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2021年7月28日

 修士論文の最後に書き加えたかったが、論文として相応しくないと考え書かなかったこと

 最後に介護労働者の現状について苦言を呈したい。どういうわけかこの国では、介護労働者のような最前線で働くものにたいする理論教育がほとんど行われていない。介護労働者に命令する相談員やケアマネジャー、さらにはオムツ交換もろくにできない無能な経営者などについてはそのような教育が豊富にされているのに対し、肝心かなめの介護労働者に対してはほとんどなされていないのだ。その背景には、上野千鶴子が「ケアの社会学」で言うように、介護労働が、もともとかつては家庭内で行われており、それゆえに誰にでもできるものであり、かつは労働者の供給源は無尽蔵であるという錯覚が横たわっていると考えられる。しかし、実際に働く介護労働者の多くは、その仕事が誰にでもできるものではないと証言するだろう。人の支援をするということに付きまとう重い責任、コミュニケーションの高度な技術、厳しい感情管理などが求められ、さらには腰痛や怪我などのリスクも背負っている。目の前の高齢者だけを見ていればいいわけでもない。その人の背景の社会的理解、文化的理解も必要となる。

 果たしてそれが誰にでもできる仕事であるだろうか?この社会はこの最前線で働く介護労働者に対してお金をかけることを拒否し続けている。介護福祉士以上の教育システムをつくろうとしないし、スーパービジョンの体制構築もなされる気配がない。大手法人なら産業医などが配置されるが、中小ではそのようなメンタルへの配慮もほとんどない。

 その結果、2025年には人員の1割不足が心配されている。当然の帰結だろう。この社会はみてくれのいい現代版の姥捨て山をつくろうとしているのである。そして低賃金労働者としての介護労働者をもそこに捨て去ろうとしているのでもある。

 全国の介護労働者よ団結せよ!いまこそ介護共産主義の妖怪を徘徊させるべきときだ。

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