(ノート)岸田流「新しい資本主義」の行方

言葉の上だけの新自由主義否定


岸田政権によって開始された新しい資本主義実現会議(第8回、5月31日開催)において、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」(以下、グランドデザインと略)が示され、6月7日に閣議決定された。
この中で、「新しい資本主義を貫く基本的な思想は、①「市場も国家も」、「官も民も」によって課題を解決すること、②課題解決を通じて新たな市場を創る、すなわち社会的課題解決と経済成長の二兎を実現すること、③国民の暮らしを改善し、課題解決を通じて一人ひとりの国民の持続的な幸福を実現すること」としている。新自由主義を「経済格差の拡大、気候変動問題の深刻化、人口集中による都市問題の顕在化、市場の失敗等による弊害」を生んだものと指摘しつつ、その解決の方策はあくまで「資本主義」なのである。
このグランドデザインがカギとするものが、人的資本蓄積・先端技術開発・スタートアップ育成という、市場だけでは進みにくい分野への「官民連携と実行」である。「資本主義の持続可能性と強靱性を高め、全ての人が成長の恩恵を受けられるようにするため」という理由づけがされているが、日本資本主義において、長期的にみて低下した利潤率の引き上げのために、労働力の熟練度を上げ、技術革新を促して、それを儲かるビジネスとして確立するということであり、特別利潤の獲得や相対的剰余価値生産の強化を目的としている。これらは日本資本主義の持続可能性と強靭性を現象的に強めることができるかもしれないが、それで全ての人が成長の恩恵を受けられるようになるわけではない。80年代後半以来の法人減税や所得税・相続税の累進削減によって富裕層が格段に有利になった現在の分配構造からすれば、さらに格差拡大が進むのではないか。
全ての人に成長の恩恵が行き渡らないのはなぜか?グランドデザインは答える。「我が国においては、成長の果実が、地方や取引先に適切に分配されていない、さらには、次なる研究開発や設備投資、そして従業員給料に十分に回されていないといった、「目詰まり」が存在する。」とする。積極的な政策関与によって、「目詰まり」を解消していくことが必要だとしている。日本における分配の問題が経済・財政の構造の問題ではなく、単なる「目詰まり」にすぎないと認識しているわけだ。その目詰まり解消策は、「男女間賃金格差の是正等を通じた経済的自立等、横断的に女性活躍の基盤を強化することで、日本経済・社会の多様性を担保し、イノベーションにつなげていく」と、これまたイノベーションが目的とされるのだ。あるいは「いつでも、どこでも、だれでもが希望する働き方で働ける働き方の改革、子育て支援の充実、少子高齢化を迎えて国民が能力に応じて支え合う社会保障の実現」としている。「だれもが希望する働き方で働ける」というと聞こえはいいが、実際には労働者が働くのは経済的に生計を維持するためであって、低賃金ゆえに希望しない働き方で働かざるをえない実態がある。単に多様な雇用形態を認めるというのは、依然として非正規労働を拡大する働き方改革であり、労働者を使えるだけ使おうという意欲に満ちていると言わざるをえない。岸田政権の「子育て支援充実」は中身もなく、目的は多くの女性を非正規で働かせようとする方向性を持ったものであろう。
日本全体の実質賃金の低下、停滞の主な原因は、生産年齢人口が減少する中で、労働力を確保するために、「女性活躍」の美名のもとに非正規労働を増やし、女性や高齢者の労働参加率を上げようとしてきた政策にある。あるいは低賃金の外国人技能実習生を大量に導入して低賃金労働の分野を固定化してきたことにある。
「能力に応じて支え合う社会保障」というならば、社会保険料の応能負担的見直しなどの再分配政策が必要なはずであるが、これには触れないのが岸田流「新しい資本主義」なるものである。

