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神戸いいとこ一度はおいで


 朝4時に起きて、いそいそと着替えをする。5時には家を出て、JRの駅に向かった。外はまだ暗闇である。京都方面行の普通電車に乗り込む。6時前には大阪駅に着いた。こんな時間に大阪ですることは一つだけ、大阪の都心部の街歩きである。大阪駅を御堂筋口から出る。駅の北辺に沿って西に進むと、右手にヨドバシカメラのビルとグランフロントのビル群が見える。さらに進むと広場に出る。中央にアイススケートリンクがある。「つるんつるん」というふざけた名前がつけられているようだ。その西の方に、現在開発中のグラングリーンの高層ビル群が見える。まだ建設途中で電灯ひとつついていない暗い巨大なビルが3棟か4棟固まって見える。その北に梅田スカイビルの独特のフォルムが明け初めた青紫の空に浮かび上がっている。

北へ向かう。ヨドバシカメラの巨大な建物をぐ
るりと回りつつ、周囲の風景を楽しむ。ぐるりとまわってまた御堂筋口に戻ってくる。いつもならそこからさらに御堂筋を南下して、中之島、淀屋橋界隈の都市風景を堪能するのだが、今日は気が変わった、難波に行ってみようと思った。
 大阪メトロ御堂筋線に乗る。まだ6時になったばかりの時間だが、大勢のサラリーマンが改札口に向かっていた。大阪メトロ御堂筋線沿線こそ、日本第二の都市大阪の心臓部である。それでも立錐の余地もないいつもの込み具合に比べると車内は空いている。座ることこそできなかったが、背中にリュックをしょっていても迷惑をかける心配はない程度だった。
 心斎橋で降りた。大阪メトロ心斎橋駅は、天井を彩る蛍光灯シャンデリアが見ものである。上品で美しい駅だ。シャンデリアを眺めつつエスカレーターで地上へ。

そこから歩いてなんばに向かう。途中道を一本東に入ると有名な戎橋に出る。人は少ないがそれでも観光客や若者がそれなりの数いた。グリコの看板を横目にみつつ、道頓堀の通りに入っていく。ちょうど荷の積み下ろしをするトラックがたくさん行き来する時間帯だった。車に注意しつつ道頓堀を歩き、その南にある法善寺横丁と法善寺を見る。


 そこから少しあるいてなんば広場に向かった。できた当初はいろいろ評価が分かれたが、私はこの広場にはいい印象を抱いている。

ただ一つ残念なのは、ここでは政治的主張が禁じられているらしいことである。できてすぐのころに、イスラエルのガザ地区空爆に反対する一人の人がこの広場でデモンストレーションを行おうとしたが、それは認められないと排除されたというニュースを見たことがある。なんば広場マネジメント法人というところの広場の利用規則を見ると政治的使用は基本禁じられているようである。

http://www.namba-hiroba.jp/pdf/nambarule2023.pdf

 高島屋の威厳ある建物と広場に設置されたいくつかの像が作り出すその空間は、ヨーロッパの古い都市の広場を思わせ、市民が政治的主張を交わす場としてふさわしいような雰囲気を持っているように思えるだけに残念である。選挙期間中の選挙活動はできるようなので、ぜひ各党党首の演説など行って欲しいところだ。スウェーデンの選挙では、広場に、各党がブースを設け、市民と政策について相互コミュニケーションが取れるようにするそうだが、そういうのをやってもいいのではないかと思う。

