大量失業への岐路にたつ日本経済(1993年)

「社会主義」1993年11月号(社会主義協会
                              北村 巌

はじめに

 日本の景気の現状は、簡単に不況局面の長期化と言い表すこともできよう。しかし、単なる短期的な景気循環の観点からのみ今回の不況を位置づけることはできない。現局面では過剰生産設備とりわけても建造物の長期的な調整過程が始まっており、今回の不況は日本に大量失業をもたらし、それを長期化させていく入口にあるといえるからである。
 これはまた85~86年頃に「一流の帝国主義」へと日本が飛躍して以来の本格的な調整過程への突入を意味するものであり、日本の階級関係に重大な影響を及ぼすものとして分析されなければならない。政権交替の基礎条件もここにあるからである。

一 前回好況の特徴

 経済企画庁の景気基準日付によれば前回の好況は86年11月を起点として まで続いたということになっている。実際には87年前半まで大量首切りの嵐が吹き荒れ、労働者の立場からすればとても景気が上向いていたという実感はもてなかった。事実マスコミは87年秋頃まで円高不況だ、日本経済は円高によっておしつぶされると騒ぎ立てていた。
 しかし、客観的にみれば事態は違っていた。いわゆる第一次オイルショック以降、日本の重化学工業における過剰設備調整はその最終段階に到達しており、円高による競争力の減退から87年前半に設備廃棄や大量首切りが行われたときにはむしろ生産能力はカラカラの状態にまで落ち込んでいた。
 一方で円高と原油価格暴落による交易条件の向上は産業間に大きな不均衡をもたらしながらも、全体には企業部門に大きな資金余剰をもたらし、日銀の金融緩和政策の進行とあいまって地価・株価の高騰という事態を生んだ。
 「円高」不況といわれる中で最終的に公共投資の増加による財政からの景気対策で景気は上向きほぼ15年ぶりの建設投資を中心とする設備投資主導の景気拡大へと経済情勢は変化していったのである。
 日本経済全体としての資金余剰はずっと続いたために、この好況は最近では「バブル」と名付けられ異常な事態であったと見られることが多いが、実態は設備投資好況であり、本来の意味における「バブル」は87年10月のブラックマンデー暴落において終了していたというべきである。
 この時期の好況の特徴は74~75年不況以来はじめて実質的に雇用の拡大をもたらし、最終的に中小企業の賃金上昇率を高めるところまでいったということである。労働力の輸入(外国人労働者の流入)も飛躍的に増加した。資本の側からみれば労働組合運動そのものは総評の解体を成功させるに至ったが、労働力需給の逼迫は職場段階での労資の力関係に影響を及ぼす問題である。資本主義はつねに失業者の存在を前提にしなければ存立しえなくなるのでる。
 そしてそのことが設備投資主導の景気を反転させた。経済要因では賃金コストの増大による企業の収益率の低下は景気の過熱していた90年の段階ですでに表面化していた。設備投資意欲は急速に冷えていった。これは景気の過熱によるインフレ傾向による金融引き締めと企業収益の低下で90年には株価が大きく暴落していたことに象徴される。
 資本の側の教訓は景気を過熱させないことであった。「バブル」批判、「人手不足」の大合唱を通じて強めの金融引き締めを継続させ労働市場における本格的な需給緩和を要求したのである。

