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石蔵〜時間や歴史という価値を思う②

目指せスーパースター。蕎麦宗です。

昨日の続き。

100年以上の時を経た石蔵が残念ながらも取り壊されてしまうという話をお客さんから聞いた。タダでイイから貰ってくれないかしらとも言う。ありがたく頂きたいところだが、移築の費用を用立てるのも簡単ではないし、そもそも置く土地を持ち合わせていない。実に残念だ。

色々と思うところも言いたいこともあるのだが、なかなかどうして、それを伝えたい人たちには届かないものだ。親御さんであるその方も僕の想いと同感のようだったが、「娘達は親の言うことなんて聞いてくれないのよ」、と嘆いていた。

さて、

《女房と畳は新しい方が良い》

という格言が示している通りに、新品が重宝され若さ・*ネテオニーを寵愛することは日本の文化の根底にある気がする。建築物に関して言えば、災害が多く壊れ易いことや、高温多湿ゆえに腐敗し朽ち果て易い事から起因していると思われる。伊勢の遷宮が典型適だ。そして、おそらく建築=住居は暮らしの基礎であり、文化はそこから作られてきたゆえに、文化全体を見渡してもその傾向は根強くかたどられている。それが新しいモノが好まれる所以だ。さらに、これを加速させたのは二度に渡る『革命』だろう。明治維新の際にヨーロッパ列強からの進言への歪曲理解と、戦後のアメリカからの文化的・政治的な圧力によって伝統や歴史は置き去りにされる。古いモノは壊し、新しいモノに置き換えることこそ善。

戦前、つまり大正時代や昭和初期は日本建築が最盛期を迎えた爛熟期とみなされていて、数寄屋造りをはじめ素晴らしい建築物が沢山建てられている。しかしながらその維持管理にコストがかかることから、また相続税を理由に多くが無意味に破壊されるようになった。バブル崩壊後のデフレ的世相は《コストパフォーマンス》というもっともらしい価値観を提供したが、それが後押しして『安物買いの銭失い』的なモノが増えた。立派で瀟洒な邸宅は解体され土地は分割され、代わりにプラスティッキーで、100均ショップで売ってそうな品質の矮小な住宅に置き換わった。

それは、先祖代々という家制度の崩壊によって、『住宅』は家が何世代にもわたっての為に『建てる』ものではなく、各世代が個々人で自分の世代のためだけに『買う』使い捨ての物となったことも理由だろう。3000〜5000万円という超高額な購買品が、わずか20〜30年という短期間で捨てられ壊されるという事実は、残念ながら多くの人の関心事とはなっていない。

…などというクソ真面目な事柄を、リーデルのグラスに注いだスコッチウィスキーを燻らせながら思い馳せる。例えばマッカランは12年より18年、それよりも25年と、長い年月を経た方が高価である。思えば、同じ英国のコッツウォルズにある木造の茅葺き屋根の400年超の古民家が、引く手数多(あまた)な人気ゆえに超絶高額で取引されているのも同様だ。これらは《時間》という不可逆的で決してそれ以外の方法では手にすることが出来ない物語に意味を見出し、経年、つまりそのモノが過ごした時間=歴史に価値を置いているからに他ならない…。

さて、石蔵に戻ろう。

壊すのは簡単だ。重機を使えば石蔵のひとつやふたつは2〜3日で更地となる。しかしながら、同じものを作ることはおそらく二度と出来ない。仮に作れたとしても《歴史》を抱擁した同様の物になるためには100〜200年といった時間が必要なのだ。それにモノにはそれぞれの寿命があるはず。人間の都合とは無関係に。…というのは以前【モノの天寿〜お礼の返信に代えて〜】に書いた。

石蔵を救いたいという想いを抱えながら、何も出来ずにただ指を咥えて壊されるのを待つだけの自分が歯痒くて、せめてもの思いで真面目な文章に筆を走らせたけれど、それにしても残念無念。自分の身の回りの物だけでもいい、守るべきものを未来に向かって残したいと思う。

ああ。ガンバラナシませう。

*ネオテニー…幼児成熟。ウーパールーパーで知られる生物学用語。モラトリアムとして幼稚形態のまま一生を過ごすが性殖的には成熟している。

#歴史的建造物 #モノの天寿 #古き良き #建て替え #住宅 #コッツウォルズ #伊勢神宮


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