけれども……どうですか?この本の企画を初めて聞いたときの印象は?
木村:そうですね。まず「特集〈恋愛の現在〉」の評判がすごい良かったって聞きまして、そのあと、永田さんと高橋さんで「恋愛社会学」という1つのジャンルになるようなものを立ち上げるという意気込みを聞きましたので「ぜひ書きたい!」と思いつつも、忙しくて……。
永田:まぁ、そらそうよなぁ。
木村:原稿を書く時間が取れなかったので……申し訳ないですが、『現代思想』の特集でも書いた女性ファッション誌『non-no』の分析に、今回は、男性ファッション誌『POPEYE』の分析を加えたものを書かせていただいたというところになります。
永田:ですなぁ。恋愛研究って、やってる人はたくさんいるんですけども……この本では「今の恋愛の話」をしているような、比較的若い……若いっつったって何歳だよって話なんだけど(笑)研究者としては、やっぱりキャリアが始まったばかりみたいな人に私が頼んだってところがある。
なのでみんな、やれ就職じゃなんじゃ、博論じゃなんじゃって、すごく忙しいなかでなんとか時間作って書いてくれて。博士なんか取らなくたって就職できます!みたいな時代ではないアカデミックキャリアの中で、それでも今の日本社会に向き合いたい!って人たちの研究を進める、って趣旨も含んだプロジェクトだったんだなぁと思うよね。
木村:そうですね。
永田:木村さんもけっこうね、バタバタしてたもんね。
木村:そうですね……今年の4月からはちょっとゆとりができたんですけども。ただ、ほんとに書く時間は無いけれど、この本には絶対参加させていただきたいと思ってました。
永田:ありがとうございます(涙)。でも今回、私と高橋さんで恋愛についての社会学的な集まりを作りたいな、ってときに顔が浮かんだひとばっかりに声かけることができて……木村さんが参加してくれて本当によかったよ。
木村:こちらこそ、ありがとうございます……誘っていただいて。
なぜ「雑誌分析」?
永田:いやいや、とんでもないです。それでなんだけど……雑誌分析をした、っていうのはさ。時間がなかったから、とも言っていたけどやっぱり重要だと思ってるからだよね?
木村:そうですね。
永田:ですよね。どういうところなんだろう?雑誌分析が面白いって思うのはなんでですか?
木村:私は1980年代のnon-noと POPEYE を分析したのですが、80年代の恋愛を分析するにあたっては雑誌分析は有効というか、まぁど真ん中みたいなところがあって。この時代はまだ、マスメディアが恋愛の文化を先導していたというところがあったのですよね。今だと、なかなか雑誌だけの分析だと難しくなっていますけれど。
永田:今の若い人たちっていうか……あんまり年齢の話するのもなんだけどさ。まぁ一応、恋愛を「若い人、20代から30代ぐらいの人たちが関心を持つトピック」かなって考えた場合……まぁ、今だと雑誌じゃないよね。
木村:そうですね、今はねぇ。
永田:今だとねぇ(笑)まぁ、木村さんもマッチングアプリの研究なんかをしてるけれど……80年代を振り返る上では、雑誌が有効だったという。
木村:そうですね。バブル期のイメージってどの世代まで共有できてるんでしょうか。私たちの世代だと、80年代は「恋愛の時代」みたいなイメージありますよね。
永田:私たちの世代って、私と木村さんはまあまあ年齢離れてるけど(笑)。
木村:そんなに離れてないですよ(笑)。
永田:だけどまぁ、90年代〜ゼロ年代ぐらいの時点でそれなりに歳とってた人だったら、80年代はめっちゃ恋愛が盛り上がってたってイメージはありますわな。トレンディドラマとかで。
木村:うん。私たちの世代だと80年代は、恋愛が盛り上がっていて、かつ「恋愛しなきゃいけない」みたいな強迫観念がけっこうあった時代だったというのが共有されているのですが、若い世代はあまりそれを知らなくなりつつあるのかなと。それと、80年代って「恋愛の時代」のイメージはあるものの、真面目に分析されているものが意外となくて……特に社会学なんてほとんどないんじゃないかな。宮台真司さんの研究ぐらい?で。
あとは「草食化」ですよね。「草食化」というのは、恋愛が盛り上がっていた時代を知っている人からの眼差しによるものなので、まず80年代の文化がどういうものであったのか?ということを調べることが超重要だろうと考えました。
永田:なるほどな。ただ、80年代の恋愛についての雑誌の分析って、まず思いつくだろうというか、なんかもう誰でもやりそうじゃん!みたいな。
木村:そうなんですよねぇ!
