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#57 民主主義と教育(上)

"民主主義と教育(上)"を読了。
前回"成人の教育理論"に関する本を読んだ際に、もう少し教育というもの自体に関して思考を深めたくなり、教育学の古典として有名な本書をチョイス。
当時の知識詰め込み教育を真正面から否定をして、もっと自主的に学ぶ環境の提供こそ民主的な本当の教育なのではないか?と論じている内容。
特に印象に残ったのは下記の3点。

  • 生存を続けようと努力することは生命の本質そのものである。この存続は、不断の更新によってのみ確保されうるのであるから、生活は自己更新の過程である。

  • 教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである。

  • 我々は固定化/完成した世界に生きているのではなくて、現在進行中の世界の中に生きている。そしてその世界では、我々の主な仕事は未来に向かうものであり、回顧すること(知識はすべて回顧的なものである)は、我々の未来に対処する行動に堅実さや安全性や多産性を与えることにおいて価値を持つである。

良書の気配がする。

以下、学びメモ。
ーーーーーー
・★生存を続けようと努力することは生命の本質そのものである。この存続は、不断の更新によってのみ確保されうるのであるから、生活は自己更新の過程である。★
・あらゆる社会制度は事実上教育的であるけれども、その教育的効果は、まず年長者と年少者の共同生活との関連において、共同生活の目的の重要な部分となるのである。社会が一層複雑な構造や資産を持つようになるに従って、制度的なつまり意図的な教授や学習の必要性が増大する。
→制度的な教授や訓練の範囲が拡大するにつれて、直接的な共同生活において獲得される経験と学校において獲得されるものとの間の好ましからざる裂け目が産み出される危険が生じる。
・社会的環境は、一定の衝動を呼び覚まし、強化し、また一定の目的を持ち、一定の結果を伴う活動に人々を従事させることによって、彼らの中に知的および情動的な行動の諸傾向を形成するということである。
・★知力とは、具体的なものとして、まさしく事物をそれらの使用法の点から理解する力に他ならないし、社会化された知力とは、連帯的な、つまり共有された情況においてそれらの事物を用いる使用法の点からそれらを理解する力なのである。そして知力とはそのような意味で、社会統制の方法なのである。★
・可塑性とは、先行の経験から後続の活動を修正する諸要素を獲得して保持し、持ち越す能力である。これは、習慣を獲得したり、一定の性向を発達させたりする能力を意味する。
・★成長する力は、他人を必要とすることと、可塑性に依存している。この2つの条件は共に児童期と青年期に最高の状態にある。また、能動的成長は、新たな目標に能力を適用するための思考力/発想力/独創力を含んでいる。★
→学校教育の価値の基準は、それが連続成長への欲求をどの程度まで作り出すか、そして、その欲求を実際に効果のあるものにするための手段をどの程度まで提供するかということである。
・★教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである。★
・教育は社会的過程であり、しかも多くの種類の社会が存在するため、教育の批判や解釈の基準は、ある特殊な社会の理想を含んでいるのである。
→★ある社会生活の形態の価値を測定するために、「ある集団の関心事がどの程度までその全成員によって共有されているかという点」と「その集団が他の集団とどのくらい十分にorどのくらい自由に相互作用しているのかという点」の2つの観点に注目すべきである。★
→すべての成員が等しい条件でその社会の福祉に関与できるように条件が整備され、色々な形の共同生活の相互作用を通じてその制度を柔軟に調整し直すことができるようになっているような社会は、それだけ民主的なのである。
→そのような社会には、人々が社会の諸関係や統制に自ら進んで興味を持つようにし、混乱を引き起こさないで社会変化をもたらすことができるような心の習慣を身につけるようにするような、そういう種類の教育が必要なのである。(この観点で「プラトン哲学」「18世紀の啓蒙主義」「19世紀の制度的理想主義哲学」の3つとの違いを比較した)
・★人は学習することなしに他の人々との交わりに参加することはできない。そのため、教養とは、絶え間なく、意味の認識の範囲を拡大し正確さを増していく能力である。★
・興味と訓練は、目標を持つ活動の相関的な二面である。興味というのは、ある人がその活動を限定し、またその活動の実現に手段や障害を与える対象に関係していることを意味する。
→目標のある活動はどれも、初期の不完全な段階と後期の完全な段階との間の区別を含み、さらに中間的段階を含むのである。興味を持つということは、事物を孤立したものとして捉えることではなくて、そのような連続的に発展しつつある状況の中へ入り込むものとして事物を捉えることである。
→所与の不完全な事態と、所期の達成との間の時間差は、変形のための努力を必要とする。つまり、注意と忍耐の持続を要求するのである。この態度が、意思という語が意味することであり、訓練、すなわち持続的注意力の発達はその成果である。
・教育にとって重要な2つの結論が生じる:
①経験とは元々能動/受動的な事柄であって、それは元々認識的な事柄ではない。
②しかし、経験の価値の尺度はそれが示すようになる関係ないし連続性の認識にある。経験は、それが累積的であれば、すなわち何かに達するならばそれだけ認識を含むのである。
・★我々は固定化/完成した世界に生きているのではなくて、現在進行中の世界の中に生きている。そしてその世界では、我々の主な仕事は未来に向かうものであり、回顧すること(知識はすべて回顧的なものである)は、我々の未来に対処する行動に堅実さや安全性や多産性を与えることにおいて価値を持つである。★
・★生徒にとって思考することそのものが教育的な経験の方法であるため、教授法の要点は下記の5つとなる★:
①生徒に本物の経験的場面を与えなければならない。生徒がそれ自体のためにそれに興味を持つような、連続的活動が行われなければならないのである。
②この場面の中で、本物の問題が、思考を呼び起こす刺激として現れなければならない。
③生徒は、それを処理するのに必要な情報を持つべきであり、観察を行うべきである。
④解決案が生徒の心に浮かび、しかも生徒がそれを整然と展開する責任を持つべきである。
⑤生徒は自分の考えを適用して試し、それらの意味を明らかにし、自分でそれらの妥当性を見出す機会と必要を持つべきである。
・★個人の態度という面で表現するならば、良い方法の諸特徴は、率直さ、柔軟な知的興味、つまり開かれた心を持って学習しようとする意思、目的の公明正大さ、思考を含む自分の活動の諸結果に対する責任を引き受けること。★

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