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フリーライターを目指すことにした

この5月、ある決心をした。

それは、会社員をやめて、フリーランスのライターになるということ。

人生をどうしても自分で動かさなくちゃ、という思いに駆られるこの感じ……久しぶりだ。

別にいまの仕事が嫌になったわけじゃない。ライターとして、特別書きたいことが見つかったわけでもない。

「フリーライター」になりたいというより、「子育てをしながら働く一番いい形」を実現したいという方が近い。

決めてからの行動は早い方なので、5月のはじめには夫に全力で決意をプレゼンし、オンラインスクールに入会した。いまは、すきま時間にライティングの勉強をしつつ、フリーランスに関する本を読んだり、色々なフリーライターの人の仕事の仕方を調べたりしている。

家事で一日終わってしまったり、保育園から呼び出しがあったりして、なかなか思うようには進まないけど…気持ちはゆるがず、なんとかコツコツ。

ひとまず一年後を目標に、フリーで書く仕事ができるようになりたいと思っている。

考えてみたら、もっと早く思いついてもよかったなと思うくらい、しっくりくる選択だった。

フリーランスになりたい理由

理由は、いろいろあって。

ひとつは、持病と育児を抱えながら、会社員として働き続けることに限界を感じていたこと。

20歳のころからネフローゼという持病があり、社会人になっても入院を繰り返してきた。そうすると、まず正社員にはなれないし、入院となると職場に多大な迷惑をかけてしまう。収入面でも、あまり希望は持てない。

さらに妊娠・出産して、職場のみなさんは優しかったけれど、やはり制度面では理解が足りなくてモヤモヤすることが多かった。これがマタハラか!?と思うこともしばしば…。

育児がはじまってからはなおさら、思い通り働けないことが増えた。なんといっても子どもの風邪、保育園からのお呼び出し!これから子どもにも意思が出てきて、ますます手がかかるようになると思うと、毎日決まった時間に決まった仕事をすることに無理が出てくるのは目に見えている。

あと、そもそもの話だけれど、会社の仕事で発生する業務以外のこと(おもに人間関係)が、どうにも苦手で。ああ、こうすれば好印象なんだろうなーということはわかるけれど、できないというか、やりたくないというか。どこまで気を遣ったらいいのかわからないから、逆に気を遣いすぎて疲れてしまう。「わー!すごいですねー!!」みたいなリアクションとか、何かあるたびにすみませんとペコペコし、一人一人に手土産を包んだりするのとか、本当はやりたくなーい(結局やるんだけど)笑

出産を機に夫の扶養内で働くことを決め、仕事は週3のパートになった。うちは夫が激務なので、家事と育児はほとんど私がやるしかないだろうな…と考えての選択。もともとキャリア志向でもないし、この形で家事もどうにか回せているから、これはこれで幸せなのかもしれない。

でも、ずっとこのままでいいのか?と考えると、違うんじゃないかという思いが拭えず。     

というのには、やっぱり息子の存在が大きい。

親は、子どもがはじめて接する「働く大人」でもある。

息子が物心ついたときに、親としてどんな姿を見せたいか?

そう考えると、楽しそうに働く姿を見せたいし、いろんな道があることを伝えたい。夫が典型的な会社員ならば、私は別のやり方で。

私が息子に見せたいのは、周りに気兼ねしながら働く会社員の私ではなく、小さくとも「自分の仕事」と胸を張れるものを持っている姿だ。

息子が、大人になることを楽しみにできるように。大人になって、生きやすい道を選べるように。

まずは自分が、ほしい未来をちゃんと選ぼうと思う。

書くことを仕事にする


フリーランスという働き方で、じゃあ何を、仕事にするのか?

