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【小峰ひずみ×荒木優太対談の前夜に小峰氏に色々聞いていくスペース】文字起こし(22/8/24)

本記事は8/26に実施された【小峰ひずみ×荒木優太 『平成転向論』刊行記念 いま考える、「転向」とは何か】の前夜に実施したスペース(小峰ひずみ×SOCIALDIA代表・塚本)の一部を再構成し、加筆修正を施したものです。その前半をちょっとだけ無料公開しております!

対談イベント本編は以下でアーカイブ販売もしておりますので、ぜひ合わせてご視聴くださいませ。
(2022年9月30日までアーカイブも購入&視聴可能)

『平成転向論』群像版と単行本、その違い

塚本:SOCIALDIA代表の塚本です。今回は小峰ひずみ×荒木優太『平成転向論』刊行記念対談「今考える、転向とはなにか?」を控えたスペースをしていきます。『平成転向論』の中身を整理しつつ、イベントに備えていただければと思います。そして大事なことは、とにかくチケットを買う、これです!(2022年9月30日までアーカイブも購入&視聴可能です)
『平成転向論』の読解のヒントとなるようなことをバシバシと聞いていきます。さっそくなんですが、『平成転向論』はSEALDsとそれらを取り巻く状況・知識人に対する「総括」をする本ですよね。SEALDsとそれまでの運動体は何が違ったのでしょうか。

小峰:SEALDsという運動体のイデオロギーに対する論駁っていうのは今回あんまりやってなかったんですよ。でも1960年代1970年代ではよくやられてたんですね。その最悪の結果が正直に言うと連合赤軍だと僕は思うんですよ。

塚本:論駁の最悪の結果が連合赤軍なんですか?

小峰:だと思いますね。左翼的な文体というものがもたらした最悪の結果が連合赤軍だと思うんです。山本直樹の『レッド』っていう漫画があります。

森恒夫という連合赤軍のリーダーの方が「主体は~~」、「共産主義的人間は~~」とかペラペラと喋るシーンがあるんですね。それを読んだ時に「これ自分にもできるな」と思ったんですよ。左翼の語彙とか文体とかを勉強してしまったので、森恒夫のような語り方や文体を自分はできる可能性があって、気をつけないといけないなと思ったんですね。絶対やらないけど(笑)

塚本:文体の問題ですね。まさに群像新人賞で評価されたのが文体だったっていうところもあるじゃないですか。

小峰:ありますね。一章から六章、つまり群像新人賞時の原稿の部分は、やっぱりある程度審査員に向けて書いています。つまり「批評の人」に向けて書くっていうのを意識して書いたんですね。一方で、書籍版で加筆した七章から十章になるとこれはどっちかというと運動家の人に向けて書いてるっていうところがあるんですね。なのでちょっと文体が過激になってるような気がします。特に十章なんかはそうですね。

塚本:確かに、単行本版は群像に掲載されていた時とはまた全く違う読後感がありました。

小峰:あーそうですか。群像の時とは違うと思いました?

塚本:全然違うじゃんって……。

小峰:えー、そうなん!(笑)みんなに言われる、みんなに言われてるんやけど……(笑)

塚本:言われてるじゃないですか(笑) 全然内容が違うというか……。これは人によるのかもしれないけど、僕は群像の文章の方がドライブ感はあったなと思いましたね。

小峰:あ、なるほどね!ぽん、ぽん、ぽーん!と行くような感じで。

塚本:左翼的なワードではアジテーションを強くしている感じがしました。単行本は長さが出てきたことによって、そのドライブ感は比較的薄まっている感じはありました。でもロジックとしては明らかに単行本の方が固まっている気がしましたけどね。

小峰:そうなんですね、ありがとうございます。……というかね、三か月で四万字ゼロから書けってしんどいよ、結構! まあ、言い訳なんですけど(笑) 群像版を書いた時点で球数がゼロに近い状態になったんですよ。そっからね、四万字書くっていう無理が、七章から十章までのこのキモさになっていますね。キモさっていうとあれですけどね(笑) 何を書いてしまったんだろうっていう感じに現われてるかもしれないですね。

塚本:なるほど。

小峰:いや、七章から十章でかなり評価落としたなって僕は思いましたね。

塚本:これ、一章から六章ってそんなに手入れてないんですか?

