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【議事録公開】岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』読書会

※本イベントは終了しております。有料部分では議事録を読めるようになっております。

読書会詳細


課題本 岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』

時間 10月23日(日)15時から17時くらい
場所 ZOOM(有料部分記載)

本のあらすじ

うっかり踏み込んだ先は「魔界」だった…
理論も“ご高説"も役立たず!?
実践・街場の民主主義1000日の記録

小学生の保護者たちの胸をざわつかせる「PTA」の存在。そんな場所にうっかり義憤に駆られて、政治学者が踏み込んだら……?政治学の思考のフィルターを通して、PTAを見てみたら浮かび上がってきた、「スリム化」を阻むものの正体、「やめよう! 」が言えない大人たち、「廃止」が必ずしもベストではない事情…。そして、コロナで学校が閉ざされた時、PTAが果たした役割とは?
今の時代に合うPTAの形とは、続ける意味とは何か?身近な自治の場「PTA」での著者の1000日を通じて考える、私たちの「自治」の話。

もくじ
はじめに 千差万別だけど「自治」としてのPTA
第1章 手荒い歓迎
第2章 「変える」がもたらすもの
第3章 現場という偉大なる磁場
第4章 自分たちで決めるということ
第5章 コロナ禍になって見えたこと
おわりに 僕たち持つ力を思い出す

選書理由(もっち)

はじめましての方が多いでしょうか、SOCIALDIA(ソーシャルディア)という人文イベント団体をやっているもっち(@mocchi20xx)と申します。

個人的なイベントですが、転勤のため東京に越してきて早半年がすぎました。SOCIALDIAは大阪にずっと拠点を構えて読書会や対談企画を実施してきましたので、東京での読書会は久しぶりですね。東京では昨日(9/27)は国家的葬儀イベントをやったりしているようで、何かと「私」と「政治」あるいは「国」のことが話題になっています。

「私」と「政治」あるいは「国」のことというと、いまの日本ではどうしても「誰が敵で誰が味方か」の友敵を作る言葉であふれがちです。ちょうどゲンロン友の声では東さんがこんな質問にも答えていました。

#ゲンロン友の声 |025 】揺るぎない正義を信じることに違和感や後ろめたさをもってしまいます

ここで質問者がとても良い悩みを相談しています。

私は何か一つの社会的・批評的立場に対して信念を持つことができません。(省略)一言で言うと、何か自分の中での揺るぎない「正義」を信じることに、そしてその視点で持って社会や文化や政治を切り取ることに、すごく違和感や後ろめたさを感じる性格です。

何か一つを信じることができないという質問者に対して、東さんは以下のように言います。

まるで自分が書いた質問のようだと思いました。お気持ち、よくわかります。(省略)SNSなどではじつに多くの人々が結論が自明であるかのごとく意見を表明する。それはぼくには、複雑なイシューを政治的な友敵対立のコマにしているだけのように見えて、とても共鳴できません。そしてもうひとつの理由は、こちらが質問者さんが記したことに近い感覚ですが、「ほんとにそれ信じてる?」と思うからです。

何か対立をあおる論調への警戒感とともに、「ほんとにそれ信じてる?」という疑問をもつ東さん。この相対化の「うちなる声」とともに、相対化にあらがうような感情も人は持ちます。上記の文章ではさらに「当事者」の話に進むわけですが、まさに今回の読書会で考えたいのはこの当事者性についてです。

「私」と「政治」あるいは「国」のこととなると、相対化と当事者性はとても複雑になります。私たちは絶えず(選挙などを通し)当事者でいるはずにも関わらず、本当に意思決定をして「政治はこうなっている」という感覚を得ているとは限らないからです。

話を少し「小さく」しましょう。

例えばまさに今回の課題本の「PTA 」。
年100以上の「意味があるのかよくわからない」会議への参加は、聞くだけでも「それっている?」と思いますが、いざ当事者となるとどのように見え方が変わってくるのでしょうか。

必ずしも分断だけではない、「私が決める」小さな政治の話。そんなことを『政治学者、PTA会長になる』を通してみんなで話せたらいいなと思います。

議事録

※一部無料公開

PTAをみんなどう思っている?