 基本私は、上記webページの主張と同意見である。市民に開かれた広場にしてほしいところである。
 そこから少し戻り、地下に降りて阪神電車でいったん自宅へ帰った。朝早く出たので8時前には帰っていた。1時間半ほど、仕事関係の勉強をし、今度は阪神電車で神戸に向かう。
 大倉山公園に神戸市立図書館本館がある。大きな図書館である。ここで借りていた本を返して、また本を借りた。大倉山駅から今度は神戸市営地下鉄にのり新神戸に向かった。新神戸駅で飲み物を調達し、新神戸駅の横から六甲山に登って行った。新神戸駅で降りたことのある人なら、その北側と南側であまりに風景が異なることをご存じだろう。
 ある福岡在住の男性30歳を思い浮かべてほしい。かれは新幹線で今、名古屋の大学時代の旧友のところへ向かおうとしている。彼は博多駅から新幹線の自由席車両に乗り込んだ。博多駅発ののぞみではあったが発車間際に飛び乗ったため、すでに自由席は込み合っていた。窓際に座りたいと思った彼は一生懸命窓際の空席を探して、1号車まで歩いて行った。一か所窓際の席が空いていた。できれば瀬戸内海を見たいから進行方向右側の空席をと探していたのだが、あいにくその席は左側だった。しかしほかに窓際の席は空いていない。彼は仕方なくその席に腰をかけた。新幹線は新山口、広島、岡山と停まり、新神戸駅に着いた。彼は外を眺めていた。神戸と言えばそこそこ都会と聞いていたのに、目の前に広がるのは山のただなかのような光景である。なんだ、神戸というのはこんな田舎町なのか、これなら福岡はおろか、広島や岡山、いや山口のほうがよほど都会ではないか、そう思いながら彼はうつらうつらしはじめた。名古屋に到着する。出迎えてくれた友人と旧交を温め、夜は友人のマンションに泊めてもらう。「あれだなあ、神戸というのはよほど都会だと思っていたが、ずいぶんと田舎のようだなあ。神戸に新幹線が停まった時は、あたり一面緑だったよ。」友人は言う。「馬鹿を言うな、神戸と言えば福岡にも負けない大都会だぞ」「なんだと!わが故郷、日本第三の大都会福岡を馬鹿にするのか!」「日本第三の都会が福岡だと?馬鹿を言うな!日本第三の都会は名古屋だ、馬鹿者!」「名古屋なんて駅前だけじゃないか!駅前だけ立派なビルが建っているが、少し離れるとよほど福岡の方が人が多いぞ!」「福岡なんぞ、名古屋はおろか、京都や神戸よりもずっと田舎だ!」「京都は知らんが、神戸みたいな田舎と大都会福岡を一緒にするな!」こうして二人は仲互いするのであった。気まずい翌朝、友人の方から先に謝罪の言葉が出た。「昨日は少し言い過ぎた。名古屋ほどではないが福岡もいいところだよ」彼も照れながら「俺も少し言い過ぎた。全体的にみれば福岡ほどではないが、駅前なんかは名古屋は大阪よりよほど都会だったよ」「帰りはぜひとも進行方向右側に座り給え。福岡ほどではないが神戸もなかなか都会であるという俺の言葉が本当であることがわかるはずだ」「そんなことはあり得ないが、、、まあ、わかった。お前が言うんだからせっかくだから左側に座るようにするよ」帰り道の新幹線の中で彼は、神戸もそこそこ都会であることを悟るのであった。


 神戸は六甲山が市街地に迫っている。南からは海が迫り、山と海に挟まれた東西に細長い市街地となっている。新神戸の駅のすぐ北はもう六甲山だ。新神戸駅から4、5分も山を登れば布引の滝という立派な滝が姿を現す。その昔、華厳の滝、那智の滝と並ぶ、日本三大神滝とたたえられてきたらしい。夏訪れた時は豊富な水量でごうごうと滝音を響かせていた。今は冬で水量が少ない。心細いほどの弱弱しい姿になっている。それでも高さ43mあるらしく、仰ぎ見る岩肌と冬枯れではあれ緑が美しい。


 新神戸駅から山道を登る。布引の滝など名所もあるためここから六甲山にハイキングに上る人は多い。そのため階段も整備され、そこそこ歩きやすい(ただ、行くなら歩きやすい服装と靴が必須である。私は今日はジョギングシューズを履いていた)。登るとまず布引の滝の雌滝がある。夏ならこちらも十分迫力があるが、今は心細いような流れになっている。そこからさらに上ると鼓滝がある。さらに登ると布引の滝の雄滝がその雄姿を見せる。雄滝の下に滝つぼがあり、そこからすぐにまた滝が落ちる、その滝は左右二股に分かれているので夫婦滝という(多分)。4つの美しい滝を眺め、さらに山道を登る。見晴らし展望台というところに出る。六甲山のすそ野の緑の向こうに高層ビルが立ち並ぶ神戸の中心地や港が見える。狭い平野部に押し込められた150万都市はこうしてみると確かに家々が隙間なく立ち並び、ビルもたくさんある大都会である。川崎造船の造船所なのか、赤いクレーンが立ち並ぶ工場地帯が見える。メリケンパークなど港湾部の風景も見える。前にnoteに書いたことがあるが、上から見る神戸はいつ見ても美しい。さらに山道を登っていく。布引貯水池というのがある。


ここは今もおそらく神戸市民の重要な水源となっているところだ。その周辺には古い水道関係の設備があちらこちらにある。この貯水池含め日本の近代化遺産になっているようである。貯水池は静かな山中の湖である。冬なお深い緑の山々が池を囲んでいる。キツツキの木をたたく音が響くのみの静かな風景にしばらく足を止めた。さらに1キロ歩く。市ケ原という河原に出る。ゴロゴロとした大小の石や岩からなる河原の中を水が流れ、夏場は水遊びのメッカとなる。冬に水遊びをする人はいないが、携帯の椅子を広げてくつろぐ人や、岩に腰かけて温かそうなコーヒーを飲む人が見受けられた。


 そこから引き返し、大倉山まで戻り、神戸駅に出て、そこにあるはなまるうどんでうどんを食べ、阪神電車で戻ってきた。本日いまのところ、スマホのカウントした歩数は2万7493歩である。

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