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#45 荀子(下)

“荀子(下)"を読了。
少々ボリュームがあったけど、ようやく荀子(下)を読み終えることができた。
本書の終盤に荀子の思想の特徴が書かれているけど「人間を支配する迷信的権威の否認」というのが非常に大きなポイントだと実感する。
天というものではなく、あくまで君主の実践によって世の中は大きく変容するのだと喝破しているように感じた。
儒学の中でも異端だと言われる所以を掴めた気がする。

特に印象に残った学びは下記の3点。

①君子は自分自身の分内の問題を慎重に処理してそれ以上のことは求めようとしないのであるが、つまらない小人は自分自身の分内の問題を捨てて高遠なことを追求する。君子は自分自身の分内の問題を慎重に対処してそれ以上のことは求めない、だからこそ日々に進歩していくのである。

②そもそも行うということは礼を行うことである、礼というのは、身分の高い人には尊敬し、老人には孝行を尽くし、年上の者には従順し、幼い者には可愛がり、身分の低い者には情をかけることである。

③民衆の道義心が利己心に勝っているのが治世であり、利己心が道義心に勝っているのが乱世である。そして君主が道義を重んじれば民衆の道義心も利己心よりも強くなり、君主が利益を重んじれば民衆の利己心も道義心よりも強くなる。


ひとまずこれにて儒学の学びは区切りをつけておこうと思う。今年前半、儒学や老荘思想を集中して反復学習することができて満足!