いろいろ考えたけれど、結局「書くこと」は外せなかった。

といっても、私は決して文章が上手い方だとは思っていない。むしろ下手だな…と落ち込むことの方が多いくらい。でも、昔から人に褒められたり、自然とやっていることを得意と呼ぶなら、やっぱりそうなのかなとも思う。

そうやって、ちょっとだけ得意なことをよりどころにして職業を選んできた。大学院卒業後、どうにか出版社に営業職でもぐりこみ、転職していまの会社に入り、書くことが仕事とかろうじて言えるようになった。

ただ、文章は自己流&いまの会社流でしかないので、全然自信はなくて。改めて、自分の文章の弱点を見直し、ライティングの勉強をはじめている。いまはそれがとっても楽しい。

ライティング以外のスキルも身につけたい。写真、デザインなど、文章のほかにできることがあれば、仕事の幅がぐんと広がりそう。

勉強の相棒たち。右は奇しくも、はじめてアルバイトした出版社の本だった


どんなライターになりたい?

ライターとは、からっぽの存在である。

ライターについて、古賀史健さんがこんなことを書いていた。

つねづねわたしは、自分はからっぽだなあと思っていて、「筒」とか「器」みたいなイメージがある。だから、この表現がすごくはまった。

「書く」とはどういうことなのか、めちゃくちゃ本質的だと思うので、長いけれどこの後の文章も引用する。

だからこそライターは、取材する。
からっぽの自分を満たすべく、取材する。     
自分と同じ場所に立つ読者に代わって、取材する。

誰かの書いたものを読み、誰かのつくったものに触れ、誰かの語ることばに耳を傾け、しつこく何度も問うていく。それはなにか。なぜそうなるのか。そのときなにが起こり、あなたはどう思ったのか。人に、書物に、その他のさまざまに、たくさんの問いをぶつけ、できうるかぎりの理解につとめていく。

問いの矛先は、自分にも向けられる。お前はいまの話を、どう読んで、どう聞いたのか。ほんとうに理解したといえるのか。どこまでがわかっていて、どこから先がわからないままなのか。ジグソーパズルのピースは、あと何枚足りないのか。しつこく自分に問いかける。

そうして自分に理解できたことだけを、あるいはそこから立てた自分なりの仮説を、系統立ててまとめていく。ひとつのコンテンツとして、仕上げていく。

古賀史健『取材・執筆・推敲』

うう、書き写していてもビシビシくる。笑

記事を書くときに何をしているかと言えば、これ↑なんだよね。

自分が理解したことしか、書くことはできないというのがミソ。

だから書くことを抱えている間は、ずっと問いがぐるぐるしていて、苦しい。すっきりしたいがために書く。

そう考えると、「書く」仕事といいつつ、実は「取材」と、その後のぐるぐるしている時間が大半なのだ。

それが苦しいけど好き…というわたしみたいな変態がライターになるのかもしれない。笑

ライターの原稿とは、からっぽの自分を満たしてくれたすべてのものへの「返事」なのだと、古賀さんは言う。

「わたしは、こう理解しました」
「わたしには、こう聞こえました」
「わたしはこの部分に、こころを動かされました」
「わたしだったらこんなことばで、こういうふうに書きます」
「なぜならあなたの思いを、ひとりでも多くの人に届けたいから」

古賀史健『取材・執筆・推敲』


あなたの世界を見せてくれて、あなたの声を聞かせてくれて、ありがとう。

敬意と感謝をこめて、返事を書く。  

どんなに小さな原稿でも、そうありたい。

これからフリーライターを目指す自分に、問う。

いまのわたしだから書けることは、なにか

いまのわたしに見えてる世界は、どこまでか。

わたしは誰に、何を、届けたいのか。


わたしは書くことで、少しでもこの世をよく見たい。誰かの声を聞きたい。

からっぽで平凡だけど、30歳のいま見えている世界は確実に以前とは違っていて、いまなら昔よりも丁寧な「返事」を書けるんじゃないだろうか。

たとえば、
・出版社で仕事をしてきたこと
・障害者福祉分野での企画、編集、執筆経験
・難病と付き合いながら暮らしていること
・子育て中であること
・演劇をはじめ芸術が好きなこと

どんなことでも、ライターとしての強みに変えられるはず。

夫や子ども、大切な友人たち、もういなくなってしまった人を思いながら。

生きるのが苦しいと感じている人の背中をそっと支えるような、言葉を届ける。

わたしは、そんなライターになりたい。

毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。