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勝負に対する選択~価値観の違い その2

勝負の選択の比較

2022年8月17日神宮球場の夜。
またも同じ結果を見ることとなった。
ヤクルト-阪神戦での一幕は前回と同じ「勝負」に対する価値観の相違を見せつけられた。
8月に入っていよいよタイガースの戦いぶりは相手のタイムリーエラーでもない限り得点できる雰囲気はない。先発投手はさぞ辛いことだろうと想像できる。
「1点でも先制されれば負けがほぼ決定する=先発投手は負け投手になる」と私は確信している。しかも前の試合まで相手は確か7試合連続で左投手の先発で7連敗。で、この日も相手は左投手。新型コロナの陽性で主力の野手を3人欠いているとは言え、これが現状。
タイガースの先発投手の心理はいつも以上に慎重に、甘いコースには禁物だという意識になろうというもの。精神的な疲労はいつも以上であろう。
そんな時こそベンチの采配での勝負の選択が何より投手を助けることになると私は考えている。

3回表、タイガースの攻撃は2死3塁の状況を作っていた。
次の打者は4番ロハスジュニア、5番原口、6番佐藤輝。
この時、ヤクルトの投手は「勝負」しながら4番5番には明らかなボールとギリギリのストライクを投じ、結局は2人共四球で歩かせて満塁。甘いところには絶対に投げないという意識がミエミエだ。
これはベンチの指示だろう。私の頭の中と同じ勝負の仕方をしている。佐藤輝君には悪いが、たとえ満塁にしても現在は佐藤君との勝負のほうが失点の可能性は間違いなく低い。
案の定、佐藤くんは2球目の甘いストレートを内野に打ち上げて終わった。
そしてここまでは私もテレビ画面をときどき観ていた。

勝負の価値観

私が席を外してしばらく後に戻ると、「村神様のホームランでヤクルトに点が入った」と家族が言う。
「残念だろうけどこの試合も終わったね」というのが私の感想だった。
その後は試合を観ることなく過ごし、夜遅くなって試合結果を少し詳しくニュース記事とスコアで確認した。
結果はいうまでもなくヤクルトの勝ち。

3回裏のヤクルトは2死1,3塁として村神様の打席となった。
そして甘く入った2球目のストレートがライト席に消えていった、そうだ。
この3点でタイガースの負けは決定した。
タイガースのベンチでは「敬遠」の意識も指示もなかったのだろう。
これがタイガースの「勝負の選択」だったに違いない。バッテリーが自分たちから敬遠を選択することはないはずだ。ベンチからその指示がない限りはギリギリを突いて凌ぐことになる。
結局はストレートが甘くに行った。
打たれたバッテリーの責任となるのだろう。

直前に、ヤクルトが2人を歩かせて満塁にしてでも佐藤君との勝負を選択したのとは大きな差がある。
1点を防いで勝ちにこだわらなければいけないのはどっちのチームなのかわからない。
6回には佐藤君の2点本塁打があったそうだが、すでに勝負は決していて後の祭り。
打者選手個々の調子も上がらず、コロナで主力を欠いていても、うちにはいい投手が揃っているのだからと、タイガースは横綱相撲をとっているかのような試合運びで負け続けている。

タイガースの伊藤投手が村神様に本塁打を打たれたことは、私にはベンチの責任にしか見えない。
たとえ神様を敬遠して次の中村選手に打たれたとしても、勝ちに拘るならその選択が間違っていたとは私には考えられない。
「伊藤投手にはここで勝負して成長してほしかった」というコメントをベンチは用意しているのだろうか?
ヤクルトとタイガースの順位の差は、この日の「勝負の選択」に現れているように見える。

果たして野村さんの弟子を自認しているらしい両チームの監督の試合ぶりを、野村さんは天国からどんなボヤキとともに観ていることだろう。

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