TSMC誘致に盛りあがる熊本 日本は、なにに「投資」しようとしているのか

月刊「まなぶ」2024年4月号所収

台湾の半導体受託製造業TSMC誘致で盛りあがる熊本。地域経済への期待も高まっています。

 TSMCによる熊本の2工場新設は総投資額が3兆円規模になるとされています。金額の面からは大規模な工場建設ですし、生産能力の点からも新鋭工場と言えるでしょう。今回の半導体工場新設による雇用は、2つの工場を合わせて、おおよそ3400人と発表されています。新規に生まれる雇用なので、地元の雇用状況にはプラスに働くでしょう。2024年1月時点での熊本県の有効求人倍率は1・28倍で、全国平均(1・27倍)とほぼ並んでいます。ただし、現在は2022年の人手不足状況と比べると労働市場が緩和してきているので、求人(パイ)が増えることは、地元経済にとっては大事です。熊本県の職業紹介所における現在の求人数は3万6千人程度で推移していますので、ここに3千人の求人が上乗せされることはインパクトがあると思われます。ただし、求人の職種や内容が、必ずしも現在の熊本県で雇用可能な労働力とは限らず、他地域からの移入に頼ることになるかもしれません。しかし、その場合には人口そのものの増加につながるので、これも地元経済にはプラスです。
 その一方で、半導体産業から熊本県内の他の産業への産業連関を通じた経済効果の波及度合いはあまり大きくないと思われます。国の産業連関表(2015年)によると、半導体素子や集積回路が主な電子デバイス生産のために使われる材料などの比率(中間投入比率)は61%とかなり高いのですが、電子デバイス自身の投入が17%と大きく、他産業からの調達比率は44%となっています。シリコンウェハーなどコアの材料などは他地域の専門工場から持って来ざるをえませんので地元への需要は大きくならないでしょう。また、設備の減価償却費が生産額の24%を占めていて、半導体の生産は製造設備に依存した構造です。賃金に当てられているのは生産額の11%にすぎません。半導体生産は、資本の有機的構成が相当に高度化(労働力に組み合わされる生産手段の増大)した産業であるとも言えます。
 工場建屋の建設途中では、地元の建設業の雇用も一時的に増加しますが、建設がひと段落すると不要になります。半導体工場の場合、自動車工場のように部品などの工場が近くに立地している必要もありません。工場のメンテナンスのため資材調達はされると思いますが、2倍位以上の規模に波及することはないでしょう。工場の立地がされる菊陽町は、熊本市中心部から車で30分程度、熊本空港から15分程度にあります。素材の供給も半導体の出荷も航空機輸送が前提とされているようです。

半導体は、かつて日本のお家芸だったと聞きます。 どうして凋落したのですか。

 日本の半導体産業振興は、1976年に通産省(現在の経産省)のプロジェクトとして「超LSI技術研究組合」がつくられたのが出発点でした。富士通、日立製作所、三菱電機、東芝、日本電気、日電東芝情報システム、コンピュータ総合研究所の7社が共同研究を進める体制を国が主導して設定し、半導体の集積度を高める技術開発を行いました、これによって日本における半導体の大量生産が開始されたのです。80年代になり、VTRなど家電製品への応用で日本は電気製品の輸出大国になりました。しかしその後、家電品でもパソコンなどの分野でも、韓国、台湾や中国メーカーに価格競争で勝てなくなり、日本メーカーは、こうした川下の製品の国内生産から撤退していきました。
 半導体製造は大規模で多額の投資が必要になりますが、80年代以降の半導体産業発展の過程では、汎用性の高い半導体の価格が大きく上下し、投資リスクの高い産業になってしまいました。これは、韓国や台湾の企業が半導体製造に本格的に参入した結果でもあります。日本企業はもともと技術面で半導体の中でも付加価値の高いCPU(中央演算処理装置)などで米国メーカーに後塵を拝していました。日本は集積度を上げる技術では世界最高レベルでしたが、情報科学のアプローチが必要なプロセッサの設計技術では米国メーカーに敵わなかったと思われます。そのため日本の半導体製造は半導体メモリーの汎用品(DRAMやSRAMなど)の大量生産に傾いていきました。近年、日本において半導体の大量生産が減少したのは、技術的に衰退したというよりも、汎用品の大量生産のための投資リスクと強烈な価格競争によって採算性が合わなくなったからだと言えます。汎用半導体の大量生産事業はスクラップの対象になったわけです。
 しかし、半導体製造装置や素材(シリコンウェハー)の分野で日本企業は依然として高いシェアを維持しています。たとえばシリコンウェハーでは世界シェアの3割を信越化学が握り、日本企業全体では4割のシェアです。半導体製造装置でも種類によって差があるものの、全体として3割程度のシェアを日本企業が占めています。半導体製造装置や材料の生産は、半導体の生産そのものよりもずっと技術集約的です。また、半導体素子を包むパッケージでは、日本企業のシェアは5割以上あり、TSMCもイビデンなどの日本企業に供給を依存しています。TSMCのような半導体製造企業は、こうした装置や材料を購入し半導体素子を生産しているのです。つまり日本は、直接半導体素子を生産していなくても製造装置や材料費の多くを占める、したがって半導体生産企業の不変資本の多くを占める分野にシフトしていったとも言えます。日本企業が半導体分野において「凋落した」とは言えないでしょう。
 では、なぜ半導体の大量生産工場を国が再び多額 の補助金で支援しようとしているのでしょうか。国の支援を受けた半導体工場の新設・増設はTMSCだけではありません(※)。現在、半導体不足が顕在化していますが、それが市場価格の上昇をもたらして生産の収益性が上がれば、半導体製造企業はみずから投資を行うわけですから、一時的な需給の問題に国家が補助金を出す必要はありません。国が補助金を出す理由づけは、「経済安全保障」です。政府は、米中関係の悪化、日中関係の悪化という国際政治上の問題を理由にあげています。政治的理由で重要産業への供給を断たれないように自前で生産する必要があるというわけです。その際に意識されている重要産業の需要家とは日本の自動車メーカーです。トヨタなど自動車メーカーの半導体需要がますます大きなものになっており、そのために国内生産を確保したいとなっているのです。