永田:だけどやられてない……やられてないは言い過ぎだけど、きちんと系統立ててまとめて、それが気軽に読めるような状態になっているものって意外と少ないんだよね。
木村:ないんですよね。
永田:だから、やっとけみたいな話で……。
木村:そう、(結婚の研究は多いのですが)社会学の恋愛研究はまだ手がつけられてないところが結構ある、そういう領域でもありますね。
なぜ『non-no』?
永田:なので、雑誌研究・・・これ、なんでnon-noにしたんですか?
木村:単純に一番発行部数が多かったからですね。80年代は100万部とかの単位で発行されていましたので……若い女性が読む雑誌のなかで特に発行部数が多かった。社会学だと、これまで先進的な女性像を描いている雑誌として『an・an』が扱われてきたのですが、なんていうかな……普通って言ったら変ですけども、一般的な大学生とか、就職したての女性が読む雑誌から始めてみようかなと考えたんですよね。
永田:だよなぁー。いやぁ、だって80年代のnon-noっていったら、私ど真ん中で。
木村:あ、そうですか?
永田:だから(恋愛研究を)やってるってのもあるんだけどさ、いわゆる「普通の恋愛」っていうのが全然わからんちんなので、non-noもだいぶ……なんというか、なるべく普通の群れに紛れ込むために頑張って読んでたっていう感じで(笑)。
木村:へー!(笑)。
永田:まぁ、そういう意味でnon-noは無難というかね。そのあとになってくると、いわゆる赤文字雑誌とか青文字雑誌みたいな感じで、ファッションごとに系統が分かれたりとかってことがあるのかもしれないんだけど……まぁ、とりあえずnon-noっていうチョイスは割と「だよなぁ」って感じですよね。
木村:そうですよね。だから、それ以降の他の雑誌を見ていくと、(non-noの恋愛とは)ズレていくところがおそらくありますね。まぁそれは今後の作業になるのかなという感じです。
永田:うんうん。それと、POPEYE。
木村:そうですね。POPEYEも同じです。男性ファッション誌のなかでは発行部数が最も多かったっていう。ただ、私たちが肌感覚で知ってるのはホットドッグ・プレスとかですよね、過激な恋愛マニュアルが語られていたりした……。ただ、ホットドッグ・プレスよりもPOPEYEの方がやはり発行部数が多かったので、non-noに合わせて選んだという感じになります。
恋愛規範と消費文化
永田:なるほどですなぁー。それで、どうですか?今回の分析、一番手ごたえがあったのはどういうところですか?
木村:やっぱり、女性向けと男性向け(の雑誌)を一緒に組み合わせて分析するというのがすごく面白かったですね。これは田中亜以子さんの御本の手法を真似したんですけども……。
永田:田中亜以子さんの御本っていうのは?
木村:『男たち/女たちの恋愛』(勁草書房)ですね。とくに近代は、「恋愛」って男性が男性向けに語る言説が多くて、かつそれを研究する研究者も男性が多かったというところがあったのですが、それだけじゃなくて女性の恋愛を取り上げたというのがあの本の大きな特徴かなっていうふうに思います。
まぁ、今の時代だと(木村の論文では)異性愛だけというのはちょっとそれも限定的すぎますけれども……ただ、それまで男性の恋愛だけがメインに語られていたという前提があるので、女性向け雑誌と男性向け雑誌の記述の何が違うのかという視点で捉えることが重要だと思っています。
とくに性行動に対する記述が全然違いました。80年代のnon-noではまだ、婚前交渉 (婚約や結婚前に行う性行為のこと)は良くないことだという位置づけだったのですが、逆にPOPEYEはそれを早々に乗り越えていて、結婚のことすらももう語られていなかったという……。大きな違いがありました。
あと、明確な違いがあるのは性別役割の記述ですね。『恋愛社会学』の永田さんや高橋さんの章などでも、性別役割に着目して議論されていますよね。ただ、恋愛関係と結婚後の夫婦関係の性別役割の連続性や繋がりってこれまであんまり論じられてこなかったんじゃないかなと思います。結婚後の、家庭内の性別役割についての議論はそれこそ膨大な蓄積があるのですが。
