「それでも世界が続くなら」という世界一優しい集落

活動休止を宣言している今、この話をするのは如何なものか。そう思ったが僕が「次に何を書こうか」と考えたとき、頭に浮かんだのはこのバンドのことだった。

6jomaコンピレーションという無料配布のcdに収録された、「シーソーと消えない歌」。これをYouTubeで見るに至ったのが出会いだった。

いつだったかは覚えていないし、その頃何が流行っていて何を聞いていたのかも覚えていないが、世界の終わりが幻の命なんて曲を歌ったりして、今ほどカラフルポップではない頃のことじゃないだろうか。

当時の僕は家族関係に疲れ、衰弱しきっていた。遠方の大学に通い、18時半までの授業を済ませ、帰宅は何もなくても20時。そんな生活で何かを手伝えるすべもないと毎日新快速に乗り、大阪までバイトへ出た。バイトで遅くなって帰ると必ず怒られた。こんな大変な時に妹に全部家事を任せてお前は何をしているんだ、私は仕事で疲れているのにと罵られ、それを無視して僕は眠りについていた。

思えば、昔から自分という存在が嫌いだった。何もできないくせに虚勢ばかりで、自分は大丈夫だとアピールし続けた。何もできないのに。
初めてできた彼氏は僕のことを支えたいといったけれど、僕には毎日を楽しく過ごすことが難しい時期でもあり、荒波のような上がり下がりで迷惑をかけたと思う。

彼氏はあまり音楽に興味がなかった。カラオケに行くとよくXJAPANの紅を歌っていた。けれど?故に?僕が勧めた音楽は分け隔てなくすべて聴いて感想をくれた。
そんな彼氏にシーソーと消えない歌のPVを見せた。彼は最後の映像が消えたとき、泣いていた。

というのも、当時の僕達にあのpvが似ていたからだと思う。突然発作的にパニックになる少女、それを慌てて優しくなだめる男性。その様は僕らのようだった。

性を題材にしたものより遥か遠くに、死を題材にした歌の世界がある。
性を題材にした世界は、ある程度音楽の世界とうまく共存している。所謂多少エロい歌詞だがカッコいいのでokです、という感じ。Janne Da Arcや椎名林檎なんて最たる例ではないだろうか。(行き過ぎるとかのさめざめのようにメンヘラクソビッチが大量発生してしまう。僕もその一人だ。)
だが、死の世界は孤独だ。音楽としても受け入れたれがたい。これを好きだ、と大手を振って伝えるには勇気がいる。

シーソーと消えない歌は間違いなく死の世界にある曲だった。何度も死のうと思い、したであろう僕たち。それでもなんとか生きたり、仕方なく生きたりしている僕たち。音楽を依り代に生活する僕たちに「消えない歌なんてなくてよかったんだな」と現実を突きつける。そして同時に「(だから)君のその痛みもちゃんと終わる よかったな」と労られる。

因みにシーソーという言葉は歌詞の中には一つも出てこない。映像の中でたった一箇所、一言だけそこにシーソーという言葉がある。ただ、その言葉は深く胸に刺さる。
僕は音楽は聴くものだと捉えていたけれど、この作品を見て、映像もまた表現の一部なのだと認識することになった。


ここまではあくまでバンドの紹介だ。ライブでいうとまだmcくらいだろうか。

僕は好きな音楽はたくさん知ってもらいたい人間だった。でもこの作品を好きだ、というのははばかられた。
何故だか、その作品を好きというだけで、この人は死にたい人間なんだと捉えられるものがある。死の世界の作品だ。僕は今までそれを伝えたことはなかった。不安だった。

当時のTwitterは僕にとって鬱々とした言葉と日々の大学キラキラ生活が入り混じったすさまじく混沌としたアカウントだった。

https://twitter.com/killy_kid/status/190044745664434178

最初に「それでも世界が続くなら」という言葉をツイートしているのはこのツイートだ。
だが内容を鑑みるにどうやらこのころにはいわゆる「それせか」を知っていたようだ。

このころ、それでも世界が続くならというバンドは世間で少し騒がれ始める前だった。僕の、僕たちのように死にたい人間が屯する場所であった。
そう、間違いなくこのバンドは死の世界の歌を歌っている。でも、そこまでいっておいて、お前、生きろっていうのかよ…ふざけるなよ…という言葉ばかりが並んだ歌詞が、ギシギシと私たちを生へ動かしていく。そんな恐ろしいバンドだった。


中でも驚かされたのが、Vocalの篠塚将行のTwitterだった。
有り体に言えば「宗教」だった、恐らくはたから見ればそうだったろう。
「しのくん」や「しのさん」と呼ばれた彼は、自分に来たリプライ、自分の作品への反応、すべて。本当に全てに返答を送り続けていたのである。