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以下、学びメモ。
ーーーーー
・およそ邪悪な人が起こる原因は、政治家が道義を貴ばず道義を慎まないからである。一体、義というものは人々が邪悪なことをしないように引き止めるためのものである。それなのに、今日では政治家はそれを尊ばず慎まなない。そのようでは下々の一般民衆たちも皆義を棄てて邪悪に走る心を持つようになる。
・★君子は自分自身の分内の問題を慎重に処理してそれ以上のことは求めようとしないのであるが、つまらない小人は自分自身の分内の問題を捨てて高遠なことを追求する。君子は自分自身の分内の問題を慎重に対処してそれ以上のことは求めない、だからこそ日々に進歩していくのである。★
・人間は生まれつき欲望を持っていて、欲望が遂げられなければどうしてもそれを追求しないわけにはいかず、追求してそこに決まった範囲の規則分別がなければどうしても争わないわけにいかない。そのため、欲望とその対象物とを互いに平均してのばすようにしたのだ。これが礼の発生した起源である。
・すべての礼は初めは疎略で中心部が修飾に富みやがて楽しく終わるのである。そこでその最も完全なものは人情に合う面とそれを超えた修飾性とをともに十分に備えており、その次のものは人情に合う面が強すぎたり修飾面が強すぎたりしており、その劣ったものは人情面に立ち返って修飾性に乏しいが大きな中心原理には帰一している。
・乱れた世の徴候。その服装は華美であり、その有り様は婦女のようであり、その風俗は淫らであり、その志向は貪欲であり、その行為は気まぐれであり、その音楽の調べは不正であり、一般文飾は邪悪で装飾が多すぎる。そして日常の生活については決まった法則がなく、死者を葬るのにはなおざりで粗末にし、礼儀を尊重しないで個人的な勇気や力量を重んじ、貧乏であれば盗みを働き金持ちであれば人を侵す悪事を働く。治った世はこの反対である。
・★辞譲の節度は正しく、長幼の道理はよく守り、はばかりのあることは言わず、怪しげな言葉は口にせず、仁愛の心で人に説き、勉学する人の説を聴き、公平な心でそれを判断し、一般人のそしりや褒め言葉に左右されず、観察者の耳目を惑わすようなことを言わず、身分の貴い者の権勢に媚びることをせず、君主の側近者の言葉だからといってそれを良いとはしない。そこでよく道に対処して背くことがなく、困窮の場合に志を曲げさせられることもなければ順調な時に環境に甘えて流されることもなく、公正を尊重して偏った闘争を軽蔑する。これが士君子の弁説である。★
・★人間の本性は悪いものであって、その善さというのは偽すなわち後天的なしわざの結果である。人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向があり、それに従ってゆくから他人と争い奪い合うことになって譲り合うことがなくなるのである。また、生まれつき妬んだり憎んだりする傾向があり、それに従ってゆくから、他人を害するようになって誠心の徳がなくなるのである。また、生まれつき美しいものを見たり聞いたりしたがる耳目の欲望があり、それに従ってゆくから、無節制のでたらめになって礼儀や文理がなくなるのである。★
・沢山に話をしても全てその話が修飾的で法則に適っており、一日中議論する時でも、その話し方は様々に例を挙げて変化しながらしかも中心の条理が一貫している。こういうのが聖人の知恵である。
・★君主としての道に五つある。第一のことは、臣下の職に、無駄に徒食する者のないようにし、農業生産を奨励して費用を節約すれば財物も豊かになり、事業は全て上聞されて臣下の間で勝手に民衆を使役することのないようにしたなら民衆の労力を集中統一できる。第二のことは、国民にそれぞれの仕事を守り行わせ、衣食を足らせ、その豊かさを等級づけて階級差を明白にし、利益はただ君主から受けるばかりで臣下が勝手に与えることのできないようにしたなら誰にも私徳を立てることはできなかろう。第三のことは、君主の法令が明白で、言論にも決まりがあり、規範がはっきりと立てられて民衆にも拠り所がわかり、臣下の進退にも基準があって勝手に身分を上下することのできないようにしたなら誰もこっそり王者に取り入るものはなかろう。第四のことは、君主の法令は遵守させ、禁令は行わせず、全て教えに悦服するようにしたなら君臣の名分は揺るぎない。これに従う者は繁栄してこれに背くものは恥辱を受ける、誰もが他のことを手本とする。第五のことは、刑罰が道理にかなって、その枠を越えさせず、臣下がそれを運用することのないようにして私家の勢力を削ぎ、罪と過ちを決するのに基準を立てて勝手に軽くしたり重くしたりすることのできないようにしたなら君主の権力は分散しないだろう。★
・★そもそも行うということは礼を行うことである、礼というのは、身分の高い人には尊敬し、老人には孝行を尽くし、年上の者には従順し、幼い者には可愛がり、身分の低い者には情をかけることである。★
・親戚を親戚として扱い、昔馴染みのものを昔馴染みとして扱い、功績あるものを功績ありとして扱い、苦労したものを苦労したものとして扱うのが、仁愛による差別である。貴人は貴人として敬い、尊者は尊者として敬い、賢人は賢人として敬い、老人は老人として敬い、年長者は年長者として敬うのが、義による秩序である。以上のことを実践してそれぞれに節度のあるのが、礼による秩序である。仁は愛であるから情的に親しむのであり、義は道理であるから石的に行為するのであり、礼は節度であるから物事を完成するのである。
・★民衆の道義心が利己心に勝っているのが治世であり、利己心が道義心に勝っているのが乱世である。そして君主が道義を重んじれば民衆の道義心も利己心よりも強くなり、君主が利益を重んじれば民衆の利己心も道義心よりも強くなる。★
・★孔子は言われた「人間としての悪事は五つある。第一に心が詮索好きで陰険なこと。第二に行為が偏って頑ななこと。第三に言葉が嘘つきで雄弁なこと。第四には悪いことばかり記憶して多方面であること。第五には悪事に従って念入りなことである。」★
・★孔子は言われた「君子には三つの思慮することがある。若い時に勉学しなければ壮年には無能者になる。年老いて人に教えなければ死んでから慕われることがない。物を持っている時に施しをしなければ困窮した時に助けられることがない。」★
・荀子の思想の特徴は、


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