「人への投資」の意味するもの

グランドデザインにおいて、「新しい資本主義に向けた計画的な重点投資」として真っ先に掲げられたのが、「人への投資と分配」である。
「賃金等のフローはもとより、教育・資産形成等のストックの面からも人への投資を徹底的に強化する。また、子供期・現役期・高齢期のライフサイクルに応じた環境整備を強化する。」として、(1)賃金引上げの推進、(2)スキルアップを通じた労働移動の円滑化、(3)貯蓄から投資のための「資産所得倍増プラン」の策定、(4)子供・現役世代・高齢者まで幅広い世代の活躍を応援、(5)多様性の尊重と選択の柔軟性、(6)人的資本等の非財務情報の株式市場への開示強化と指針整備、の6点が挙げられている。
まず(1)賃金引上げの推進では、最低賃金の引上げは重要な政策決定事項であるとしつつも、「公労使三者構成の最低賃金審議会で、生計費、賃金、賃金支払能力を考慮し、しっかり議論していただくことが必要」とするだけで、野党4党が要求している時給1500円への引き上げなどの目標感は全く触れられていない。今年の最低賃金引き上げは最低賃金審議会の答申で31円となった。東京の場合で、1041円から1072円への引き上げであり、これでは飢餓賃金のままである、また地方の格差も是正の方向さえ出ていない。
具体的な政策として、①賃上げ税制等の一層の活用が上げられている。すでに行われた中小企業への税制優遇措置の周知などが挙げられているが、賃金相場全体に影響をもたらす施策ではない。②重点業種を示した政府を挙げた中小下請取引適正化というのも、下請けを中心とした中小企業支援策としては有効であるかもしれないが、それが中小企業労働者の賃上げになるわけではない。中小企業経営者にとっては良い対策だろうが、トリクルダウン的な発想でしかなく、労働者の待遇改善につながる政策とは言えない。③介護・障害福祉職員、保育士等の処遇改善のための公的価格の更なる見直しは、これらの職種の賃金が一定程度の公的価格の制約を受けていることへの対策となっているが、実際に価格の見直しを賃金改善につなげる具体策が欠けたままであり、まず今年の収入引き上げを3%程度としたことの検証が求められるのではないか。また「看護師のキャリアアップに伴う処遇改善」というような表現で、賃金の底上げではなく、収入増はキャリアップで、といった発想が色濃く出ている。
(2)スキルアップを通じた労働移動の円滑化、では、まず、①自分の意思で仕事を選択することが可能な環境が挙げられている。「ストック面での人への投資については、職業訓練、学びなおし、生涯教育等への投資が重要である」とするが、ここでも目詰まりをなくすというよりは「人への投資」で労働者の能力=生産性を高めて、投資を回収するという発想である。現在の分配関係を変えようという考え方ではない。個々の労働者がスキルアップして所得の高い職業に移れ、という資本の論理そのままである。しかも、その投資たるものや「3年間で4,000億円規模の施策パッケージ」という実に小規模のものでしかない。②初期の失敗を許容し長期に成果を求める研究開発助成制度を奨励するとしているが、特に予算化などは言及されていない。理研での研究者雇い止めのようなことが起きていて、長期的な観点での研究開発の奨励などできるのだろうか。③デジタル人材育成・専門能力蓄積という現在の大企業のデジタル化推進に沿うような項目が入っているのだが、これも全く短期的な視点でしかなく、バイオテクノロジーや再生可能エネルギー開発など重要課題よりも優先させるべき課題なのであろうか。I T・デジタル化で後れをとった日本の企業や公的部門の現時点での短期的な焦りを反映したものでしかないのではないだろうか。そして④副業・兼業の拡大である。「『副業・兼業の促進に関するガイドライン』を改定し、情報開示を行うことを企業に推奨」するということで、どの程度の有効性があるかは疑問だが、全体の労働時間を延長する施策となることは疑いがない。成長分野・産業への労働移動を進めるためは、正規労働者の雇用を成長分野で増加させていくことが大事であって、副業・兼業で労働力不足を補おうとすれば、複数の仕事での長時間労働を奨励することになる。正規雇用の増加を避けようとするのは賃金上昇を避けようとする資本の利害の現れだ。岸田政権には本気で賃金上昇を図ろうとする姿勢が皆無だと言ってよいだろう。
(4)子供・現役世代・高齢者まで幅広い世代の活躍を応援、との項目だてで、①こども家庭庁の創設、②保育・放課後児童クラブの充実、③出世払い型奨学金の本格導入、④子育て世代の住居費の支援、⑤家庭における介護の負担軽減、⑥認知症対策充実、介護予防の充実・介護休業の促進等、⑦健康経営の推進 の7項目が掲げられた。このうち、特に注目したいのが出世払い型奨学金の本格導入である。これは、岸田首相が総裁選を意識して2020年に出版した「岸田ビジョン ー 分断から協調へ」の中で、大学授業料の「所得連動型授業料返還方式」が参考になるとしていた政策である。確かに奨学金返済に困らないようにする制度設計であろうが、「まずは大学院段階において導入」と、ほとんどの国民にとって負担の軽減にはならない。岸田政権が追求しているのは、理工系や農学系で優秀な研究者、技術者=資本に利益をもたらしてくれる人材を育てることであって、教育費負担に悩む多くの勤労国民の生活に配慮するものではない。
新しい資本主義実現会議の緊急提言では、「安心と成長を呼ぶ『人』への投資の強化」が謳われていた。「人」が中心なのではなく、経済(資本)のための人(搾取対象)への「投資」(利潤を上げるために資金を投ずる)として労働者への分配ということを考えようというわけである。つまり、目的は、「人材への投資」(教育や既存労働者の再教育)による生産性の向上(利潤の増加)でしかない。