小峰:全く手入れてないです。

塚本:そうなんですね、なるほど。これはメディアの性質かもしれないですけど、やっぱり本で読むのと雑誌で読むのって全然違うんですね。単行本を読んだ時、一章から六章も結構手を入れられてる感覚を覚えましたね。でも、単行本では実際のところ序章が増えたくらいですよね。

小峰:まあテンションが違う文章が三つあるからかもしれないですね。序章と終論、一章から六章、七章から九章。この三つの塊で文章のテンションが違うので分けられるな、と思いますね。だから荒木さんにもね、一から六章までは結構好意的に扱っていただいてたんですけど、七からはやっぱりふざけた文体っていうふうに言われて。なんか「なにやっちゃったんだろうなあ」と思いましたね。

塚本:すごい、なんか反省モードなんですね(笑)

小峰:反省モードっていうか、一章から六章の群像版の時点では、単行本に向けて色んな世界線に伸びてたんですよ。たとえばケアと政治の話を詰めるとか。あるいは実際に書いたSEALDsへの論駁に向かうような世界線とか。あと鷲田清一を中心的に論じていく世界線とか。今回は書いたのは谷川とSEALDsの関係性ですけど、鷲田と谷川の関係性とか。あるいは鷲田は全共闘世代なので、ここから全共闘世代にもっていくっていう可能性もあったんですよ。津村喬とかと論じるっている世界線とかも。ただ寸評等でSEALDsについてもっと書け、って言われたのもあって、いまの世界線を選んじゃったなあ。でもこの世界線を選んだのは本当に正しかったんだろうか?

塚本:僕はイベント企画をしたので当然『平成転向論』はめっちゃ好きなんですけど、SEALDsの文章を加筆しているのはとてもよかったし、まさに群像版を読んだ時にSEALDsについてもっと書いた方がいいと思った一人ですね。やっぱり括弧付きの「総括」が読みたいなっていうのは思っていたので。特に十章が好きでした。

小峰:ありがとうございます。十章は色んな人からも割と評価が高かったですね。

塚本:あとは荒木さんのイベントに関係するところでいうと、七章で谷川雁と鶴見俊輔の話をしていますね。荒木さんはその辺り特に詳しいので、当日イベントで聞けることを楽しみにしていますね。

小峰:昨日も話したかもしれないですけど、荒木さんは日本文学の方なので森崎和江とか石牟礼道子とか上野英信とかその辺の人達と一緒に谷川雁を読んでいらっしゃいますね。でも僕にとって谷川雁は運動家なので、後の全共闘運動につながる平岡政明あるいは菅孝行、松田政男といった人達と一緒に読んでいて、六十八年の運動の元祖としての谷川雁という側面に注目している人間なので、荒木さんの読みとちょっと齟齬があるかもしれませんね。その辺りもイベントでの話を楽しみにしていただければと思います。

塚本:そうですね。荒木さんもTwitterで言及をいただいていた部分ですね。ここはぜひイベントにて聞きたいところです!

荒木さんの本について

小峰:荒木さんの『有島武郎』の1章から4章と『転んでもいい主義の歩み』の序章から2章までは読んだんですよ。

『転んでもいい主義の歩み』めちゃくちゃよかったですね。荒木さんは田中王堂という人について論じているんです。田中王堂は「書斎より街頭へ行け、それが評論だ」みたいな話をしているみたいなんですね。評論とは哲学じゃなくて、現場つまり生活の中からだっていう話があって。「あ、評論っていうのはここら辺の時からもうこういう風に言われとったんやな」と思って、その原風景を見たような気がしました。あとエッセイの話とかも出てくるので、もうこの時からエッセイについてこんなことを言ってるような人がいるんだなっていうのが思ったことですね。

塚本:それはとてもいい視点ですね。田中王堂はプラグマティズムの人で、デューイから教えを受けた弟子みたいな立ち位置の人ですよね。

小峰:実はこれまで荒木さんの著作をあまり読んでなかったので、読んでよかったです。基本的に運動家って七十年代ぐらいから評論の主流から徐々に徐々に外れていくんですね。津村喬とか菅孝行とか松田政男とかも七十年代ぐらいちょっと落ち気味になるっていうのがあって。で、一方で『批評空間』に至るような人々がいて。東浩紀さんがいて、栗田隆子とか、杉田俊介さんみたいな人がいてっていう感じ。かなりざっくりしていますけど。で、僕は運動家系の人が好きだったので、荒木さんは手には取らなかったっていう感じでした。
 
塚本:運動家の本を集中的に読んでいたんですね。

小峰:実はSEALDsについて書かなければならないとは思っていなかったんです。最初は鷲田清一論だったので。僕はシェアハウスをやったり、デモをやったりしていましたが、運動家っていうのはどういう風にして生きていけばいいのか分からないっていう状況では、やはり杉田さんや谷川雁、あと六十八年の津村喬とか、運動の中で考えていった人の著作を読むことになりますよね。

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