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目指せスーパースター。その3【小田和正】

『ここ、ここ!山川さん!』

広い横浜アリーナを歩き回り、席を捜しながらチケットに記された場所に辿り着くと、今回のチケットを手配してくれた母の職場の同僚の方が手を振っていた。

 自身の人生初のコンサートがずっと憧れていたアーティストのラストコンサート。そんな奇跡のような計らいを用意してくれたその方は先に席に着いていて、その隣へ腰を下ろして驚く。

『こんなに近いの!!』。

と、最前列から2列目だった。目の前にあるピアノは、コンサート前の喧騒の中、準備のストレッチでもしているかのようにひそやかに、でもたかぶった佇まいに見える。

 実は横浜アリーナは初めてではない。大学生時代に配膳のアルバイトをしており、新横浜のプリンスホテルが主な職場だったが、時々大物アーティストのアリーナでのディナーショーに駆り出されたことがあったからだ。その際は蝶ネクタイのすました顔で、大量のドリンクの乗った銀トレーを運ぶ重労働から解放されたい一心。歌は聞こえるものの聴いてはいられなかった。

 そんな昔を思い出すうちに館内は暗くなる。巨大なスクリーンに機関車のCGが現れ、音符の煙を吐き出しながらやがて空に向かって飛び立つ。同時に

『会いにゆく』

の前奏とともに小田和正が登場し、場内は割れんばかりの歓声に包まれた。

『ホンモノだ…』

テレビでしか見たことがないアーティストが、目の前に立っているってこういうことなのか。さすがの客層は直ぐに静かに聴き入る。皆、品が良い。そのまま立て続けに歌い続ける小田さん。そして、観客席に張り巡らされた花道を走る。怪我をしていたようで片脚を引き摺りながら、それでも走り回り、歌う。御歳72歳。コンサート後にセトリで確認したら全29曲。MCはほとんど無いので2時間半歌いっぱなしだった。鉄人だ。

 音楽は思い出に寄り添って心に残るもの。蘇る記憶にいつしか涙が止まらなくなった。特に

『My hometown 』

は横浜をうたった歌。沢山の友人との出会いと、そして一番大切な人、今は亡き妻・ユミとの出逢いと、永遠の別れと…。

 『ご当地紀行』という映像を挟んで後半へ。涙が枯れ果てたのか妙に冷静に客観的にコンサートを眺めていた。年齢層は幅広い。女性が多いが男性もかなりいる。20代の若い女の子が恋する笑顔で手を振っている。あるいは初老の紳士がまぶたを腫らして聴き入っている。スポットライトに照らされているのは、古希を過ぎたお爺さんだ。小田さん凄いな。これだけ多くの人が元気や勇気を届けてもらっている。そして時にどれだけの人が命を救って貰ったのだろう。小田和正は、いやアーティストは、正真正銘、本当に本物のスーパースターなんだな、と思った。
 そんな心持ちで聴いているうちにふと、

『僕もそうなりたい』

と、思った。どこから浮かんで来たのか分からないけれど、急にそう思った。

 帰り道。心の中で、独り言みたいに何度か呟いた。

『スーパースターになろう、いやなるもんじゃない、決めるのは他者ひとだ…よし、スーパースターを目指そう』

 …数日後、開店前にバイトの悠登くんにコンサートの感動っぷりや様子を話しつつ、熱く語った。

『俺、スーパースター目指すよ』

彼は満面の笑みを浮かべて喜んでくれた。父親・母親の同い年のオッサンがスーパースターになろうだなんて馬鹿げてる。しかも何もないただの蕎麦屋だ。けれど応援の言葉をくれた。
 それから僕は何人もの友人に同じことを話した。誰ひとり笑わなかった。もしかしたら笑えなかったのかもしれないけれど。

 誰か一人のための人生はもういらない。これまで、そしてこれから、自分と出会い関わるうちの、ひとりでも多くの人が楽しい人生を過ごせるように、ほんの少しでもいいから元気や勇気を届けたい。ただ、それだけ。

《目指せスーパースター》

それはもう一度生きるための、自分を鼓舞する言葉。終

#小田和正 #スーパースター #横浜 #元気や勇気を分け与える

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