永田:だと思いますよ。で、その「性別役割に規定された恋愛」ていうのはもう終わらせないといけない話なんですよ。恋愛がジェンダー化されていて、男らしいとか女らしいってことに則って行動するのが上手な恋愛なんだ、みたいな……私が原稿でこれについて「社会にとっては都合が良いかもしれないけど、個人からすると訳がわからない」って書き方をしたら「そこだけ急に口語的すぎます」って言われて、そっすねって(笑)ちょっと自分の思いが溢れちまったぜと思って修正しましたけど。
木村:確かに(笑)。
永田:でも意味わかんないよね?だって、恋愛は恋愛の話であって、性別役割分業は性別役割分業の話で。そこが何の前提もなくぬるっと結びついてて、それが今日においても、なぜ共有されているのか?っていうところってすごく……面白いと言えば面白いけれども、気持ちが悪い感じがするよね。あたしからするとね。
木村:そうですよね。ただ、最近「おごりおごられ論争」が起こっているように、少しずつ性別役割(規範)を変えていこうという動きが出てきていて面白いと思います。「なんで (男性が)奢らなきゃいけないのか」と考える人もいれば、「私を口説く気があるなら奢ってよ」みたいに思っている人もいて、性別役割規範のせめぎ合いが起きていますよね。でも、論争の内容を見てみるとやっぱり目の前の出来事しか見ていない状況だと思っていて。その(奢り/奢られという性別役割の)ルーツを辿っていくと結婚の性別役割がある。80年代に結婚から切り離された恋愛関係がでてきたけど、家庭内の性別役割がデート文化を通して継承され続けていて、今に至っている。「男性は女性を養って、女性は家で家事育児に専念する」という、前提が違うのにもかかわらず、(デート文化として)今でも形骸化されたまま社会的な慣習として残り続けている……ということを、もう少し細かく分析して共有することによって「そういう事だったんだ、(共働きが多い今なら)じゃあちょっと奢り/奢られはもうやめてもいいかもね」という流れになると良いなと考えています。
永田:ですなぁ。この、結婚から切り離され始めた80年代の恋愛っていう話がすごい面白いよね。
木村:そうですね。
永田:私の章にも出てくる話なんだけど、婚前交渉が一般化するのって90年代前半から半ばなので。80年代のnon-noが「婚前交渉良いよ!」っていう風に書かないっていうのはまぁそうだろうなと思うんだけど、POPEYEのほうはそうでないわけね。
木村:そうなんですよね。POPEYEのほうはいかに(セックスを)するか、いたすかというマニュアルが書かれている。
永田:それはすごい差だよねー。そのことについて、木村さんはどう思いますか?書いてない話も含めて。
木村:そうですね……なんていうのかなぁ?性の部分て、やはり男の人(がメイン)の文化なのだなぁと。
永田:あー、なるほどね。
木村:まぁ、その前からずっと続いている性のダブルスタンダードですよね。男の人は自由にできるけれども、女の人はなかなか自由にはできないというのが……今もありますけど、80年代にももちろんあった。まぁ、それが(POPEYEとnon-noの差として)顕著に出ていたと思いますね。
永田:「恋愛の価値が高い」ってことについて、私のすごく嫌いな損得感情みたいなもので行動分析するならば、男子は「いたせる」わけだな?だからこそ、恋愛します!みたいなモチベーションがあるのかも……っていう解釈がもしかしたら可能なのかもしれないんだけど、どうして女子にとっても恋愛って価値が高いことになるんだろうね?
木村:1980年代だと、恋愛そのものというよりやはり消費文化ですよね。
永田:あぁ。
木村:80年代に進展した高度消費文化を謳歌するための回路の一つが恋愛だったということだと思うんですよ。だから、私が取り上げた記事でも「ドキドキとかはあんまり長く続かないんだから、2人で楽しいことしようぜ」みたいなことが書いているんですよね。
永田:マジか!(笑)。
木村:書いてあります(笑)「情熱なんてすぐ終わっちゃう、冷めちゃうんだから2人でどっか遊び行こう、それが楽しいんだよ」みたいなことが。もしかして、日本の恋愛って情熱に対して真剣に向き合って来なかったのかな?みたいなところが、ちょっとありますね。
永田:なるほど。だけどね、私の章では70年代に恋愛結婚をした人たちのインタビューを使った論文を引用しているんですけども……。
木村:あぁー、恋愛結婚はね!
