直視する大切さ

こんばんは。

何か面白くない事が起きた時、『何故なのだろうか?』と、考えた事は

有りませんか?

実は、”考えた先にある事”は、本当の答えでは無いのかも知れません。

考えている。と言う時、人は、本当の本音から考えていない時が有るか

らです。


例えば、財布を無くしたとします。

先ずは、今、居た部屋を探すものでしょう。

しかし無い。となった時、人はいつも通りの思考を試し始めます。

ルートとしては、『ここに置いたはず→ここに置いたはず…』と、思い

つく限りのルートと言うよりも、

(何となく、ここら辺かな)と言う場所を頼りに探し始めます。

しかし、思いも寄らない場所にある。というとき、

全く違う場所を探した方が探しやすいと言えます。


この時。おわかりでしょうか???

『本当に・財布のある場所」こそが、本音の在り処と同じなのです。

実際に、現物がある場所ではなく、自分の当たらない可能性の高い勘を

頼りにしてしまいます。


本音や、本当の答えと言うのも、往往にして。

この様な『時空間の場所』に、転がっていたりするものです。


考えていない時に、答えが見つかりやすいと言われる所以は、ここに有

ります。


一つの訓練として、

コンビニやスーパーに行った時に、アイスの冷凍ケースを覗いて見て下

さい。

ケースの中で、一番食べたいと”見て”思うのは、どのアイスですか?


例えば、チョコが好きだと自負する人ならば、

「チョコソースがけのアイス」を、何と無くで選ぶかも知れませんし、

ミントが好きな人ならば、「チョコチップミント」を選び易いものかも

知れません。

しかし、『もしかしたなら???…』と、自分の『目』を疑って見て下

さい。

目と連動して、身体のどこの部分がチョコやミントを求めています

か???


その所在地と、自分の感覚的な直感や勘の側面をよく並べて、重ね合わ

せて、比べてみてください。


その時、言葉やイメージを使うのも手です。

(よく考える…と言うよりも)

自分が一番、自分らしい自分がいそうだな。その頃の自分の記憶が宿っ

ていそうだな。

と言う部分を、身体の中からランダムに選んでみます。


その部分に手を当てたり、頭の中でストリームの方向性をエネルギーの

矢の様に向けながら、

「(本当は)何を食べたい?」

と、聞いてみるのです。


すると、例えば、

「ハートから、『●●が食べたい』」と言う声が聞こえたりとか、

眼に映るアイスの中で、『より際立ったアイス』や、

『何故かめちゃめちゃ気になるアイス』などが、目に映ってきたりします。


この時、ただ何となく。よりも、

この人つの流れの中で注意を注いだもの(アイス)や、

もっと慣れてくると、目に映っただけで、「これかな???」と、

直感的に分かってきたりします。


その時、「その返事」を返す主を、実はとても直視しづらかったりする

のですが、よく。見つめて(あげて)みて下さい。

イメージの中で、どんな自分がいますか?


ここで、「考えた時に、本音の自分がいない可能性がある」の、考え方

が。

うまく生きてくるのです。


その自分の姿形によっては、質問を変えたり、

話したいと伝えてくることを、たくさん聞いてあげたり、注意を払って

あげなければならなくなるかも知れません。


(その時は、アイスは考えて食べたいと思うものをとりあえず選んで、

アイスを自宅で食べながら話を聞いてあげて下さい。)


すると、色んな会話が展開されて行きます…。

アイスのはずが、深い話になったり、

荒唐無稽な話になることもあるでしょう。

結果、次に行く時は、アイスではなく、

ホッチキスを買うハメになるかも知れませんし(^^)、

食べ物を食べに行くのではなく、山登りに行きたくなるかも知れませ

ん。

半信半疑かも知れません。でも、、、

その結果。その先には。思いもかけない”セレンディピティ”が待ってい

る事が多々あります!

※pointとして、『そこにいる自分』は、どんな雰囲気ですか?

もしかしたならば、自分と会話しているつもりが、

意識フィールドにいる、『全く別人格の存在』と話している様な雰囲気

を感じる事もあるでしょう。

その時は、あまりにも手に負えない時は、

冷水浴やサウナ、もしくは、カラオケに行ってその声の主を発散した

り、山登りや、沢のせせらぎを聞きに行くとか、、、

より、「澄んだ状態」を、内面に醸成出来る何かを、是非、外側から取

り入れて下さい。


きっと、もっと自分らしい自分と、平和に話をしながら寛いで色んな選

択が出来る様になります。


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