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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その4【タイガース自転車】

僕(1972年生)らの時代、「トウキョウ」のような都会はいざ知らず、伊豆は韮山のような田舎の子ども達にとっての日常の足は自転車だった。
「マイカー」と呼ばれ、一家に一台の自動車がやっと普及した頃だから、運転や所有はもっぱら父親のもので、世の母親たちは軽自動車はおろか、ほぼほぼ免許すら持っていなかった時代だ。

そんな世の娯楽・スポーツの中心は野球。小学生はだいたい好きな球団の野球帽を被り、グッズをねだった。正直僕は野球にはまったく興味を持てずにいたが、トラのマークに憧れて阪神は好きだったし、阪神グッズには憧れた。
で、小さくなってきたピンポンパン自転車は弟にお下がりとなり、僕は新車のタイガース自転車を買ってもらった。小学2年生の時だ。

やがて少年サッカー団に入り友人が増え、行動半径が広がるに連れて、友達の家に遊びに行く「移動手段」としてだけでなく、あちらこちら未知の場所へと探検に出向く「目的達成」のアイテムとして自転車を使い出した。

そんな中、小学校のルールで、自転車に乗って出かけて良い地域が学年によって決められていた。子ども時代、ハチャメチャなくせに妙に倫理観が強いところがあって、町外に行ってはいけないルールだけは何故か守っていた。西隣の伊豆長岡町は、狩野川の川向こうで温泉街で、ヤクザがいてオッカナイ印象があったからもちろんだが、大仁町や函南町とはたった一つの標識で区切られているだけなのに。あの町境の標識だけは何故か越えられなかった。

けれど、何年生の時なのかは記憶にないが、一度だけ破ったことがある。タイガース自転車に乗って、千歳橋で狩野川を渡り「オッカナイ」伊豆長岡温泉を抜け、坂を上りトンネルを越えて、沼津市の三津浜へ。
海を見るために。誰にもに内緒で。たった一人で。

その時、僕の自転車は、真の意味で「自由の翼」になった。つづく

#マイカー #タイガース #倫理観 #自由の翼



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