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花鳥風月〜養老孟司の金言

 旅するスーパースター、蕎麦宗です。

【4年ぶりの青虫アゲハとサンショの木】に書いたとおり、我が家の庭先でアゲハ蝶が飼われることになった。そうすると当然、家族の会話に虫の話題が増えることとなる。だからか知らぬが開いたネットに関連動画などが上がることはままある。
 先日もそうだったけれど、明らかにSiriは会話を盗み聞きしてるんじゃないかといぶかしい。定かではない。しかし、かなり疑わしい。
 そうしてAIが判断したからかどうかは分からぬが、養老孟司氏の動画が現れた。東大の解剖学教授として、またベストセラー《バカの壁》の著者として知られる氏は、虫好きでも有名だ。

 その物言いは風刺痛烈かつ愉快!。彼の著書はいくつも読んでいる。なので親近感もある。その動画は、大学生に向けた講演会の様子をまとめたものだった。かいつまんでご紹介すると…

 事前アンケートで《幸せ》を感じた時について学生に問う。すると『友人と遊んで楽かった』『家族と○○した』『恋人と一緒にいる』時などの返答がほとんどだったという。
 その解答に対して『危うさを感じ、心配がよぎった』と養老孟司氏は言う。何故なら、どの回答も人間関係の事だからだと。今はその関係性が《良い》から、幸せを感じるのかも知れないが、もしその関係性が悪化したときはどうなるのか。つまるところ《不幸》になってしまう、と。
 そこで氏は《花鳥風月》という言葉を持ち出す。それらは日本特有の文化として、自然を愛でるもので、捉える本人の感性が豊かである限り、その対象は決してうつろわないし変わらない。確かに月も花もいつも美しく、鳥の声も風の音もまた然りだ。それらに触れることによって《幸せ》を感じることが出来るもの。
 しかし、人間関係は相手次第でいかようにでも変わってしまう。その危険性を孕んでいるからこそ、《幸福》を、《人間関係》に依存した形に立脚させるだけでなく、《花鳥風月(=自然)》を愛でるという視点を加えることによって創り上げる方が良い。

養老孟司さんの公演より

 …という内容だった。ふむふむ、これは金言だ。

 若かりし頃は身近な人間関係だけがその世界の全てで、それゆえに学校での友人関係に亀裂が生じただけで、尊い命を絶ってしまうという事が起こるのだろう。そんな時に自然との関わりの中に身を置けば、美しさに癒され、あるいは関わる楽しみに孤独を感じずに済むはずだ。子供達よ、友達か少ないと嘆く必要はない。大いに木や花や虫や動物達と話したまえ。
 虫や鳥、花や月や空や風。あなたが欲したときは、いつだって自然は優しく寄り添ってくれる。しかしながら、東京のような都会では中々難しく、昨今では伊豆のような地方でも、人々の暮らしは自然から程遠い。
 そんな時世にあって、自分が普段していることは、まさに《花鳥風月》に触れることだなぁと改めて実感した次第。つくづく日本の文化の奥深さや歴史を感じざるを得ないし、それを出来ている自分は幸せだと思う。 

 さて…。山が、森が、山の神やヒカリが呼んでいる。人と自然を繋ぐ者、それらを調和させること。そのお役目を担う事は、これからの使命となろう。遠ざかってゆく人間関係の代わりに、大いなる存在達が身の回りに集まって来てくれているようだ。そして、愛すべき人達と共に、己れを磨いて行きたいと思う。
 よし、ガンバラナシませう。

韮山の里山と富士山
狩野川と大男山

#自然との調和 #養老孟司 #人間関係 #幸福の形

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