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かき分けてもかき分けても

何を言っているか一生懸命聞いてもわからない会議の感想を、品格を持って伝えたくて
「かき分けてもかき分けても草」
と表現し、松尾芭蕉だっけ?わずかな違和感を持って終えた1日があります。

喉に魚の骨が刺さるように、違和感が続くのでなんとなく心に残っていたのですが、違和感の正体に気づきました。

「分け入っても分け入っても青い山」
山頭火先生が俳人として生きていく!と決めた時に記した俳句でした。

草じゃないし、松尾芭蕉じゃないし。
山頭火は青い山という底抜けの無限の可能性に対し、わたしは目の前に広がるものを小さくとらえた草‥
でも考えても行動しても、納得する解に行きつかない感覚はズレていなくて、山頭火先生とシンクロできたことでスッキリ。

「かき分けてもかき分けても草」
オマージュというかなんというか‥
朝ヨガもその感覚。
きっと一生かけていろんな答えを見つけるような、同じ場所にいるような。

やってもやっても手に入らないから、夢中になるし本気になっちゃうんだろうなと思います。
そういう対象に出会えたことに感謝の日々です。

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