見出し画像

好きな女性

10年以上お世話になっていた美容師のお姉さんが退職され、この3年ほどは美容院ジプシーになっていた。
これがなかなかのストレス…
そして同時に自分の髪型に対して希望がないようで実は大いなる希望があったことに気づく。
やっかいなのはその希望を具現化できていないことで、しかもその希望は普遍的なものとそうでないものがあり、あくまでもわたしの望むベースラインはあって、そこに気分や季節、一応のトレンドが入ってくる。

そんなめんどくさい要望を「近い」とか「予約とれたから」レベルの客(わたし)が理解しろなんて言えるわけがない。
そんなこんなでしばらくの間、なんとなく肩について結べるくらい。という無難な髪形を続けていた。

転職を機に休みのシステムが変わり、母であるわたしにも自由になる平日の時間ができた。
そのことで日程的にも美容師をやっている友だちの妹のところにいくことができるようになり、電車に乗ってえっちらおっちら都会の美容院に通うことになった。

そうしてすっかりわたしは彼女のファンだ。
何度も頭の形を確認するように触り、髪の毛に手櫛を入れる。あちこちいろんな角度からアーモンド形の目でわたしをみつめ、その間いくつかの質問を投げかけてくる。
その往復の中でわたしの髪型はわたしの希望を言語化することなく決まり、カットが終わると不思議とわたしが浮き彫りになる、元々この髪型でしたけど?というおさまりのよい、そして気持ちに沿った髪型になっている。
派手でもないし、奇をてらっているわけでもない。
シンプルだけれど、だからこそテクニックがいるのがわかるし、掛け違えるとおばさん一直線になっちゃうのだろうけど、ちゃんとわたしのほしいラインの「かわいい」をほかならぬわたしの頭に再現してくれるのだ。

サロンから帰り、お風呂に入って雑に頭を乾かしても彼女が引いてくれた「かわいい」のラインはほどけることなく頭に宿る。
嬉しいという感情はもちろん、純粋に助かるなあと思う。
だってシャンプーしてドライヤーしただけで「ちゃんと」できるのだから。

たぶんおしゃれで器用な人にはそういう髪型をお届けするだろうし、わたしみたいな夢も希望もないようなこと言うくせに文句だけはいっちょ前!という人間にもちょうどいい髪型を提案してくれる。
寄り添う、とかその人らしくとか。
彼女はそれができる、訓練を積んだやさしい人なのだと思う。
彼女の手の中で、たくさんの女性の美しさを掘り起こすことができる。とても偉大な女性で、年下でも尊敬できる職人さんだと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?