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#78 塩鉄論

“塩鉄論”を読了。
漢時代において武帝が施行した「塩、酒、鉄の専売」などの財政政策の存廃について、宣帝のときに朝廷で行なわれた会議の討論内容をまとめている内容。
政府側の主張では商業・塩・鉄の専売は次の3点(「財政的意義」「経済政策的意義」「政治的意義」)があるとして、賛成の立場をとっていた。
反対に、賢良・文学は反対の立場をとっていた。理由として3点(「専売は国家が民と利を争うもの」「官吏の商人化による汚職が横行してしまう」「官製品は画一的であり農民にとって不便である」)を挙げた。

本書の全体を通じて、政府側は法家思想強めの儒家思想の雰囲気がある一方で、賢良・文学側は儒家思想を全面的に押し出している感じだった。
本書で特に印象に残ったのは下記の3点。

  • 思うに昔の均輸は労働を均等にし、国家へ貢物を納めるのを便利にするものであり、利益のために多くの人民にあきなうものではありません。

  • 醜い人は自分では美人と思っているから飾らないし、愚かな人は自分では賢いと思っているから学問をしません。自分が人を見て笑っても、人が自分を見て笑っているのを知りません。人の説を用いるのを好まないで、自分の方が良いと思っているので間違うのです。

  • そこで仕事は役に立たないことばかりやり、財産と不急のことに注ぎ込みます。ところが口腹には足しにはならない。だから国が富の不均等という病気になると政治は疎かになり、人が富の不平均という病気になると身体は危うくなります。

当時の議論内容が記載されている本はかなり珍しいので、非常に良書でした!
以下、学びメモ。
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・昔は人民に税金を課すにあたって、その得手とするものに課し、不得手なものには課すことがありませんでした。農民はその収穫物を納め、女工はその織物を差し出しました。今日は人民の作るものをさておいて、作らないものを無理やり取っております。そこで人民は安い値段で物品を売って、国家の税金に充てております。
→★思うに昔の均輸は労働を均等にし、国家へ貢物を納めるのを便利にするものであり、利益のために多くの人民にあきなうものではありません。★
・★仁の徳を体得した人だけが乏しい生活をしても、貧乏を楽しむことができ、ふつうの人は富むときっと人を損ない、貧しいときっと道理に背いてしまう。★
・★醜い人は自分では美人と思っているから飾らないし、愚かな人は自分では賢いと思っているから学問をしません。自分が人を見て笑っても、人が自分を見て笑っているのを知りません。人の説を用いるのを好まないで、自分の方が良いと思っているので間違うのです。★
・君子はできるだけたくさん聞いて疑わしいものを省き、祖述するだけで創作しません。徳が優れていてすくししか図らないし、知恵があって少ししか物事をやりません。そこで功業が成って失敗しないし、名声が立って廃れません。これに対して一般人は知恵が浅いのに謀ばかり大きく、力もないのに任務だけが重いので途中でダメになる。蘇秦や商鞅がこれです。
・口だけで真心がなく、約束しても信用できず、難儀にあって勇気がなく、君主に支えて忠義でないのは親不孝の最大のものです。孟子は「今日の士や大夫は全て罪人だ。いずれも君に悪事を行わせ、その悪事に従っている」と言っている。
→また、まだ発言すべきでないのに発言するのは傲慢である。
・一個のまげものに百人の労力が用いられ、一個の屏風に万人の仕事がなされ、その甲斐はまことに大です。一体、目は五色を見て、耳は五音を聞き、身体はできるだけ軽く薄いものを着、口はできるだけ甘く柔らかいものを食べようと思うものです。
→★そこで仕事は役に立たないことばかりやり、財産と不急のことに注ぎ込みます。ところが口腹には足しにはならない。だから国が富の不均等という病気になると政治は疎かになり、人が富の不平均という病気になると身体は危うくなります。★
・曲がったものを直すにはまっすぐなものを用い、飾りの多いものを救うには質朴なものを用いることです。公・卿・大夫の子孫が本当に車に節度があり、衣服を適当なものにし、自分から節倹を行い、質朴の見本を示し、庭園や池を廃止し、土地や家屋を小さくし、都市では市場では市場の店が平穏、その外部では山や沼地が平穏であるようにできたら、農民は農業に打ち込み、女工は製品を売り出すことになるでしょう。
→★人々の感情や意志などのつながりが和やかとなり、富の不平均の心配はなくなるでしょう。★
・★今日、国家の第一の政策は、戦争をやめ、兵士を休ませ、贈り物をたくさん送って匈奴と和を結び、御自分で文の徳を治められることである。★
→もし人々の危急を憐れまず苦難を考えず、頼みとする人たちを疲れさせ、役にも立たない土地を手に入れようとすると、十を失って一だけ手に入れるということになるでしょう。
・刑罰を厳しくして国を治めるのはちょうど秋と冬の間に働いて穀物を作るようなものである。だから法令は悪人を治める手段で、最上の政治のやり方ではありません。そこで昔は聡明な君主は道徳・教育を盛んにし、刑罰を緩くした。

(解説)
・塩鉄論の背景として、外征に加え、国内では各種の土木事業を起こした背景があり、武帝の時代は国家の財政支出が急激に増加した事業がある。
→「売官/売爵/贖罪」「塩/鉄/酒の専売」「緡銭税/車船税の実施」「均輸/平準の法の実施」などの影響で財政収入は増加したが、それだけ人民の負担を増加させたことになる。武帝の晩年には人民の間に不満の声が起こり、各地に盗賊が発生し、また中央では武帝の対外政策に反対していた衛太子が殺された。

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