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サッカーはやめてしまったけれど その4 【勇気無き少年】

水島武蔵というサッカー選手がいた。藤枝や清水の少年サッカーで頭角を表し、10歳の年齢でブラジルへ留学。現地でも活躍し、1984年には名門サンパウロFCとプロ契約をしている。ブラジルへのサッカー留学の先駆者として、その後にking Kazuこと三浦和良らが続くことになるのだが、その頃の時代背景や社会情勢を考えるととんでもない勇気と行動力だと思う。

《サッカー部を作ろう》という活動に挫折したのちも、僕はウダウダとサッカーがやりたいとボヤいていた。そんな様子を見た親父が、新聞から見つけてきた水島武蔵選手の記事を例に出し、「本気でやりたいなら金出してやるからブラジルでもヨーロッパでも行ってこい」と言ってくれていた。だが、海外はおろか東京にすらほとんど行ったことのない伊豆の田舎の少年にはそんな勇気はなかった。

「もしそれが無理でも、本当にやりたいなら、次の転勤先を清水でも藤枝でもサッカーの環境が恵まれたところへ出すから、一緒にサッカー部のある学校へ転校すれば良い」とも言ってくれた。が、僕は二の足を踏んだ。
その頃には分からなかったが、今なら分かる。僕が望んでいたことは、少年団で共に戦った、勝手知ったる仲間たちと一緒にサッカーがしたかっただけなのだ。だからその頃の自分には、すべてのしがらみや友人関係をかなぐり捨ててまでサッカーを求めて行く勇気は無かった。

サッカーをやりたい気持ちに嘘はない。ただ、どのレベルで求めていたかの違いでしかない。やる気になればいくらでも方法はあったことは後に知るが、あまりにも乗り越えるハードルが高過ぎれば、ためらう方が普通だろう。本気は必ずしもプロを目指すことではなく、サッカーに触れることそのものだったのだから。

当時は14歳。そんな事は知る由もなく、僕は自分の勇気の無さだけを責める、いじけた少年のまま、中学生最期の学年を迎えた。

#水島武蔵 #三浦知良 #ブラジル #いじける #勇気

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