ざっきー:PTA、僕らにとっては子供いたりするわけでもなく縁遠いのですが、子供時代に親がPTAに入っていたりで関心はある組織ですよね。PTA関連本をいくつか探してみたのですが、検索したらいっぱい出てきます。
ある日うっかりPTA』は著者の岡田さんも読まれていて、参考にしたとシラスで言っていました。あと『さよなら、理不尽PTA』や『PTA、やらなきゃダメですか?』。
マイナスなイメージの多いPTAの実態がどうなのかという本が多いようです。嫌なものだから距離を取って辞めていくべきという話よりは、子供のためや自分たちの楽しい活動にどう引き戻すかみたいな内容が多いのかなと思いました。

ざっきー:一方、PTAをみんなどう思っているんだろうというTweetを持ってきました。

もっち:親が教師なので、ParentsでありTeacherだったわけだけど、悪いイメージしかないですね。。子どもとか積極的に欲しくない理由ってPTAがあることが僕は大きいです。こんなものに入らなければならないなんて……。という感じ。
 
Y:親が小学校の時とかにPTAしていたなあとか、父親はマンションの管理組合で副会長とか「やらされていた」なという記憶があって、共感があります。やるひととやらない人が二極化するなと。それによって、ある人に負担が集中してしまうことがあると思います。無駄なことで変えましょうと言っても、先例があって変えられないことも気になりました。今やっている人にとっては変えた方が合理的なのに、前の人がこうやっていたから、変えちゃうとこうやってた人に失礼なんじゃないかとか。特にPTAやマンションの管理組合は、具体的に日常で関わる人がいて、お金をもらっているわけでもないから、ゆるっと人間的な継続関係がある中で物事を変える難しさがあるなと。そこが刺さりました。
 
ざっきー:マンションの管理組合の話はシラスでもされていました。

面白かったのは、宅配ボックスを付ける付けない話。おじいちゃんおばあちゃんが住んでいて、下まで荷物取りに上がってくるのが大変なんですよね。宅配ボックス付けちゃうと、下まで取りに行かないといけない。若い人からすると「めっちゃ便利じゃん」ってなるけど、それだけではないっていうことですね。あと先人たちの苦労へのリスペクトについても、先例を変えてしまうとひずみが生じてコミュニケーションが悪化していくのは、まさにありそうだなと思いました。
 
Y:このTweetでいうと、お金の問題もボランティアの話と関連するかと思うんですけど、本の中でいうベルマークと関係しますよね。ベルマークを集める作業に価値を見出して、その中で保護者と会話をすることに価値がある。PTAって経済効率的に考えると成立しないものだと思うんですよね。
この本の最後の方で、コロナになってから小学校1年生の保護者の方が、「何をどうやっていいかわからない」という悩みがあったと思います。当然ですけど子ども同士もコミュニケーションとれないし、保護者同士が知り合う場もないということが起きたとき、ほぼ社同士のセーフティネットになるのが、経済効率とは全く関係ない価値がPTAにはあったんだなと。時間を拘束させるというデメリットと、コミュニケーションを作るというメリットがある。
 
もっち:その二項対立をどっちかに寄せるということではないですよね。どっちかが正義というわけではない。
 
Y:そうですよね。自分も将来子どもができたときに、「PTA正直ダルそう」って思っちゃうところはあって。「ダルそう」な理由って、時間を取られすぎるってことで、月1回2時間だけの会合ならOKって思うんです。保護者同士のコミュニティとして、「他の親御さんはこう思ってるんや」って知れるので。でも休日に5・6時間となると……。
この本の中でも出てくるのが、専業主婦とフルタイムワーカーでしたよね。フルタイムワーカ―からすると休日や平日の勤務時間に行くのは無理で、時代と齟齬がある。専業主婦にとっては、PTAがコミュニケーションやケアの場でもあったんですよね。一方でケアの場がPTAである必要も21世紀には特になく、「PTA邪魔」って思う人もいる……。価値観とライフスタイルが多様な今だからこそ起きている問題ですね。

