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【一歩ずつ】「自分にきびしく」から「自分にやさしく」へ進んでいく方法

こんばんは。


今回は前回の


「【自分にきびしくてもOK】自分にきびしい人ほど自分にやさしくなれる“理由”とは?」の続きで、


「自分にきびしく、を手放して、自分にやさしく、できるようになるには
具体的にどうしたらいいか」についてです。


それで、改めてよく考えてみたんですけど
まず、大事なのが


「なんで、自分にきびしく、を選んだのか」っていうことについて
自分とよくお話しすること
じゃないかな、
って思ったんですね。


(選んだ、っていうか、採用した、っていうか)


ま、自分に問いかける、とか、掘り下げる、とも
言うと思うんですけど


それだとなんかちょっと「尋問」みたいな、
そのコトバ自体がきびしいっていうか、強い感じがして
なんかちょっと合わないかなっていうか。


そういうのよりもっと
「ねえ」みたいな感じで
ラクな気持ちで“ご自分さん”とお話しする
みたいな感じがいいかなって思うんですよね。


やってることは
「問いかける」「掘り下げる」と
同じだったとしても。


で、「お話しする」とか「問いかける」っていう
どんな言葉にするか、っていうのは
ここまでにするとして


なんでお話しするか、っていうと


やっぱり、何か、子どもの頃とか、昔に、
「自分にきびしくするのがいいんだ!」
って思ったタイミングっていうのがあって
それで、今、そうなってる、と思うんですよね。


それが、
1回、ドーンと大きなのがあってそうしようと思ったのか


ちょっとずつ、ちょっとずつ
「自分にきびしくが、いいんだ」と思って
そうなっていったのかは、ともかくとしても。


自分の身につくまで
(苦しいと思って、もうやめたいと思っても
なかなか手放せなかったりするほど)
しっかり、自分の一部になってるとするとなおさら


「ハイ、いらない、手放します」みたいな感じは
なかなかなりにくいんじゃないかなって思うんですよね。


(そうできれば、それに越したことないと思うんですけど)


だからこそ、ゆっくり、ていねいに、お話しするというか。


それも
「なーんでそんなのを選んだの!(採用したの!)」
みたいに、問いかけるっていうか
問いつめるみたいな感じじゃなくて、


やさしく、語りかける、みたいな。


どうしてもこういうのって
そこまで厳しくなるつもりはなくても
カタくなる、っていうか
深刻になりがちじゃないかなって思うんですよね。


そうするともう何か
それだけで疲れちゃうというか
気がめいる、っていうか。


ちょっと極端に言うと
やりたくなくなる、という。


もしそうなったとすると、
それはもう、本末転倒じゃないかなって
思うんですよね。


だから、ご自分さんに、
やさしく語りかけてあげる、っていうか
聞いてあげる。


そのこと自体が、
自分にやさしくする、すっごい、いいトレーニングに
なると思うんですね。


その「こたえ」が出るかどうかは別にして。

「こたえ」ってうのは
「なぜ、自分にきびしくをいいと思ったか?」の
大元の理由のことです。


で、今、書いたのは、
「自分にきびしく」をゆるめる方だと思うので
それプラス、「自分にやさしく」の方も
していくのがいいかなと思うんですね。


「きびしく」をゆるめることで、
自然に、やさしくなれるっていうのもあると思うんですけど、
さらに積極的に、というか。


でもその
「自分にやさしくする」っていうのは
「自分を甘やかす」
ってことではないと思うんですよ。


そこんとこ微妙だと思うんですけど
なんでも「いいわ いいわ」
にすればいい、っていうことじゃなくて。


それだと、今まで自分にきびしいかただったら
なおさら抵抗ある、っていうか
「そんなのムリ、ありえない!」
ってなるかと思うので。


だから、これもほんとに、
一歩一歩っていうか、ひとつひとつだと思うんですけど


その、自分にきびしくしちゃいそうな
「ウッ」てことがあった時


たとえば自分にきびしいコトバをぶつけそうになった時に
(ぶつけた後でもいいから)
自分で気づいて、あったかい言葉に言いなおす
とか。


そういうのがいいんじゃないかな、って
思うんですね。


ベタというか、どろ縄
(どろぼうを捕まえてから縄をつくる、みたいな、後追いな感じ)
だと思うんですけど


やっぱりこういう、地道なのがすごく、
効き目があるような感じがするんですよね。
(他のやり方がどうこうってことではないです)


「自分にきびしく」に限らず
こういう、身についてるものって、たとえると
テニスやバドミントンのラケットとか、野球のバットの
“振り方”と同じかなって思うんですね。


「自分にきびしく」でいうと
過去のどっかのタイミングで、
「自分にきびしくがいい」っていう“振り方”になって
それで、ずっと今まで、その振り方で、続けてきた。


「ラケット(バット)振るっていったらコレ! この振り方!」
みたいな感じで。


意識しないでも、そうなってるくらいにまで。


それで、何年、とか、
コトによったら何十年、
その振り方でやってきたものを


急に「別の振り方でやれ」っていっても
(それも今までと全然ちがってたら)


頭ではわかっても、
実際にそれをできるようになる(体で覚える)ってのは、
また別じゃないかなと思うんですね。


(もちろん、絶対ムリ!ってコトじゃなくて、
天才的に「ピッ」て変えられる方もいると思うんですが
一般的には、っていう話で)


だから、それを、体で覚えるために、1回1回、振る。


新しい振り方で。


実際の、自分にきびしくしちゃいそうな場面で
やってみる、っていうか、みてみる。


実際、どうなのかを。


そうした中で、すごい細かいことかもしれないけど
ラケットの振り方の、
ほんのわずかな角度のことを修正してあげるくらいの感じで
自分のことをみてあげる。

(あくまでもイメージですよ)


これって、さっきの、
「やさしく自分に語りかけてあげる」
もですが


このこと自体が
「自分にやさしくする」の
すごくいい練習(生きた練習)になる
と思うんですね。


だってそれだけ、自分にこまやかに目をかけてあげる、っていうか
よりそってあげる、ってことだと思うので。


ほんとに、めんどくさいかもしれないし
「カメの歩み」かもしれないんですけど


だからこそ、
リバウンドしにくいんじゃないかなって思うんです。


(カメが逆向きに歩き出しても、たぶん、そんな、
ガ―――ッ、みたいなすごいスピードでは、
進みませんよね。 カメに失礼??(笑))


もちろんその、さっき言った、
こたえ(自分にきびしくを選んだ大元の理由)
がわかったり、


“自分にやさしくできる振り方”をマスター出来たら
それはほんとにすばらしいことだと思うんですけど


そうじゃなきゃ何にもならない、
ってコトでもない
と思っていて


上に書いたことをやっている中で、
きっと、前より、
「自分にやさしくなれる」って思うので。


「気づいたら、なれてる」
っていうか。


一歩、進めば
一歩、近づいていける。


少しずつでも、ゆっくりでも、
目的地に向かって歩けば
そこに、近づけます。


ふだん、歩いていて、
ゆっくりでも、だんだん、風景が変わっていくように


一歩ずつでも、めざすところに、歩き続けることで
見える風景が、変わってくると思うんです。


あなたの、より“見たい”と思う風景に。


だから、その、近づけてること自体も
あなたを、幸せに導いてくれると思うんです。


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最後までお読みくださり、ありがとうございました。


あなたのますますの幸せを、応援しています!


※アメーバブログも書いています。
こちらとは、ちょっと違って
一言メッセージ的なものもアップしています。

アメーバブログ
「ことばで生きづらさを軽くする」
https://ameblo.jp/39kotoba/

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