永田:めちゃめちゃ情熱的なんですわ。「この人と添い遂げられるんだったら、何を犠牲にしても構わないと思ったんです!」みたいなインタビューが載っている論文とかもあるんだよね。
木村:それは70年代のnon-noの記事もそうですね。恋愛結婚についてはそう……たった1人の運命の相手と出会って云々と……。
永田:それはもう、「ロマンティック・ラブ・イデオロギーって何なの?」みたいなのを高橋さんがわざわざコラムを立ててまでめちゃめちゃ熱く書いてるんで、ぜひそれを読んで欲しいんだけど……でも、80年代の恋愛ってのは「情熱」って感じでは無い?
木村:そうですね。谷本奈穂さんの分析でもそうですけど、(70年代と90年代の違いとしては) 結婚というゴール、結末に向けての語りが少なくなっていくということですね。で、「今・ここ」での遊びとして恋愛が語られるようになる。「あれ?情熱って意外と長く続かないんだなぁ。でも、(ふたりの関係の外側には) 楽しいことがいっぱいあるよね」みたいなのが80年代の恋愛だったんじゃないかなと思います。
永田:なるほどなぁ。それって、現在は80年代みたいな消費の仕方があんまり活発になってないからこそ、恋愛もシュンとしてしまっている……みたいな見取り図に結びつくの?今の話って。それとこれとは別なんですか。
木村:いくつかあるうちの一つはそうかもしれないんですけど、やっぱり「情熱を保つことの難しさ」みたいなのものと関係してるんじゃないかなと思いますね。今のシュンとしている、草食化していることのその特徴には。
永田:どういうことですか?
木村:「恋愛をしたとしても、(情熱が)ずっと続くわけではないんだし、一生に一度のすごい恋愛みたいなのってどうせないじゃん?」みたいなところから話がスタートするっていうような。それと、やはり関係を続けていくことの難しさですね。(何の後ろ楯もない、互いの「好き」という感情だけで築かれる) 純粋な関係を続けていくということの難しさに直面していて……なかにはそれで結婚に至らないということもあるだろうし、それでとても傷つく経験をするということもあるだろうし (エヴァ・イルーズの『なぜ愛に傷つくのか』にでてくるような話)。
永田:あーっ、うん。
木村:80年代のように恋愛はそんなに手放しで賞賛できるような良いものではない、なかなか良い親密な関係性を築くことは簡単なことではないぞということにみんな気付きはじめていて、恋愛するのってけっこう大変だぞということで、擬似恋愛に走ってみたりだとか……まぁ、疑似恋愛って言い方はあまり良くないのかな。
永田:疑似恋愛って言葉になっちゃったけど、まぁいわゆる結婚する/しないみたいな話を想定できるセーフティーな交流も含めた人間関係みたいな話……しかも男女っていう前提で話をしてますけど、それはまぁPOPEYEとかnonnoとかの話だからしょうがないんだけどね。もちろんあれですよね。フィクションのキャラクターに対する恋愛であるとか、アロマンティックの話であるだとか……あとはいわゆる恋愛弱者と呼ばれるような立場の人たちの話も『恋愛社会学』の後半に出てきます。だから、私と木村さんがしている話は、この本の中の本当にちょびっとの話……まぁ、人数的には心当たりのある人が多いかもしれないなって話に過ぎない。でも「恋愛」の位置づけが社会の変化とともに変わってきたっていうのは、まぁそうでしょうねぇ。あとはどうですか?この章で論じた、他の面白かった話っていうのはどういう話ですか?