岸田政権の「貯蓄から投資」


前後したが、グランドデザインの(3)貯蓄から投資のための「資産所得倍増プラン」の策定について考えてみたい。グランドデザインにおいて、「個人金融資産を全世代的に貯蓄から投資にシフトさせるべく、NISA(少額投資非課税制度)の抜本的な拡充を図る。また、現預金の過半を保有している高齢者に向けて、就業機会確保の努力義務が70歳まで伸びていることに留意し、 iDeCo(個人型確定拠出年金)制度の改革やその子供世代が資産形成を行いやすい環境整備等を図る。」としている。
資本の側は自らが供給しないのに日本にはリスクマネーが不足しているという主張を行なってきた。ベンチャーなどへの投資が不足しているというのは、資産家がリスクテークしないからである。大した資産を持っていない労働者、勤労階層、とりわけ退職者の貯蓄を動員しようというのは、リスクの押し付けであり荒唐無稽の「プラン」と言えるのではないだろうか。
仮にある程度の労働者、勤労階層の貯蓄が株式投資に回ったとして、日本企業は増資でその資金を受け入れ、設備投資を積極化していくのであろうか。むしろ金融資産を蓄積しすぎている日本の独占資本が、実物投資のために増資を必要としているとは思えない。資金調達が企業の投資のボトルネックになっているわけではない。既存の株式所有者の株式が勤労者などに移転するだけだ。内外の機関投資家や資産家が保有する株式を勤労者に売却した回収資金が新たなベンチャー的な実物投資を呼び起こすだろうか。これは「風が吹けば桶屋が儲かる」という程度のロジックに過ぎないのではないだろうか。
むしろ、このプランの狙いは株式市場の株価持ち上げ策でしかないのではないのだろうか。一般国民大衆に株価上昇によるキャピタルゲインを得させることを目的にしているのならば、日本経済全体のネズミ講化政策であると言わざるをえない。本源的な利益からではなく表面上の評価益が増加するだけで資産増加が起きたと社会全体を錯覚させるバブル経済への道である。これもまたリスク負担の勤労大衆への押し付けなのである。
資金の移動という観点でみれば、この政策の結果として生じるのは、機関投資家を中心にした外国への証券投資の増加=資金流出だろう。つまりは円安政策でもある、ということになる。

