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2021年9月26日 人新生と治療塔

 斎藤幸平「人新生の『資本論』」読んでる。大量生産と大量消費という可視化された豊かさの背景に、大量搾取と大量廃棄がある。この負の部分は中進国や途上国に転嫁され外部化されて不可視化されている。先進国だけで見ると、二酸化炭素排出量は大きく減少しているが、それはこれら負の部分が外部に転嫁されているからであって、消費ベースで見た場合、つまりは先進国で消費されているものを作り出し、また処分するためにどれほどの二酸化炭素が排出されているかで見た場合、排出量は全く減っていない。にもかかわらず、現在の気候変動の原因は中国やブラジルやその他の中進国・後進国にあるという批判の声が聞こえてくる。そのようなことを言うのは二重に卑怯なことなのではないか?

 この本、まだ読み始めたばかりだし私は読むのが遅いから、この先この本がどんな結論、ようはあるべき社会の姿を描き出すのかまだ知らないが、読みながら思ったのは、大江健三郎が「治療塔」で描いた大出発後の世界のあり方である。核戦争と環境汚染で人が住み続けることが困難になった地球で、エリート層がごっそり宇宙の遠くで見つかった第二の地球に移住すべく出発してしまった後、取り残された「落ちこぼれ」の人々が、汚染された地球でなんとか共存していく話。そこではSTシステムというリサイクル工業と自然エネルギーによる新たな経済システムが誕生している。STシステムとは地球残留組が大出発のあとに自分たちでつくりあげた生産システムで、複雑に発達した工業製品を、誰でも半田ごてとドライバーで修理できるようななるべく単純なものに改良(改悪?)しつつ、これまでの大量生産ー大量廃棄で膨大に発生した産業廃棄物を活用して、汚染された地球で持続可能な生活をしていこうというものである。そのような知恵は先進国の住民たちには失われており、むしろ後進国といわれる国々で昔ながらの家電製品などを何度も修理しながら使い続けていた人々の知恵が生かされることになる。一言付け加えるなら時間を巻き戻すような形で工業製品を退化させつつも、省エネという部分ではむしろ改善するような工夫(それが可能かどうか知らないが)はこらされるとのこと。

 治療塔は40年近く前の小説。エリート層の大脱出を全世界の人々が歓迎する場面など、現在の日本の、自分たちは格差に苦しみつつ、しかし富裕層の考えを内面化して、おなじく格差に苦しむ他者を批判する多くの民衆という現状を予見しているようでもあり、STシステムや人類が住めなくなりつつある地球という指摘など含めて予見的で預言的な小説に感じる。「人新生の『資本論』」のつぎに「治療塔」を再読しようと思う。

 ただ、まあ、読んだ後で突きつけられるのはこれから先どう生きるかということであるのは間違いない。負の部分の外部化ということを考えるとグレタ氏のはじめた若者たちの気候変動への抗議運動が途上国を含む全世界に広がった理由がよくわかる。SEALDsのようなものかとなんとなく思っていたけど、社会問題の核心をつく息の長い運動になるのかもしれない。

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