DMもそう。リプライも、動画付けました、やそれせかすき、まで。
そうして死の世界に生まれた、死にたい癖に生き続ける世界。
それはまさに「それでも世界が続くなら」私たちは死とともに生きよう。そういう集落だった。

毎日辛い、苦しい、死にたい、ライブよかった、生きようと思った、また楽器を握れた…たくさんの言葉がしのさんに寄せられた。そしてしのさんはそのひとつひとつに丁寧に返事をした。
そして、皆それを見ていた。きっと同じ気持ちで泣いたり、苦しんだり、喜んだりしたのだろう。気づけばしのさんを介して皆つながっていった。

僕もその集落の一員だった。初めて天王寺Fireloopでそれせかを見たとき、Twitterみてます、としのさんに声をかけた。「何て名前?」ときかれた。「ゆっけです」と答えたら、彼は「ああ!!」と叫び。自ら私の前に手を差し出してきたのだ。僕は驚いて、泣きながら当時の連れだった彼氏の方を助けを求める目で見つめ、爆笑された後、握手をした。その手はとても温かくて、そのぬくもりは一生忘れることはないだろう。

そうしてその集落は、誰かが落ち込んでいると、しのさんを介してつながった誰かが話を聞いたり、実際に会ってお茶をしたりしながら、とても緩やかに生活していた。僕も一度二度、皆に会いに行ったり、会いに来られたりしたが、本当に様々な人ばかりだった。本来なら関わらないような見た目や思考の人もいた。でも、差別も無ければ上下もなかった。垣根は何もなく、僕らは生と死で繋がり、出会うことができた。
死を庇い合いながら生きる僕らは、本当に世界一優しい集落にいた。

それから、その中心だったしのさんが、Twitterを一度止めることになった。
いいニュースだった。それでも世界が続くならはメジャーデビューが決まったのだ。そしてそれは同時に、個人へのリプライを制限しなければならないことを意味してもいた。

僕らは悲しくて、うれしくて、なんだかよくわからない気持ちになった。
少なくとも僕はそうだった。
そうして、僕が、この僕がだ。自分の意志で行った、人生で一番大きなことがこれだ。

簡単に言うと「最後くらいリプライなんかさせないで、ありがとうの気持ちで送り出したい」という企画の元ハッシュタグでコメントを募ったものだった。
するとこれがみるみる、しのさんでつながった人たちがRTし、さらには公式までRTし。こんなまとめができるまでの大きい規模のこととなった。
(ちなみにしのさんは、最後まで絶対返すからなと意地のようにすべてにリプライを返し続けた。)

そしてしのさんのこの言葉でしのさんのTwitterは一度終わった。
それはそれは、最後まで人のことを慮り続ける優しい集落だった。
(とはいえ、今はインディーズに戻り、活動休止もあり。しのさんはやっぱり音や映像で僕らへ思いを投げつけて、しのさんをしている。)

そしてそれは、今も細々と続いている。
いま彼、彼女らと話すことは少なくない。
自分らしく生きている子
完璧ではないが、もやもやを抱えながら緩やかな幸せに包まれている子
勉学にいそしんでいる子
アートを発信している子
死んでしまった子
たまに声をかけ、話したり、お互いを許しあいながら今も生きている。死んでしまった子も、僕らの集落に生きている。だってここは死の世界なのだから。誰も、忘れることはない。

僕たちが辛くなったときは、きっとそれでも世界を続くならを聴いて、叱られたり、慰められたり、優しくされたり、許されたりする。音が歪でも、演奏が上手いわけでなくても、僕らに刺さる言葉が、思いが、音楽が。それが音楽ってものの素晴らしさなんじゃないかと僕は思う。
だから「それでも世界が続くなら」僕たちは手を取って、慮り合って、生きるんだ。


最後に、しのさん関連のまとめを当時行ってくれ、今回リンクを貼ることを快諾していただいたまゆさんに感謝の意を記しておく。久々にお話したけれど、元気そうで本当に嬉しかった。ありがとうございました。











これは私信だが。れもんくん。最期の連絡、すごく機嫌の悪いものになってごめんな。でも僕生きてるよ。まだなんとか。君のように、かっこよかっただろう音楽を鳴らせるようになる日まで生きたいと思うよ。またな。

精神病持ちの邦楽好きでゲーム好き。健忘有り。 文章を丁寧に書くよりもその場で思ったことを勢いで書いていきます。 主に音楽、ゲーム、日常(疾病)についてです。