二十歳の頃2024(8)恩師にきく

私がインタビューしたのは、高校3年間、学年主任だった西村香織先生。大学受験の時期に日本史を教えてもらい、私の学習計画を立てていただき、個人的にもお世話になりました。冷静に物事を判断する先生で、プライベートの話をしたことがなく、私と同じ20歳の頃のお話を聞こうとインタビューの相手に選びました。(聞き手・樋口穂夏=2年) 

――20歳の頃、何をしていましたか

大学の史学科で、考古学を学んでいました。中3の修学旅行で九州の吉野ケ里遺跡(佐賀県)に行ったんですよ。発掘で、柱の穴しか出てこんのに、なんで建物の高さの違いがわかるんやろって。高3の時、たまたま近所で大阪府教委の発掘調査が始まり、吉野ヶ里遺跡で疑問に思ったのを思い出して。現場を見学して面白そうと思って、どんな大学に行ったらいいか聞いて、受験して合格した。大学に入ってからはアルバイトで発掘現場に関わった。

――一番大きな発掘現場はどこですか

池上曽根遺跡(弥生時代中期、大阪府泉大津市)という大阪で有名なところで、掘ったらほんまに土器が出てきて。完全な形で出てくることってないねん。ちょっとここ欠けてるかなぐらいのものが出てきたやんか。これを弥生時代の人が作ったんかと思ったら、めっちゃ感動して。 

――教師になりたくて、考古学を学ぼうと考えたのですか

全く。教員になるつもりないのに教職取ってたんやで。高校の時、担任の先生を見てて、しんどそうやったから絶対せえへんわって。でも、ちょうど就職氷河期の時期で、高校の先生に教職はとっとけよって言われてん。だから、どこでどうつながってくるかわからへん。絶対教員にならへんからって教職をとらへんかったら、教育実習に行くこともなく、この道はなかったと思うね。うん、素直さが大事。 

――教育実習まではどんなことをしたいと考えていましたか

発掘する人になりたい。でも、実習が楽しかったんですよ。私に向いてるんじゃないかなって思って。めっちゃ素直やろ。

――20歳ぐらいの時に熱中していたのは何ですか

軽音サークル。担当したのはギターとボーカル。ミュージックは、海外のハードロック。サークルに入ったのは、楽器の演奏がしたかったから。ロックは元々好きやってんけど、いろんな先輩に面白い音楽を教えてもらいました。でも、勉強が忙しくなって、このままでは卒業できないかもしれないと思って、2回生の終わりでやめました。
 

――いまでもギターは弾きますか

あまり弾いていないけど、この間、もう1本買いました。1万2千円ぐらいの安いやつ。これで3本。

――勉強の方は?

文献を読むのは、大学の行き帰りが2時間以上かかったので、その電車の中で読んでいた。教職取ってたし、学芸員の資格のためにも別に授業とらなあかん、考古学の実習というのもあった。2回生の時間割がほぼ詰まっていて、一番大変やったかな。考古学を勉強したいと思って大学に入ってけれど、一応教職もとっていたからそれもあって大変やったね。だけど、教職をとっていなかったら教員の実習にも行ってないし教師という職業が楽しいと思えなかったからよかったけどね。いろいろ重なって20歳の時、一番忙しかった。2回生から3回生まで下宿した。 

――やり直したいことはありますか

学生の時はもっと勉強しとけばよかったなとか、大人はよく言うやんか。だけど、そんなこと思わへんやろなと思ったけど、今は思います。だって、働き始めたらほんまになんもできへんなって思うから。今思えば、もっとできたかなって。本を読んで知識を得たりとか、いろんなこと。 

【感想】高校3年間お世話になり、先生の性格をよく知っていると思っていましたが、意外だと感じることが多くありました。話を聞いて「何事にも素直にとりあえずやってみる」ことが大切だと気づきました。20歳の頃に夢中になっていた考古学の道ではなく、教師という道に進んだ話を聞き、自分の今の考えがすべてではなく、今後変わっていくのだろうと改めて感じました。今、自分がやりたいと思っていることや、人に勧められたことに、前向きに取り組んでいきたいです。(樋口)