見出し画像

外壁がピンクの家

(実体験を交えたフィクションです)

三十を過ぎても実家にいた僕は、少し前に話題になった子供部屋おじさんをずっとしていて、パラサイトとか寄生虫と言われることに耐性がついてしまい、抵抗なく人に甘えることができる。

人に「助けて」と言える人なんだね、と言われるとそういうわけではなく、親だろうと親友だろうと晒せない弱みというのはある。


親のスネをかじりつくす前になんとか実家を出たが、実は今も、ある家によく世話になっている。


世話をやいてくれる、面倒見のいい女性は元同僚だ。

一年ほど前に転職した彼女とは、しばらく連絡をとっていなかったのだが、ある日突然食事に誘われた。

久しぶりに会い話すと、新型ウイルスの影響で、現職場から遠い自宅から通勤することを避け、実家に居座っているのだという。

この実家というのが彼女の今の勤め先から近く、また、以前の職場、つまり僕の職場からも近い場所にある。


彼女は以前から僕を気にかけてくれていた。ちゃんと食べているのか、困っていることはないか、しょっちゅう引っ越してるみたいだけどかかりつけ医はいるのか、など。安く売っていたと靴下や、ある時は下着まで買ってきてくれて笑ったことがある。


まるで母親のようだが同年代の彼女は、うちより少し年上の母と二人で今は暮らしている。離婚した父は、亡くなったそうだ。

うちの母が頭より体を動かすタイプなら、こちらの母は頭が良く口が達者だ。実家に呼ばれるようになり、何度も一緒に食事をしているうちに、お母さんは切れ味鋭くユーモアも交えて僕をからかうようになってきた。


僕が前同僚と親しくしていることを知ると、「姉さん」と慕う先輩はニヤニヤしながら「付き合っちゃえよ」と言ってくるのだが、何故かそういう意識を持ったことがない。たぶん、向こうも同じだ。

電話がきて家に呼ばれる。夕飯をご馳走になり、酒もいただく。酔いがまわり眠くなってくると僕は帰る支度を始め、彼女たちも「早くしないと電車がなくなるよ」と言う。「もう遅いし泊まっていきな」となったことは、お互い翌日休みでも一度もない。


彼女には中学生の娘が一人いる。この子がまたできの良い子で、感染防止のため自分は学校にも行けなかったとき、「近いんだからバーバんちから仕事行きな」と母の背中を押したそうだ。家に一人きり、家事全般自分でこなしていると聞き、唯ひたすらに感心した。

この娘、僕のことが気に入らない。面識はある。もちろんこんな奴が父になるのを嫌ってというのではなく、タダ飯を喰らっているのが腹立つのだという。当然だ。自分は一人でやりくりしているのに、彼氏でもない訳わからん他人がなんで!?と思うのは当然だろう。

お邪魔しているときに娘から電話がくると、僕は気配を殺している。


飯と酒をご馳走になり、たまに衣服を頂くという不思議な関係。僕は何かをしているかというと、女性二人が届かない高い場所にある物を取ったり、料理中買い忘れたと気づいたものを買いに行くくらいだ。

何故、ここまで良くしてくれるのか…。


ふと、思い出した人がいる。「レンタル何もしない人」の彼だ。

もしかしたら、彼女たちにとって僕はこれなのかもしれない。

自分からは誘わないし、頼まない。仕事が終われば大体暇なので、誘われれば断らない。親子とはいえ、ずっと二人で居ることが耐え難いときも、もしかしたらあるのかも知れない。話を振られなければ自分からは特に話さないし、「美味しい、美味しい」(お世辞ではなく本当だ)と食事をし、後は飲みながらダゾーンで野球を見ているだけ。


ウイルス感染者が減り、事態が落ち着いてきたら彼女は自宅に帰るだろう。そうなったら、僕は用無しなのでパッタリ呼ばれなくなると思う。楽しそうに僕をイジるお母さんとも二度と会うことはない。

「必要とされる場で、必要とされる働きをすればいい」

仲の悪い父がよく言っていた。

何もしない人として少しは機能していたかもしれない僕を知ったら、父はどう思うのだろうか。

緊急事態宣言解除後、父はすぐにバス旅行に行った。3密全てを含むバスに乗ってだ。母は昨年肺がんで手術をしたというのに…。父との不仲は深まり、ますます実家に帰りづらくなっている。


良くしてくれた二人との縁の切れ目が見えてきて思うのは、「しばらく手料理が食べられないな」ということ。恩知らずと相手が思うのであればそれまでだが、ポジティブな感情が豊かに湧くような器なら、抵抗なく他人の世話になるようなことはない。

これまでも、たぶんこれからも、自分を動かす動力は喜びや楽しみではないのだ。



遠くからでもよく目立つ外壁の家。そこで僕は頭空っぽに腹だけ満たした。

よく食べて、よく飲んだ。

短期間でひどく膨らんだ腹には、しばらく粗食が続いても大丈夫なくらい栄養が詰まっている。


自粛太り、自粛中に新たに始めた趣味、新しい発見、意外な自分。様々な場面で自粛や制限が求められている中、皆いろいろと感じ、得たものがあるだろう。失ったものもあるだろう。

僕が得たのは「何もしない人」としての可能性。そんなことは、誰にも言えない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?