半導体には、どんな社会的役割があるのですか。

 1980年代以降、産業の情報化=IT革命の進展によって、それをハード面から支える電子機器の大きな部分を占める半導体は、「産業のコメ」と呼ばれるようになりました。それまでは「産業のコメ」は鉄を指していました。建物を建てるにもさまざまな機械を製造するにしても、鉄が最も基本的な素材だったからです。そして半導体は、鉄と同じように多くの生産物に必要な存在となったと考えられるようになったわけです。ラジオが真空管からトランジスターに変わったのを皮切りに家庭電化製品のほとんどに半導体は使われるようになり、近年では自動車のかなりの部分が半導体でつくられた部品で占められています。スマホやパソコンは半導体の塊です。
 製造業のオートメーション化やロボット化の進展、事務作業のコンピュータ化の進展はますます半導体への需要を高めてきました。インターネットの発達による通信のデジタル化やそれを梃子にしたデータの集積も産業のあり方を変えてきました。そして現在は、人工知能(AⅠ)の本格的な活用に一歩踏み出した状況にあると言えるでしょう。情報科学の世界ではAⅠの応用については1950年代から取り組みがあり、現在は第3次ブームと言われています。半導体技術の進化で大容量のデータが蓄積可能になり、それを高速で処理することが可能になったため、それまでのコンピュータではできなかったAⅠみずからが大規模データを解析して知識を獲得する機械学習の技術が実用化できるようになりました。これがAⅠ開発のブームを呼び起こしています。
 1999年に半導体設計大手の米・エヌビディアが、グラフィック・プロセッシング・ユニット(GPU)を開発しました。これは、複雑な画像処理を高速で行うためにデータの並列処理が行えるようにした半導体プロセッサです。そしてコンピュータの画像処理にGPUが活用されるようになったのですが、AⅠ開発が進むようになったことによって、GPUの並列処理機能が注目されるようになりました。現在ではAⅠ開発を行う並列処理型のコンピュータのコア部分にGPUが必要との認識が高まっています。GPU はCPUよりも高速かつ高いエネルギー効率で技術計算を実行します。つまりGPUは、AⅠのトレーニングや推論において力を発揮することがわかったのです。
 2023年5月にエヌビディアとTSMCが生成AI向けの専用半導体を共同開発すること発表しました。GPU設計で鍵を握るエヌビディアと半導体の受託生産で半分以上の世界シェアを握るTSMCの提携は、AⅠ時代の新たな大独占の出現となるかもしれません。生成AⅠの本格的な活用は、すべての産業分野において合理化を進める大きな手段となるモノです。大企業がこれを推し進めているのは、産業における合理化を進め、労働力の削減を進めることで利潤を獲得しようという動機にもとづいています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?