二 不況のメカニズム

 今回の不況のメカニズムはきわめて明解である。その主因は設備投資の反転であり、過剰生産設備(過剰実物資本)の形成とその調整の必然性によるものである。
 名目ベースで設備投資/GDP(国内総生産)比率をとると、前回の景気過熱時にいざなぎ景気のピーク以来の高水準になっていたことがわかる。そうした過剰な設備投資、とくに建設投資の形成が景気を引っ張っていたわけであるから反転すれば、逆に加速度的な需要の落ち込みをもたらすことになる。その意味で今回の不況はきわめて典型的な設備ストック調整局面としての不況の性格をもっている。
 もう一つの要因は金融面にあった。いわゆる「複合不況」説にみられる金融自由化主犯説は誤りであると筆者は考えているが、80年代以降の日本資本主義による搾取の強化が生みだした過剰な貨幣資本の形成に問題があることは確かであろう。これは実は80年代に入ってからの主要資本主義諸国全体の問題でもある。
 過剰な貨幣資本とは実物の生産的資本とは対応しない貨幣形態の資本部分であり、住宅ローンや消費者信用など労働力の再生産過程への貸付=労働者の追加的搾取や国家の非生産的な事業、例えば軍備の拡大のために増加する国債への投資、あるいは外国への貨幣形態での資本の流出(相手先で生産的資本に転化しない場合)である。こうした過剰な貨幣資本は実物資本のために需要を創出する役割も担っている。
 不換通貨制度における金融政策はこうした事情に対して、次のように作用すると考えられる。金融緩和によるハイパワードマネー(現金通貨および準備預金)の追加供給(中央銀行の負債の増加)は、流動性の供給によって景気の拡張を確実なものにし、過剰な貨幣資本が経済全体に需要追加の役割を担うことを保証する。逆に引き締め政策は、それを中断させるのである。
 89年半ばから始められた金融政策の引き締め方向への転換は90年の半ば頃にははっきりと効果を表した。まず金融引き締め政策は株式市場の不振をもたらし、このルートからの企業の資金調達を中断させた。また91年に入ってくると長期金利も上昇した結果、貸出金利が企業収益率を上回るようになり、設備投資を抑制するようになった。それでも表面上この時期に設備投資が急減しなかったのは、その多くがビル建設などの建設投資であり計画から実際に投資が進捗するまで大きな時間的ズレが生じることが指摘される。
 また金融の引き締めは土地価格の下落によって融資担保価値を引き下げ、銀行部門に多額の不良債権をもたらした。これは銀行の融資態度、資金運用態度に影響を与えた。不動産部門への積極的な融資は急減し、貸し倒れリスクの大きい消費者信用も切り詰められた。証券投資についても慎重姿勢に転じた。
 こうした事態が急速にやってきたため、92年の夏には金融恐慌の寸前にまで、金融情勢は悪化していたとみてよい。日経平均株価が14000円までつっこんだ時期である。これは独占資本にとってややシナリオ外の情勢の悪化であった。
 このパニックはいわゆる10兆円景気対策のアナウンスメント効果と公的資金による大量の株式買い支えという非常事態対策によってかろうじて回避されたといえるであろう。
 実態景気の悪化はさらに継続し表にみるように日本の今年4-6月期の実質GNP成長率は前年同期比でマイナス0.8%へと落ち込んだ。このようなマイナス成長は日本経済のバランスを大きく崩した。日本の労働人口は現在でも年1%程度は増加しており、趨勢的な生産性の上昇も2.5%程度はみられるので、実質成長率(この場合はGDP)が3.5%程度はないと経済バランスが維持されない。すなわち、失業の増加が起きることになる。そして需要の減少が設備の過剰状態をさらに悪化させ景気の落ち込みをひどくさせる。いわゆる潜在成長率と実際の成長率とのカイリである。
 大企業は需要の減少にたいしてこれまでおもに新規採用の抑制や季節工・パートの首切り、時間外労働(手当)のカットで対応してきたが、今後は既存の雇用調整を本格化させるであろう。とりわけ対象となるのは中高年労働者である。またいわゆるホワイトカラーの過剰感が強いといわれている。これは個人消費の減退につながり、日本経済は景気の完全な底割れの事態に直面している。完全失業率は来年末には3%台の半ばにまで到達していく可能性が高い。