ざっきー:ベルマーク問題についても大変ですよね。「30人のママたちが4時間集まって台紙に貼り付け4000円」。
 
もっち:一人時給33円の労働だからやばいですよね。
 
ざっきー:著者としては備品も学校の経費で買えるからやめようと話すものの、そういう話ではないんですよね。具体的には夫の悪口とか姑のグチとかを吐き出して、ガス抜きをする場として機能している。PTAもスリム化とはいっているけれども、スリム化といってなんでも切っていいわけではなくて、ベルマークは平和を維持する筋肉だったという話ですね。ベルマークって皆さん学校に届けたりしてました?
 
もっち:僕のところにはプルタブがありましたね。缶のフタ。あれ集めたら車イスと交換できるっていうことでした。あれはなんでフタだけだったんだろう……。
 
ざっきー:ベルマークとグリーンマークっていうのがありました。あとこのベルマークには周辺の問題があって、お金は余っているけどあんまり使えないっていうことでしたね。30人のママ達ってことですけど、この性別での分業みたいなこともいまの若い家庭がどうなっているかは分からないですけど。
 
もっち:僕の会社とかは割と30歳前後で子どもいる人沢山いますけど、PTAやってたり、サッカーのコーチをしてたりする人はいますね。授業参観だから早く帰りますとか。男性もやっているかも。余談ですけど、田舎にある実家に帰って面白かった話なんですけど、「草刈りが土曜の〇時からあります。不参加の場合は3000円」みたいな書類があって近いものを感じました(笑) 
 
Y:それはそれでいいかもしれないですね。
 
もっち:参加したくなければお金払って回避するという。いいけど、モヤっとしますよね。そういう町内会や自治会ってPTAと似てそうです。
 
ざっきー:調べてみよう……。


” 「自治会」や「町内会」、それは地域やマンションなどに暮らす住民の、住民による、住民のための団体。全国各地に存在する任意団体として、住民間の親睦や地域のための活動など、それぞれ独自のスタイルで運営されています。”

だから、やっぱり似てそうですね。

もっち:そうですよね!逆にPTAについても、お金払って不参加とかありえるのかもしれないですね。僕なんかうっかり払っちゃいそうです(笑)
 
Y:夫婦そろってフルタームワーカーとかの場合は、それで会がの資金が潤うんなら、双方納得でよいような気もしますよね。

それはあなたの感想問題

ざっきー:なんでこんな忌み嫌われる組織になっちゃうかってことなんですが、「正論では通じない」ってことはありそうですね。
シラスのイベントで面白かったのが、「PTAの会議が平日の10時にあるとめっちゃいい」ってことです。朝起きて支度して、子供を7時50分に幼稚園に送り出すと。そこから8時50分までは家で洗濯物をつるして学校に行く。このあと学校に行くとちょうどいいスケジュールになるらしいです。でもそういうことをするとワーキングママは辛い。ただ、専業ママの言い分もあるわけで、ということですね。
 
もっち:オカケンさんが偉いのって、この対立に対する柔軟性ですよね。最初はぶっ壊すみたいに入っていったけど、柔軟性高くむかつきつつやっているというのが、ひろゆき的なものとの違いですよね。「それってあなたの感想ですよね」って言わないっていう。この世界って「感想」しかないから無限に止まりませんからね。

ざっきー:ポイント制度の問題もあります。ある活動したら1pt入りますよという制度。これはもともとの精度成立の背景は、子供がなくなってしまう事故に対しての献身だったわけですよね。活動の下限でなくて上限を設定する制度。それが、いまや効率的に12pt取るための制度になった。でも後半でわかるのが「気持ちを乗せた1ポイント」という話で、PTAに参加できない人が「協力できないけど申し訳ない」と思ってポイントを使っているケースもあるんですよね。社会学の「意図せざる結果」みたいな言葉がありますけど、まさにそんな感じ。
 
