山本七平「空気の研究」を読んで〜空気に支配される日本人〜

日本には「空気を読む」という独特の表現がある。誰しもが一度は、この類の注意を周りから受けたことがあるはずだ。海外にも似た表現はあるが、あくまで「気を使え」的な意味で使われているだけで、日本の「空気読め」という表現に含まれる不思議なニュアンスはない。

本著は、日本に蔓延する「空気」についてスポットを当て、なぜ「空気」なるものが日本に存在しているのか、その「空気」が日本に何をもたらしてきたかを教えてくれる。

・遺跡発掘現場で日本人とユダヤ人が人骨を廃棄する作業をしていると、1週間を過ぎたあたりで日本人は途中から具合が悪くなる、という出来事があった。ここでの日本人は(多くの他の日本人と同じように)、人骨の背後に何かが臨在すると感じ、何らかの心理的影響を受けた。これが恐らく「空気の基本系」である。
・日本では物体だけではなく、目に見えないもの(出来事や状況等)に対して、この臨在的把握が起こる。例えば、公害問題ではカドミウムに問題がなかったと科学的に証明されているにも関わらず、「公害で苦しんでいる人達を見て」「自分達の利益のために科学物質を工場の外に流している企業を見て」それらの出来事や想いを臨在的に把握することで、「カドミウム悪し」という空気が発生しそれらに支配される。
・一度空気的支配が始まってしまうと、「事実」は意味をなさず、絶対的な対象としての空気に飲み込まれてしまう。
この空気は、プラスに働けば奇跡のような現象を引き起こす(第一次世界大戦や戦後の復興)こともあり、マイナスに働けば破滅をもたし得る(第二次大戦等)ものである。
・宗教が存在する海外では、神と自身の他は全て相対化される。そのために、自らの中に規範を作り、それに従い全ての物事を判断することとなる。

社会学者宮台真司さんの「日本は自然が大変豊かな国で、アニミズムという言葉に表されるように、八百万の対象を臨在的に把握し、自然とともに生きてきた」「定住が始まった後も大きなジェノサイドはなく、自分達で政治を変えた経験もない。豊かな国であるが故にある意味「和を以て尊しと為す」でずっとやってこれた」という発言が本著とリンクし、日本人特有の「空気を読む」という性質が少し理解できたような気がする。


全てが悪という訳ではなく、思いやりや清潔さ等、日本人だからこそ持ち得る素晴らしいアンデンティティもある。日本的美しさを誇りにしながら、事実を見ず空気に支配されて後悔をする、ということにならないよう、自分の中に規範を持ち生きていきたいと思う。

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