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They can’t take my rhythm away.

会社に入るときと出るときで変わっているものな〜んだ。

これは別にとんちの効いたなぞなぞとかではない。毎日知らず知らずのうちに変わっているもの、それは自分の身のこなし方とか、思考回路である、という、つまらない答えから始まる話だ。

通勤というベルトコンベアーでの移動の道すがら、ぼくらはパン粉などをまぶされ、会社に到着するとフライヤーにかけられる。ジュワッ。

つまらない答えを中和すべく、勢いで揚げ物の比喩で話を進めてしまったが、これが果たして正しいのかはわからない。


朝はニュース番組のアーカイヴを聴いて過ごすことが多い。中東で起きている争いの話。ガザの北部から南部へと逃れてきたばかりの人の声を聞いた。避難するという選択肢を持ち得なかったために、彼女の高齢のご家族とは離れ離れになってしまった、と押し殺した声が語る。「まるでものすごい勢いで日の出と日の入が繰り返すようなんです。」あらゆる供給網が絶たれた場所から、彼女は爆撃のことをそう表現していた。電話越しに聞くニュースキャスターの相槌からは、向こう側に広がる現実を想像し、完璧に理解することなど到底できないことが伝わってきた。

ときどき、世界で起こっていることから自分を切り離せなくなって、現在進行形で自分が生きていることとの間で生まれる、どうしようもない矛盾みたいなものに耐えきれなくなることがある。


そんなことを考えていても、会社に到着して、締切を催促するメールを数件送ったり、エクセルに関数を入力したりしているうちに、カラッと揚がってしまうわけである。よくわからないまま、「何か」をうまくこなしたお手軽な達成感だけが積み上がっていく。軽やかにタスクをこなす思考と身体を手に入れる代わりに、いつしか世界への解像度は失われていく。

そんな狭間を行き来することを、人は「切り替え」と呼ぶのかもしれないが、誰にもおれのリズムを奪うことはできねえからな!と自分に言い聞かせながら毎日生きている。

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