Y:ポイント制度、この本のハイライトだと思います。何かみんなやりたいと思ったけど、上限を設定して負担にならないようにしたという「善意」だったものが、時間がたって負担としてのしかかるものになってしまった。このスライドの「申し訳ない」ってことが核だなって思うんですけど、PTA反対って思っている人も、どこかで協力できなくて申し訳ないって思う人が大多数だと思うんですよね。3人子育てしている親御さんとか、夫婦そろってのフルタイムワーカ―みたいな、物理的に無理な人も、「PTA」とかほんとは大事だよなっていう気持ちもあると思うんです。追う言う人でも古紙回収だけならできる。さっきのベルマークの話もそうですけど、ベルマークのある商品買ったら子どもにもっていかせることはできるとか。参加できないことを「昇華」してあげる制度としてこれが存在するわけですよね。一事が万事そんな感じで、「PTA絶対いや」とかでなく、人間のグラデーションが出ているエピソードで良いと思いました。実際の組織運営で大事な話。
 
ざっきー:この本読んだときに、「オカケンさんはめっちゃコミュ力あるからできたのでは?」と言われかねない本なのではと思ったんですけど、実際そうではなくて、小さい積み重ねとかでなんとなく良くなっていくことの実践がコレですよね。

人間関係は続いていく

Y:あと忘れがちだけどとても大事なのが、「人間関係は継続する」ってことだと思います。PTAも自治会も、顔の見える範囲のコミュニティでPTA参加していないとなると、すれ違ったときに日常レベルの会話で困ってくる。小学生や中学生を終わっても、地域にいる限りはいろんな人とすれ違い続ける。人間関係が続くから申し訳なさが続くし、制度を変えられないのも、以前やっていた〇〇さんががんばったことをなくすと失礼だからってことですよね。例えばこれが仕事だったら、関係続かないから転職とかですぐやめてもいいわけですよね。
 
ざっきー:シラスのタイトルも「半径1キロの世界から考える日本の組織」だったので、その身近な感覚はありますよね。
 
もっち:僕の読後感としてはちょっと違くて、この本では「人間関係継続に起因する不安」からの解放かと思ってます。いかにして参加しないことで罪悪感なくて良いっていう風に意識を変えるか。だからこその「活動」の打ち出しでもあったし、最終ゴールは、「人間関係継続する」けどPTAに参加しなくても自由にいられるみたいなことだと思いました。

ざっきー:「ボランティアはもともと不平等なもの」なんですよっていうのが大事で、そもそもボランティアってやりたいからやるものなんですよね。この本でも「義憤」が出てきて、いい言葉だなと改めて思いました。これに「平等」とかの発想が出ると、「比べる」ことがでてきてしまう。最後のPTA十訓から引用ですけどボランティアは「幸福な不平等」であり、あと評価基準はたった一つ「ありがとう」ということですよねということですね。
 
もっち:このボランティアと不平等って、「こういう考えではないですよ」って意味で出しますが、社会学でよく「機会の平等」「結果の平等」って言葉がある。新自由主義的な発想で「機会」が全員均等だからよいよねというか、あるいは結果のみへのコミットなのかですが、実はこれらはどっちも差別/不平等から逃れられないって言うことがあるんですよね。「機会」は逃した人が悪いし、「結果」についても頑張りが認められないとかになってしまう。その時、前提として「幸福な不平等」を打ち立てるというのは抜本的な解決かと思いました。
さて、僕も気になるところをいくつかピックアップしてきました。プロジェクトベースでやっていくみたいな話がこの本にも出てくると思うんですが、オカケンさんとはまた違う仕方での改革ということでちょっと話を持ってきました。

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