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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その14 【リッチーP-23】

浪人生というまるで囚われの身のような身分の割には結構自由にしていた僕は、予備校帰りに《ミソノイ》でバイクやパーツを眺めてから、居候する織田の家に帰るという毎日だった。叔母さんに勉強しろって言われることは全くなかったが、時折心配になって「宗くん全然勉強してないけど大丈夫かいや」と母親のところに電話がかかってきていたらしい。

そんなことそっちのけで、マニア垂涎の自転車やパーツを眺めては未来のマイバイク構想を練り上げていた。智さん(5代目社長)が実業団レースに出場していた通り、デローサやコルナゴなどのロードバイクも並ぶ中、当時の僕はやはりMTBに目が行く。クライン・GTそしてリッチー。ミソノイの社長(4代目)が『P-22team』いうトムリッチー自らがハンドメイド(溶接制作)したスペシャルフレームをクロスバイクに仕立てて乗っていた。60過ぎたジイさんが颯爽と走る姿は本当にカッコ良かったが流石に手が出ない価格。
とはいえ同じ*トリコロールカラーの『P-23』も十分すぎるほど美しい。当時、世界の自転車はほとんど日本で生産していたが、リッチーは大阪のTOYOフレームが*OEMを手掛けており、品質も間違いなし。僕は毎日『P-23』を最後に眺めてから帰った。

1992年のお正月。母の在所に親戚一同が集まり子供はお年玉もらって、大人は呑んだくれて皆嬉しそうにしている中、僕の受験の話題になった。従兄弟の中で国立大を目指すのは僕一人だったので、本家の柴田の叔父さんが酔った勢いで「合格したら宗くんにお祝い10万円出すに」という。冗談で「契約書作っとけ」って新聞折込広告の裏かなんかで作成してハンコまで押して(笑)。宴は楽しく続いた。

さて、3月。見事《横浜国立大学》の合格を果たした僕に、叔父さんは気前よく本当に10万円手渡してくれた。それに貯めていたお年玉と2週間の*土方のバイトで稼いだ14万円を足した全額30万円超をポンとミソノイに持って行き、晴れて【リッチーP-23】をゲット。19歳の僕にとってもちろん超高額のお買い物。なんのためらいもなく、よく買ったなぁって思うけれど、そうして構想1年の*最上級MTBを手に入れ、横浜での新しい暮らしが始まるのです。

余談だが、その30万円。親は入学金やら下宿の敷金・礼金やらに使うつもりだったらしく、怒りたくとも怒れない微妙な親心だったと後に語っておりましたとさ。感謝しておこう。つづく

*トリコロールカラー…赤・白・青の3色。フランスやアメリカ国旗の通り
*OEM生産…「相手先ブランド名製造」といって各国ブランドの自転車を日本のメーカーが製造していた。今は台湾が取って代わった。
*土方(差別用語とされるが僕はそうは思わない)…土木建設業。当時はバブル期で花形産業、絶好調だった業界
*最上級MTB…今(2020)現在では120万円程もする。

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