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夷数和、エズスク、イイスス —君の名は— (前編)

昨年は、Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?という題で、「言語学な人々」のアドベントカレンダーの12月25日の記事を書かせていただいた。その中で、イエスという名前は何語かを論じた。2022年のアドベントカレンダーの今回は、これらの聖書の人名が日本語、および、琉球語、そしてアイヌ語でどのように書かれてきたかを述べたい。なお、現在、テキサス州のオースティンに筆者はいる。テキサス大学オースティン校で開催された言語類型論学会 (ALT 2022) での学会発表とセッション司会の務めは無事に果たしたが、自分のサイトのセキュリティを高めすぎたためにVPNを使っても、国外から、昨年のように記事を書くことができず、noteの機能を知るためにも、本年はnoteに書かせていただく。

(注意:ギリシア語のアクセントとIPAの記号の一部のブラウザでうまく表示されておりません。ご了承ください。)

イェホーシュア、イェシューア、夷数、夷数和

元々、聖書の言葉では、イエスは、旧約聖書では、יֵשׁוּעַ‎ /jəʃuːʕɑ/ (音訳:イェシューア)であり、この形は、יְהוֹשֻׁעַ /jəhoːʃuʕɑ/ (イェホーシュア「ヤハウェは救い」の意)の音中音消失 (syncope)で形成された形であると言われる。なお、最後の「ア」の音は、喉の奥の咽頭を狭めて摩擦させて発音する有声咽頭摩擦音 [ʕ] を伴う。同じ名前の人物が、旧約聖書では、ヨシュアと日本語音訳されている。イエスが生きていた時代には、アラム語が一般的に話されており、יֵשׁוּע‎ /jəʃuːʕ/(イェシューァ)と呼ばれ、この語は、現代でも、アラム語の一方言である古典シリア語を典礼で用いる教会で用いられている(古典シリア語のエストランゲロ体表記では、ܝܫܘܥ‎)。このアラム語形は、おそらくイラン諸語を通して、マニ教(明教)によって、中国に伝わり夷数 / 夷数和と漢字で記載された。夷数和はアラム語(古典シリア語)の /ʕ/ の有声咽頭摩擦音に対応する音を表したものであろう。マニ教は、ネストリオス派キリスト教(景教)とゾロアスター教(祆教)と並んで唐代三夷教に数えられるほど一時は首都長安を中心にその信仰は流行したが、その後「会昌の廃仏」(840年)によって、大きく衰え、長江下流域などで、信仰が細々と続いた。

イェスース、イエズス、イェスス、イイスス

一方、新約聖書が書かれた言語であるコイネー・ギリシア語では、ΙΗΣΟΥΣ / Ἰησοῦς と書かれる。これは古典ギリシア語教育で使われる半ば人工的なエラスムス式発音ではiēsūs とラテン文字転写され、古典期のピッチアクセントも忠実に守れば、/i˩.eː˩.suː˥˩s/ (音訳:イエースース) と発音され、sūsの長母音の初めの半分が高く、後の半分は低く発音される。しかし、イエスが暮らした紀元後1世紀ころは、/ie̝sus/(イエスス)に近く、発音されていたと考えられ、このエ (e̝)はイに近い開口度の狭い母音である。これが中世・そして現代のギリシア語になると、/iisus/ (イイスス)となり、これを取り込んだ日本正教会の典礼では、イイススと発音される。一方、 Ἰησοῦς は、ラテン語に借用されIESVS (Iesus, Jesus) となった。なお、Jは元々Iから、Uは元々Vから派生し、ローマ帝国時代には、VとIしかなく、小文字はまだ生じていなかったため、最も伝統的な表記はIESVSである。JとU(およびそれらの小文字のjとu)はIとV(およびそれらの小文字のiとv)から、中世に分離した。IESVSは、現代の教会ラテン語では、母音間のsは有声化され、/jezus/(イエズス)と発音される。この発音が日本のカトリック教会で音訳され、しばしばイエズスという呼び名が用いられる。有名な修道会であるイエズス会も、この表記を用いている。日本語では、現在では、イエスと一般的に呼ばれるが、カトリック教会では伝統的な祈りやフランシスコ会訳聖書などでイエズス、日本正教会では、今もイイススと呼ばれている。以上で述べたように、イエズスは、イエスのラテン語形IESVS (Iesus, Jesus) に、イイススは、イエスのギリシア語形 Ἰησοῦς の現代ギリシア語読みである/iisus/ に由来する。

エズスク

1832年8月、カール・フリードリヒ・アウグスト・ギュツラフは、琉球王国の那覇に到着した。彼は、オランダ伝道協会で中国を中心に宣教活動をしていたプロテスタントのドイツ出身の宣教師であった。彼はマレー語および中国語を学び、タイ語への新約聖書の翻訳を行うほど、東アジアの言語の習得に熱心であった。彼は、琉球王国訪問時に、漢訳聖書を那覇の住民や琉球王に献上した。中国に戻ったギュツラフは、3人の日本人漂流民、音吉、岩吉、久吉に出会い、彼らから日本語を学んだ。この3人の漂流民は漁師で尾張の出身だと言われている。彼らから学んだ日本語をもとに、ギュツラフは、『ヨハネによる福音書』、『ヨハネによる手紙1』、『ヨハネによる手紙2』、『ヨハネによる手紙3』を日本語に翻訳し、シンガポールで『約翰福音之伝』と『約翰上中下書』として出版した。これは、プロテスタントによる初めての日本語訳聖書だと言われる。この聖書翻訳で、ギュツラフは、イエスをエズスクと表記している。エズスクの音訳には謎が起こる。エズスの部分は、教会ラテン語読み、あるいは、ドイツ語読みの音訳イエズスに相当すると思われるが、エズスクの最後のクに対応するものは何であろうか。


ギュツラフ訳の『ヨハネによる福音書』第1章29節

ミヤウゴニチ ヨハン子ス エズヽクヲ ヒトノトコエクルノヲ ミテユフタ。
明後日 ヨハンネス エズスクを 人のとこへ来るのを 見て 言ふた。
「明後日、ヨハンネスはエズスクが人の所へ来るのを見て、言った。」

ギュツラフ『約翰福音之伝』1837年刊(上の写真の真ん中の行の翻刻と注釈と翻訳)

このエズスクの「ク」の謎、さらに古い16-17世紀のキリシタン版における「イエス」の表記、ギュツラフ訳に続くプロテスタント訳聖書であるベッテルハイム訳(琉球語および日本語)の表記エス、バチェラーによるアイヌ語訳のYesu、ヘボン・ブラウン訳 (1872年)、永井直治訳 (1928年)、明治元訳 (1887年) の「イエス」の表記、そして、漢字の表記として最もよく用いられた「耶蘇」の表記について、ここから書いていこうと思う。

(申し訳ありませんが、現在、テキサスから東京に戻るのに忙しく、言語類型論学会での疲労から回復したクリスマス頃に、後編という形で公開する予定です。恐縮です・・・。)

to be continued→


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