三 資本の利害と景気対策

 では金融引き締めによって反転した景気が現在1.75%にまで公定歩合を引き下げるまでの「金融緩和」政策によってもなぜ回復に向かわないのかという疑問がでてくるであろう。
 第一に日銀の金利引き下げはいままでつねに企業収益率の低下に対して遅行しており、設備投資を反転させる要因にならなかったといえる。これは金融政策の失敗といわれるが、一方で財政面からの需要創出政策が発動されなかったため、最終需要の急速な鈍化の中で企業収益率に立ち直りの契機が生まれなかった事情も考慮されなければならないだろう。日銀は92年の半ばまではつねにインフレとバブル再発への警戒と人手不足を指摘し続け積極的な緩和に転じなかったのであるが、これは前にも述べたように労働力需給の緩和を望んだ独占資本の意図を体してのことだったのである。
 独占資本にとって現在の不況は短期的な循環の観点からいえば克服しなければならないものであることはまちがいない。しかし、労働力の需給関係を再び逼迫させるようなブームを高いコストをかけて再現したいとは意図していないことも同時に事実である。
 もちろんどの程度の景気対策が必要であるかについて独占資本内部に多少の利害の違いも存在している。第一に高級官僚層は積極的な景気対策を財政支出の拡大によって行うことには反対である。昨年8月に自民党宮沢内閣(当時の大蔵大臣は羽田)によって表明された10兆円景気対策はその中身がそもそも10兆円ではなかったうえ、政府の経常支出を3兆円削ることで実質的な財政バランスの悪化は小幅に維持され、景気対策としては大きな効果はなかった。そもそも財政赤字をつくるから景気対策になるのであって景気対策のために財政のバランスは維持する方策をとるのならそれは景気対策にはならない。
 いわゆる産業界=大企業の経営者層は5兆円所得減税論にもみられるように、ここにきて所得減税による「景気対策」に熱心なようである。しかし、「中堅サラリーマンの負担軽減」というスローガンとはうらはらに、累進制の緩和プラス消費税率上げを柱とする税制改革として行うという流れになっており、これは実はまったく景気対策ではない。景気対策に名を借りて低所得者から高所得者に所得移転を行うものであり、まったくの詐欺行為というほかはない。規模が大きいほど悪質であり、堺屋太一の「10兆円減税、消費税10%」論などという税制改悪を行えば、税制改悪を通じて消費性向の低い高所得者にもたらされた減税額のほとんどが消費にはいかず貯蓄に回ることで景気をさらに悪化させ経済のバブル的体質をさらに深化させる結果に終わることは明白だ。
 もしも、米国クリントン政権が日本政府に要求しているように減税と増税を時間差で行うとしても景気対策としての効果はほとんどないというべきである。なぜならば時間差によって一時的に耐久消費財への需要が生まれても増税時にはそのきつい反動がくるわけで本当に景気を押し上げることはできない。もっとも増税の時期が10年後であるとか、失業率が2.2%以下に低下しなければやらないというのであれば話はべつであるが。つまり、財政赤字をつくろうとしない政策はすべて無効である。
 また、経営者層のうちでも輸出企業はとくに米国からの圧力の手段となっている円相場の動向には大きな利害をもっており、金融政策の発動による円安方向への転換や財政政策の表明による米国の圧力かわしには熱心である。
 しかし、かれら経営者層も本当はマクロの景気対策には興味はない。企業収益の維持のために合理化=リストラクチュアリングの進行をよりやりやすくしてくれる政策こそ望みなのである。その意味で細川連立政権の打ち出した「規制緩和」は絶好の政策路線であるといって過言ではないだろう。規制緩和は一般的に経済における自由度が大きくなることを意味するわけではなく、規制のあり方、体系付けの再編としてとらえられるべきである。

