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とりあえずペン持ってみたけど、何描いたらいいかわからん

気がつくと大学やアルバイト先の友達との会話に「就活」が居座るようになってから随分と経つ。やる気が出ないとは言いつつも、自分もそれを完全に頭の中から追い払えずに無意識に考えていたりする。最近は電車に乗るだけで「社会にはこんなに真面目に働いている人たちがいるのか、みんな偉いなあ」とよく感動している。

そんなこんなでぼくも昨年受けたダメージを引きずりつつ現実と向き合っている。超不完全燃焼だった2020年を経て、それを越えるようなやりたいことが見つからないのも、就活にいまいち本腰が入らないでいる原因かもしれない。

ある時自己分析をしていると、HSP(Highly Sensitive Person)ということばと出会った。ざっくりと定義すると、身体的・感情的・社会的刺激に対してひどく敏感な人のことを言うらしい。 ぼくも後ろの2つがかなり苦手で、人の感情を必要以上に感じ取ってしまったり、あれこれ考えすぎてしまったりするようなところがある。

だからぼくはいつも人と接するときに「テキトーな人」を演じてしまうことが多い(これはぼくにとって「テキトー」なだけで、必ずしも周りからそう思われているわけではない)。自分が見えている世界の解像度を70%くらいにぼかしていた方が楽しく過ごせるのだ。何だか偉そうなことを言っているけど、上手く整理がつかなくなって言葉に詰まってしまったり、「何を考えているのかよくわからない」と言われることも結構ある。

こんな感じなので、ぼくは所謂「頭が切れる」タイプでは全くないし、大体のことには要領の悪さを発揮してしまうので、果たしてビジネス的なことが向いているのだろうか…と考えたりもしてしまう。


ある日ポッドキャストを聴いていると、就活生の悩み相談が取り上げられていた。その人は美大生で元々就職はあまり考えていなかったのだが、才能と情熱の塊のような周りの学生を見て自信がなくなって就活を始めたのだという。しかし特にこれといった「やりたいこと」や目標がない中でモチベーションを保ち続けるのは難しく、絶望感と無力感ばかりを感じてしまう、といった相談内容だった。

一つの目標があって、それに向かって突き進めるような人生は羨ましいし、それが実際に出来てしまう人はめちゃめちゃカッコいい。でも「将来の展望とかビジョンとか、正直まだ分からんわ…」なんていう人がぼくも含めて大多数な気がするし、それが当たり前だとも思う。

その人の悩みに番組のホストの方は「今は消去法で選び取っていくフェーズなんじゃないか」と返していた。ぼくにも現時点で「強いて言えばこれが向いてそう」とか「これは気になるかも」みたいな薄っぺらい勘だったらあったりする。その中から試しに選んでやってみて、やっぱり違うかなと思ったら、またその時考えてみようくらいの向き合い方でもいいのかもしれない。それを10年、20年続けた先で自分に合った生き方が出来上がっている可能性だって十分あるだろう。

このやり方、なんだかデッサンみたいでぼくはちょっと気に入っている。きっと何をするにも時間がかかってしまうぼくには、一筆で思い切り描くよりも何本も線を重ねていくやり方が合っている気がする。その第一歩として就活をやってみるというのは良いかもしれないと考えると、少しだけ気持ちが軽くなった。



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