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日本の官僚は優秀ではなかった

新型コロナが証明した日本の実態 その2

2020年初めから徐々に世界中で騒ぎが大きくなった新型コロナ感染。
右往左往する中で専門家や政治家たちの言っていたことを、しばらく後に答え合わせをして私にも見えてきたものがいくつかある。
ずっと前から日本の状況でモヤモヤと疑っていたことが、新型コロナを通して明らかになってきたという方がわかりやすい。
それを遠慮なく4項目の箇条書きにしよう。

 1 日本の民主主義は幻だった
 2 日本の官僚は優秀ではなかった
 3 日本は科学に基づく判断をしてこなかった
 4 日本はすでに先進国ではなかった

官僚は政権の尻拭いに忙しい

新型コロナのことを持ち出すまでもなく、モリ・カケ・サクラ問題だけでも十分だろうが、日本の官僚さんたちはいつからこんなに愚かになってしまったんだろう。
中にはきっと、心から国を憂い心身ともに消耗している人は相当に存在することだろうとは想像するのだが、官僚さんたちっていうのは役職が上がれば上がるほど、国民にとっては役に立たない人に成っているようにしか見えないのが悲しい。

昔から「ヒラメになるな」という言葉をよく聞いた。上ばかり見てるんじゃない、と。
しかし、若い頃から勉学優秀で上を上を目指すように教えられてきたのか、みんなヒラメになってしまっているんだろう。
そして失敗などしたことない人ばかりがその地位にいるのか、失敗は絶対にしないことが「優秀」の定義なのかもしれない。
だからだろう、前例がないことはからっきし苦手なようだ。
答えを出すための判断基準の在りどころが、どうも最初から間違っているのではないか?
「国民の命や感情は考慮するに能わず」と、どこかに明記されているのか?
「政治家や役人の責任にならぬよう」と、どこかに明記されているのかな?

本当に必要だった人がどれほどいたのだろう「アベノマスク」の発想など、私にはどんなに頭を捻っても浮かんでこないし、なるほどとも思わない。
どこかのお偉い官僚の提案だと聞いたが、私に400億円の使い途を任されたら、取り扱った中間業者だけが喜ぶような器用な真似はできなかったろう。流石に彼らは頭がいいのだろうな。

補助金を騙し取ったという霞が関の人までが現れては、いよいよ評判が悪い。
優秀であったはずなのに、何故に彼らは年々そう思ってもらえなくなってしまったのだろう。
きっと彼らは間違いなく過去の価値に基づけば優秀に違いない。
彼らは何に対して優秀で、その答えを何のために誰のために導き出すかを間違って教えてもらったのかも知れないと、優秀でない私には気の毒になる。
きっとこれからは新しい価値観のもとで優秀な人たちが必要で、古い価値観のもとで優秀だった人たちには重要なポストから退場願ったほうが良い。前のオリンピック組織委員会の会長さんがそうであったように。

勉強

判断することと責任

過去の東大卒の若者の多くは官僚になって国のために尽くしたいと、夢や希望や生きがいを持っていたらしい。受験勉強とはそんな夢のためにあったのかもしれない。
しかし、実際の受験勉強とは必ず正解のある問題を解くことが全てのように存在したのだろう。もしくは「間違いではない」ことが重要なのだろうか。

私はこれまで、学生の頃や仕事で「間違ったなあ」ということはいくつもあった。
そして教えられてきたのは、間違ったらすぐにやり直すことだ。
どうやら優秀な人たちは間違いを許されないのだと思う。彼らは常に正しいのだ。きっと望む結果が出なければ従わないやつがいるからだ、ということになるのだろう。
私のようにどこにでもいる者は度々間違いを犯す。だから間違いも認めるし、やり直したり別の方法を試すことを知っている。

自分が与えられた立場に求められる役目が「判断」することであれば、結果には「責任」が伴う。
その「責任」を常に拒否していては何も「判断」できない。
過去の事例から正解のないことはなかなか正しく判断できないし、間違えるかも知れない。それを嫌がって本質には触れず小手先で済ませようとする。
そんな政治家がトップに立って、官僚を指示している。

失敗する勇気

日本には元来から「失敗して良い」という考えはほとんどないようだ。
であれば誰も挑戦などできない。
私の経験から見ると、失敗が人を育てるとしか思えないのだが、日本の常識は違うようだ。
私は若い頃の仕事先で、「今のうちにいっぱい失敗しろ」と教えられた。
それをカバーできる先輩がいるうちにできるだけたくさんの失敗をしろと。
その次はお前がカバーする番だと。

自分で判断して決定することができない。
責任を取りたくない。
だけどどうだろう。
この1年以上に渡る新型コロナ感染への対応が間違っていた場合、その対応を判断した人は命まで取られるだろうか?
私はそうは思わない。
判断に責任は伴うが、責任を回避するために判断を先延ばしにしたり、目先のことしか考えないで判断することのほうが遥かに罪は重い。

日本の学校教育は判断することを教えない。
過去のことから正解を探し出すようなことばかりが大切な教育だ。
現在の受験システムが作り出す優秀な人は、もしかすると未来のためには何の役にも立たない可能性がある。

私たちは現在の失敗を許されない官僚の方たちが、今のままでは今後の日本のためにせっかくの優秀さが上滑りするかもしれないという視点に立って、日本の未来を探る必要がある。
勇気を持って失敗できる人こそ価値がある。
失敗した人が素直にそれを認めて次に進もうとする時は、それを許す国民でありたいと、私は考えている。

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