四 大量失業発生の必然性

 このような政策のもとでは景気が短期的には在庫循環的に多少改善することがあっても本格的な回復はありえず、したがって今後予想される大量首切りがほぼ不可避になってきていると考えられるのである。
 まず雇用関連指標の最近の動きを概観してみよう。製造業の所定外労働時間は91年8.8%減少、92年22.9%減少と2年間で大幅に減少した。もちろん、この反面不払いの時間外労働が増加している可能性は高いが、資本側のコスト削減という意味においては時間外手当のカットはやれるところまでやったという状況である。最近では時間外労働時間の減少率はやや小幅になってきており、93年7月は12.3%であった。これは時間外のカットが限界に近づいていることを示している。
 そこで常用雇用指数(製造業)の動きをみると、時間外が大幅に減少し始めた91年にはまだ2.5%のプラスの伸びであったのが92年には0.7%の伸びに鈍化し、今年2月以降は前年同月比の伸び率がマイナス(93年7月はマイナス0.7%)となっている。ここに時間外カットや季節工・パート労働者の首切りだけで対応しきれなくなった資本が本格的な正規労働者の首切りに手をつけ始めた動きが読み取れる。
 こういう情勢になってくるともはや短期的に在庫循環的な景気の改善が現れても雇用削減の手が緩められることはない。なぜならばそうした事態には時間外労働の増加やパートなどの雇用で対応すれば済むからである。
 総務庁の発表している完全失業率は92年2月の2.03%を底にして2.53%(93年7月)にまで上昇しているが雇用情勢の悪化の程度はここにはよく反映されていない。もちろん、この完全失業率も今後月を追うごとにさらに悪化を辿ると予想されるが。
 これに対して公共職業安定所における求職と求人の比率である有効求人倍率はドラスティックに低下しており雇用情勢の急速な悪化をよりうまく反映しているといえるだろう。有効求人倍率は92年10月に1倍を割り込み、93年7月には0.72倍へと低下した。
 こうして求人のない中で正規労働者の大量首切りが行われようとしているのであるから、大量失業が発生するのはもはや不可避である。しかも、首切りは賃金コストの高い中高年者に集中する可能性がありその深刻度合いもすさまじいものとなるだろう。

五 何を要求すべきか   -規制緩和路線の犯罪性

 こうした雇用不安の中で労働運動が反失業闘争を強めなければならないことはいうまでもない。一方において労働者政党はいかなる役割を担うべきでありまた担うことができるだろうか。
 これまでにみてきた景気の現状に対して労働者政党が「規制緩和」をもってして「景気対策」とするなどというのは、労働者階級への裏切り以外の何物でもない。これは社会主義政党としての資質の問題などではなく労働者政党あるいは勤労国民の党(生活者の党としても同じ)としての資質の問題である。
 政府方針の個別の規制緩和にはもちろん文句をつけるほどでないものもある。しかし、「規制緩和」路線全体は、日本経済全体の合理化を貫徹しようというものだ。政府規制の撤廃は、直接的には官僚の権限の縮小であったり、一部業界の独占利潤をはぎ取ったりするものであるが、しかし、同時に労働現場における合理化を必然とするものであり、中小企業者の生活基盤を奪ってプロレタリアへと追い込むものである。
 それでは労働者政党は、何を要求すべきか。まず、不況にたいして資本の収益性の回復(そして投資の回復)を通じて解決しようという資本主義的な「景気対策」にたいしては批判的でなければならない。そして第一に重要なのは失業対策である。産業別、地域別の具体的対策を要求すべきだ。もちろん、これは労働運動との連携なしにはできないことであるが。
 第二に税制改悪への大衆的反対運動を惹起しなければならない。堺屋太一流「減税論」(実質は大衆収奪の強化)のうそを積極的に暴露することが大切である。
 第三に生活基盤の整備の要求である。これは地方政治のレベルで住民の具体的要求を積み上げて行わなければならない。独占資本の側は「公共投資といってももうつくるものなどない」とうそぶいている。そして不況に直撃された税収不足による地方財政の悪化から住民要求を拒否する態度を強めるであろう。これにたいして財政の制約という資本の論理に対抗していくことが是非とも必要である。「赤字で何が悪い」と開き直る態度が大事だ。そうしたせめぎあいの中から「地方分権」を標榜する保守新勢力の本音を暴露することが可能になるだろう。


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