木村:そうですね。デート文化の話が地域に関わっていたというところですかね。分析してみて、東京の恋愛文化がすごく見えてきた。(80年代の恋愛文化は)他の地域ではなくて、やはり東京の文化だったという……。
永田:うん。
木村:大学進学とかをきっかけに、東京にたくさんの若者が集まってきたひとつの大きなモチベーションになっていたということがあって、東京に楽しい文化があるという思いが、今とはだいぶ違う形でもっとあったのだろうなぁということが分りましたね。
永田:なるほどなぁ。そういった消費のかたちはずいぶん変わってきたよね。
木村:そうですね。
永田:80年代から90年代の前半ぐらいの……私と木村さんが大好きなあたりですよね。パルコ的なファッション文化であるとか、岡崎京子の漫画であるとか……東京の文化とか人間関係はすごくキラキラしていて、田舎ではできないような素敵な体験がきっとあるんだ!みたいな夢を地方住みの人間が抱いて、それを期待して東京に行くっていうのは、90年代ぐらいはわりとよくある話だったよね。若者論=都市論的な状況、つまり都市……特に東京にいる若者を分析をするってことが、都市を論じる事とほとんど同じだったみたいな研究状況の背景だったりもするわけだけど。もちろん、今も若い人が東京に一極集中してるって話はあるんだけれども、消費のあり方がかなり変わってきたって話は、ひとつ押さえておきたい変化かもしれないよね。
木村:80年代はマスメディアの力が大きくて、東京にある大企業が日本全国の若者に文化的なメッセージを伝えていた。今のSNSとかソーシャルメディアで双方向的なコミュニケーションができるようになったというところとは大きく違っていたのだと思いますね。
永田:うん、まったくですな。いやー、いいねぇ!やっぱりねぇ!(笑)……というわけで、木村さんの章はこういう話のとっかかりになりますよ、っていう。まだまだたくさんの章がありますので、乞うご期待です。ちなみに木村さん、ゲラは全部見てくれたの?まだ見てない?
木村:えっと、一部だけですね、まだ全部は見てないです。
永田:どうですか、何か気になる章はあります?
木村:後半はけっこう若い人たちが書かれてるんですよね。
永田:えぇ、えぇ。
木村:「80年代の雑誌分析をしている」っていうのがなんていうかすごく……古臭い(笑)。ソーシャルメディアの記述が頻繁にでてくる章とかは「あー、やはり若い人が書いているな」という印象を受けましたね。
永田:そうだよねー。アイドルとか、二次元とかのね。
木村:そう、そう。
恋愛社会学、ここからどうなる。
木村:永田さんにおうかがいしたいのは……「恋愛社会学」を掲げているわけですよね。
永田:今のところは、そうです。
木村:それで……永田さんの章とかに書かれているんですかね……その恋愛社会学というのが、これからどういう風なかたちで発展するといいなって考えているのか(笑)。
永田:それなぁ(笑)。
木村:ちょっと大きな話ですね(笑)。
永田:あのね、まず「恋愛研究してる人って孤独だな」って思うのよ。
木村:はー。確かに。
永田:私とか木村さん、高橋さんなんかはまだ横のつながりがあるけどね。今の修士の人とかの話を聞いてると、十分に指導できる人が周りにたくさんいるわけでもない。地元の都市について研究しているから地域社会学、とか家族についてやってるから家族社会学、という感じにわかりやすいわけではないし、論文を投稿するにしても学会発表するにしても、現時点ではとっかかりがないと思うんですよ。あるとしても見えづらい。なので、不十分ではあるにしろこの本(『恋愛社会学』)をとっかかりにして、横のつながりをなるべく広く作っていくっていうところからやりたいですよねぇー。例えば読書会や研究会をやるとか……この本では、恋愛に関しての先行研究はどういうものがあるのか?とかもわかるし。みんな文献リストをちゃんと作ってるから・・・木村さんもあれだろう、わざわざ (校正の段階で)国会図書館まで行って調べ直したんでしょう(笑)。
木村:そうなんです、すいません(笑)(校正返すのが遅くなり)。
永田:いやいや(笑)だから、指導する側の人にとっても参考になると思うし、まずは骨組み作りからだよね。恋愛社会学に関しては。……いつか学会とかになんねぇかなぁ。
木村:ん?なんですか?
永田:学会とかに。
木村:恋愛社会学会!
永田:学会誌とか出したりしてさぁ(笑)。
木村:大きな野望を語っていただきました!(笑)永田夏来会長で、ぜひ。
永田:いやいやいや……何十年かかるかわからん(笑)木村さんが会長にちょうどいい頃だよ、きっと(笑)。
木村:(笑)
永田:良し……という感じで前半戦終了で。ここでインターバルにしたいんですけど……木村さん、お勧めの本、あるいは最近ハマってるものってありますか?
木村:えーっとですね、いまラグジュアリー空間のフィールドワークをしているという話をしましょうかねってことで。
永田:「ラグジュアリー」……私、いま四方八方が田んぼに囲まれている研究室でこの話とかしててラグジュアリーと程遠すぎる(笑)。
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