上橋菜穂子『香君』ざっくりした考察
こんにちは。socioです。
上橋菜穂子さんの『香君』、やーーーーーーーっと読み切った。。。
上巻を手に取ってから下巻を読み切るまで1年以上かかったような気がしてます(いつ読み始めたかも覚えてないので正確な期間ではないと思いますが)
とにかくやっと読み切ったぞーー!!最後までーー!!という読み切ったことへの達成感を抱きながら忘れないうちに感想を残しておきたいと思います。
大学時代に上橋菜穂子さんの作品について授業でチラッと触れたくらいで、上橋さんの作品を読み切ったのは今回が初めてです。
ですがその時得たじゃっっっかんの知識も元にしながら多少の考察も交えていきたいと思います。
稲作の持つ依存性、破壊性
これは作中でもほとんど中心で、もはや香君の話というよりも「オアレ稲」の話だったと言っても良いぐらいには「オアレ稲」がずっと主人公だったように思います。
っていうか、実際そうなのかな……
主人公はもちろん香君となるアイシャですが、下巻の巻末にも少し上橋さんの考えが載っていたように、されど植物と言えど、何かしら色んなことを考えて『香り』を発している、動いていることを思えば、植物が主人公だったとしても別におかしくはないわけです。
たまたま人間の書く話なので人間が主人公にはもちろんなるのですが、改めて考えると全て「オアレ稲」を中心に語られた物語であることを踏まえると、人間をも脅威させる圧倒的な主人公であることは確かではないでしょうか…
そもそも稲作それ自体が、そこに元々自生していた植物を刈り取り開拓して稲という全く別のものを植えてしまうということなので、広く見れば自然破壊の一種だということです。
稲ももちろん植物で自然なのですが、そこに元々あったものではないことを考えると、やはり稲作というのは近代的な弥生文化であり(⇔前近代的な縄文時代、自然と共に生きる狩猟文化)、その自然破壊と稲への依存性がありありと描かれています。
そしてこれが1番の今回のテーマであり、上橋さんが長く扱われているテーマだと思います。
人間と植物の関係性みたいなところになるのか、はたまた稲作=帝国の支配のための道具、ひいては政治、統治的なところをより具体的に扱っても良いのかもしれません。
まあ結局作中では、オアレ稲を帝国の支配のために利用したことによって逆に帝国が脅かされるという危機も招いていました。
植物を開拓し政治支配にまで利用したはずが、逆に振り回されていた。
そんな帝国の愚かしい姿も書かれています。
さらに、今回のタイトルでもある「香君」という存在ももちろん忘れてはいけませんが、そもそも香君は現実世界に存在するものではないです。
結局その香君もオリエという虚像であり、神でないのに神のふりをし続けなければならないという葛藤が描かれていました。
アイシャは本当に人より詳細な香りを知ることはできますが、人々が信じていた虚像の『香君』のように、アイシャは万象を知ることなどできません。
アイシャにできるのは、その香りの声を聞いて、人々に働きかける、教えるということのみです。アイシャは神でなく、人々と同じ地に立って、人々と共にこの世を歩もうとしています。
つまり、植物を支配する、支配されるのではなく、共に共存する道はないかと試行錯誤しているのです。
そしてそうすることで初めて国も人々も豊かになるスタートラインに立てるのではないか、そういうお話だったんじゃないかと思います。
香りについてや、作中何度か出てきた「青香草」など深堀りするともっと面白そうなところもありますので、卒論のテーマなどにいかがでしょうか?と宣伝しておいてここまでとします。ありがとうございました。
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