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速いロックを聴くとき

好きな人と会っていたというのに、頭痛がして吐き気もする。このままでは誰か人を殺してしまうかもしれないと思った。久しぶりの感覚だな、と思った。
解散して帰っている道中で聴くのはいつも速いロックばかりだ。どうせ駄目になるならそれでもいいじゃないかと笑う、という歌詞を聞いてなんとなくしっくりくる気がする。その曲はそんなに早くないけど。好きなバンドの歌詞がSpotifyに同期されていないから、歌詞を読むためだけにCDを買おうかと話したらもったいないからやめなと笑われたことを思い出していた。 ドラムがずっと後ろでシャカシャカと鳴っている速いロックが好きで、その上に乗る文学的とも捉えられる歌詞が好きだ。ストレートなラブソングも好きだけど、やっぱり私は小難しいことを歌っている歌の方が好きかもしれない。 
死にたくなるほどしんどいのにどうせ夜は来るから耐えられない。どうしよう、今日も夜が来る。どうしようもない夜が来る。制作で紛らわせるにも、パソコンのある作業部屋にいけないことには話にならない。こういうとき、デスクトップでなかったら便利だなあと思ったりする。MacBook Proを買い足す余裕はないので、それよりも自分の体を強くしないといけない。ストレッチや筋トレをしたり、歩くか走るかして、運動しないとな。精神がこんなにダメなときは街を歩くだけで目から入ってくる情報量が多すぎて疲れてしまうから、歩くのは公園か山にしないといけないな。なんとなくそんなことを考えながら、頭の中を空っぽにできる術を探していた。
やっぱり私にとって夢中になれることといえば、絵を描くこととか、音楽制作とか、社会的に生産性のないことばかりだ。最近はアプリケーションに文句を言いながら動画の編集をする作業も好きだ。好きなことが仕事になればいいけれど、そこまでやれるような自信がない。 そうだ、私には自信が足りない。圧倒的に足りない。どうしてだろう?と考えたら、嫌なことばかり思い出した。小学生のときクラスメイトに仲間外れにされたことや物を隠されたこと、中学に上がっても友達ができなかったこと、不登校になったこと、誰も選ばなかった女子高へ進んだこと、クラス替えを経て再び不登校になったこと。それらのピースが持つ意味について、大人になってからパズルのように当てはめるのは簡単なことだけど、そのパズルが出来上がったとしても納得のいく答えにはならない。様々な要因があったとはいえ、なぜこんなにでこぼこな心になってしまったのかわからない。わかりたくない。その時々を頑張って生きていたのに、くだらない人たちから否定され続けたから?好きじゃない人たちを無理やり好きになろうとしたから?環境を与えられた運命として受け入れるのは少し難しいことだったのかもしれないな。もっと違う道があったと思う?でもそれは、私にとっても家族にとっても血の滲むような努力が必要だったのでは?自分への問いが尽きないからまだ生きている価値がある、とまで思うのはおかしなことかな。 
こういう小難しいことを考えるのは嫌いじゃないけど、小難しいことを言っている人間は大嫌いだ。私は私が嫌いだ。自分のことを好きになれる世界線はどこ?私は自分自身のことを好きになるための努力を始めなければならない。自分を好きになること、受け入れること、許すこと、それらの行為は救済になるはずだ。助け舟を待っているだけではだめだ。自分で自分を助けられるようにならなければ。いつか周りが敵だらけになってしまっても、自分の心だけは自分自身の味方でありたい。 勉強したいことがたくさんある。覚えたいことも。まだ死にたくない。 変わりたい。向かい風が吹いても強く在れるように。前を向いて歩きたい。ビクビクせずに街を歩きたい。

大好きなマッシュアップを再生する。この曲を再生するときだけ私の心は舞浜駅まで飛ばされる。2018年11月、寒い季節が始まった頃の、今となってはもう思い出せないきらきらとした記憶。あのとき私はあの場所で、どんな顔してた?
どうせ今はもう誰も知らない答えを、大雨の後に吹く風だけが知っている。

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