資産所得倍増の意味するもの

ところで、「資産所得倍増」とはそもそも何を指しているのであろうか。岸田政権によるプランが本気で個人の資産所得を倍増させようとしているようには思えないが、その意味するところは押さえておきたい。
所得倍増でもなく資産倍増でもなく、「資産所得」倍増である。つまりは資本の投下に対するリターン=利潤の倍増を目指すというのだ。資産を持っているものだけを優遇するということに留まらず、その資産所得を生み出す労働者の搾取の強化につながる政策であるということに留意すべきだ。これは国内の労働者だけではなく、日本が投資している海外の労働者の搾取も強化するぞ、という宣言に他ならない。岸田の「新しい資本主義」とは労働者の搾取の強化のことだったわけである。
資産所得とは、国民経済計算の用語でいえば「財産所得」のことである。財産を持っているものが、財産を所有しているというだけで得られる所得という意味だ。まず、これが日本でどのようなレベルで推移してきたのかをみてみよう。2020年度の国民経済計算によれば、家計の財産所得の合計は27兆2693億円と推計されている。内訳では、利子所得が6兆8301億円、配当所得が7兆1354億円、その他の投資所得(保険契約者に帰属する投資所得、年金受給権に係る投資所得、投資信託投資者に帰属する投資所得)が9兆9527億円、賃貸料が3兆3511億円となっている。倍増ということは50兆円以上の財産所得を目指すということになるのだろうか。
家計の財産所得は1990年代に主に利子所得が減少することで、50兆円弱あったものが25兆円水準に落ち込んだ。利子所得の減少は国内の利子率が大幅に下がったことに起因している。金利は80年代後半から大きく下がったが、中長期の預金や債券の利子はすぐには減らないのでタイムラグを持って下がったということである。逆に企業部門からの所得として配当所得が大きく増加した。1994年度では1兆3904億円に過ぎなかったので2020年度には5倍以上になっている。その他の投資所得も減っているが、これは利子的な所得がかなりの部分を占めているためであろう。賃貸料の水準は大きく変わっていない。
ここで注意しておきたいのは、配当所得の裏側には、配当されていない株主に帰属する利益=内部留保があるということである。日本の上場株式の平均的な配当性向(利益に対する配当の割合)は30%強であるので、配当金の倍相当の額の内部留保があり、それが株主に帰属する。2020年度でいえば、14兆円程度あると推測できるだろう。これも計算に入れれば財産所得は40兆円程度だということになる。
さて岸田首相はどのようにしたら、この財産所得を倍に増やせると考えているのだろうか。利子率が現在のような超金融緩和によるゼロ金利状態から脱することができれば利子所得はある程度回復するかもしれない。しかし、直接には銀行による預金に対する支払い利子が多いであろうものの、それは銀行が貸付や国債購入などによって得た利子からの分配である。その源泉の一つは企業の営業利益である。金利が上がれば企業の支払い利子は増加し、従って企業の利益は減少し、従って配当にもネガティブに作用する。財産所得全体を増やすには企業の営業利益を増やすことが必要である。
ただし、企業は保有金融資産を大きく増やしてきたので、利子収入が増える場合もありえうる。国債の支払い利子が増加して、それが銀行の支払い利子となっていくルートもあることも考慮すべきであろう。
金融資産自体の金利商品から株式などのリスク商品へのシフト=「貯蓄から投資」はどうであろうか。例えば、個人の株式投資が進み、企業が増資してバランスシートの株主資本が増加し、その分負債が減少すれば、営業利益の分配が支払い利子から株主帰属利益に移行するが、全体は変わらない。これも営業利益が増加しない限りは、家計に行き着く財産所得も増加しないのである。
とどのつまり、この世に財務的な操作で所得を生み出せるような錬金術など存在せず、家計の財産所得を増やすには、財政赤字を増やすか企業の営業利益を増やす他ないわけである。岸田首相の「資産所得倍増論」には、この営業利益をどう増やすかという方策はない。しかし、技術革新にせよ市場開拓にせよ、企業が資本を増加させつつ利潤を大きく増加させるためには、労働分配率を下げ、つまり剰余価値率を上げ、労働者への搾取を強めることになるほかはない。

資本主義そのものが問題なのだ

グランドデザインでは、大項目として「社会的課題を解決する経済社会システムの構築」を立てている。その中で「金銭的リスク・リターンに加え社会面・環境面のインパクトを考えるマルチステークホルダー型企業社会を推進する」としている。しかしながら、それは何らかの政府規制や経営への労働者参加などで達成しようというものではない。例として米国におけるベネフィットコーポレーションの拡大が指摘されている。ベネフィットコーポレーションは米国の35の州とワシントンD Cで認可されている企業方式で、あくまで「営利企業」の一形態である。実際には営利企業がベネフィットコーポレーションだと登録すればいいだけであり、株主利益だけでなく従業員や顧客、地域の利益も考慮した経営を行なっています、と言えばいいだけのものなのである。唯一、デラウエア州だけが企業名にベネフィットコーポレーションを入れることを条件にしているだけである。この定語で行けば、すでにほとんどの日本型経営とかS D Gs重視と言っている日本企業はベネフィットコーポレーションを名乗れるのではないだろうか?そもそも機関投資家などの大株主は企業評価にあたって短期的利益より長期的利益成長を重視するものであり、その成長期待が企業の動向によって株式市場では大きく振れることによって株価が変動するだけのことである。決して株式市場で短期的利益が重視されているわけではない。企業のS D Gsへの取り組みや株主以外のステークホルダーも考慮というのは最終的には株主の利益につながると考えるからなのである。これは特段、新しいものでもなんでもないし、現在の資本主義の行き詰まりの問題を解決するものでもない。我々は資本主義こそが問題であると言わなければならないし、「新しい資本主義」ではなく社会主義を対置しなければならない。

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