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コロナ感染で甲子園辞退 理由の違和感

コロナ感染は罪ではない

2021年、夏の甲子園大会で選手たちにコロナ感染の陽性者が見つかり、2校がそれ以降の試合を辞退することになった。

1校は選手の陽性者が13人、濃厚接触者が8人ということで出場選手を揃えることも難しいことだろう。
一方、もう1校は選手の1人が陽性で、濃厚接触者は4人とのことだった。
大会本部にも両校にも様々な事情があったのだろうが、結果は2校ともが「辞退」という申し出をして大会本部はそれを認めた形になった。
大会本部はこれで自分の責任を免れた。

素人判断でも1校目はやむを得まいと思えるものの、2校目は何か違和感。
2校目の学校関係者は以下のような説明で辞退の理由としたようだ。実際の言葉は若干違うかも知れない。
「2回戦に進むと、感染者や濃厚接触者が特定されることから、生徒の将来に影響を及ぼす可能性があるため、やむを得ず判断した」

この説明を聞いて納得いく人がどれほどいるのだろう。
感染した生徒はまるで犯罪者であるかのような口ぶりではないか?
その生徒は何か悪いことでもしたのだろうか?
チームが出場しなければ特定されないとも思えない。いずれはポロポロと何処かから漏れてしまうのを止めるのも難しい。生徒を悪者にするから余計なことを思いつくだけだ。

これは神宮

※ 上の画像は神宮球場

大人の事情

この辞退の理由はどうにも「大人の事情」以外に考えにくい。
たとえ自分が出場できなくても、仲間の選手たちにはぜひ力を尽くして試合をして欲しいと考えるのが、感染した生徒の心理だと私は思う。

「感染者や濃厚接触者が特定される」ということが本当の理由だとして、もしも私がその生徒だとしたら「それは自分です」と手を上げてチームには出場してもらう方が遥かに気が楽に違いない。
むしろ「次の試合に君は出られないけど、残った全員で勝ってくるからな」と話してあげることがその生徒を最も勇気づけることになると私は思う。

釈然としない理由で、その生徒は自分の責任ではない「罪」を背負わされたようなものだ。
しかもこのままではその生徒にとっては何も解決せず、「冤罪」を押し付けられたまま将来と向き合うしかない。

自分たちが悪者になりたくないという学校関係者の「大人の事情」で、将来のある生徒に罪を着せるのはもう勘弁して欲しい。政治家だけでなく、ここにも責任を取ろうとしない大人がいた。
生徒の将来を考えた時、「君のことは自分たちが責任を持って守る」と言えない大人なのだろう。
何が大切かを大人としてもっと真剣に学んだほうが良い。
野球には犠牲バントという格好の例がある。
自分を犠牲にして局面を好転させる戦術だ。

部外者の私は考える。
会見の場では「陽性になった生徒は将来のためにもしっかりと療養させます。感染予防を更に徹底して、次の試合は出場可能な選手たちで最高の試合にします。」

生徒たちを守ってやるためにも、こういうセリフを私は聞きたかった。

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