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「はたらきたくない病」の思考実験(?)

脳の障害で無気力になり「働きたくない」と思ってしまう人がいたとする。仮に『労働忌避障害』とでも呼ぼう。ある日、「働きたくない」を「働きたい!」に変える画期的な治療法が開発される。この治療を拒否した人は障害年金をもらえるだろうか?

一般的に考えるともらえない気がする。治療しないとどうなるかわかっていて治療を拒否したのなら、結果どうなろうとあなたの責任、あなたの選択の結果、というわけだ。しかしここで注意したいのは、障害年金がもらえなければ事実上の治療の強制になるということだ。労働忌避障害者は働けないのに、働かなければお金がもらえない。お金がもらえないなら餓死するしかない。治療を受けるか餓死するか。二つに一つ。

労働忌避障害者は治療を強制されているのだ。しかしこの治療は人格改造である。「働きたくない」と思っている人の意思に反して「働きたい!」に改造される。個人の意思を無視して人格を矯正するのは、同性愛者を異性愛者にむりやり変えるようなもので、はっきりと人権侵害にあたる。

人権侵害を回避する方法はただ一つ。障害年金を給付するか、ベーシックインカムを導入するかだ! 二つになったわ。

似た例に近視の人がいる。
メガネを作れば問題なく働ける。メガネがなければ働けない。そんな近視の人がいたとして、メガネを作ることを拒否して障害者年金をもらえるか? ……もらえない。これはその人の意思決定の問題だから。どのような結果になっても、その人自身に責任の所在があるということにされる(そしてメガネを作ることが強制される)。

しかしその意識決定すら障害に由来していたとすれば?

働きたくない人は働きたくないのである。
それは障害に由来する。
個人の意思ではどうしようもない。
しかし治療を受けない、という意思決定を否定することは人権侵害である。
意思がない人の意思を尊重するとはこれいかに……?

労働忌避障害の治療はおそらく任意になる。そして自分の意思で治療を拒んでいたとしても障害年金を受けとる権利がある。「働きたくない」「治療を受けたくない」と思ってしまうのは障害のせいなのだから……そうか?

僕の文章にツッコミどころを見つけて、優しくいっぱい指摘してほしい。

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