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バトントワリングから学んだ人生の教訓

みなさん、こんにちは〜!Saoriです。先日、前からずっと気になっていた街の食器屋さんに行ってみました。木からできたバリっぽいコースターを購入。観光客はあんまり訪れそうにないこういう隠れた地元スポットでの買い物にウキウキしてとっても楽しかったです。身近にある小さな幸せ、いっぱい感じていきたいですね〜

私は8年勤めた公務員を辞め、インドネシアのバリ島で生活しているアラサー女子、Saoriです。私についての簡単な自己紹介はこちらから!


8歳から10年間続けたバトントワリング

小学2年生、地元のクラブチームで始めたバトントワリング。毎週土曜日の練習が楽しくて仕方なかった。中学受験をすることになり、中学からは学校の部活動としてバトントワリングを続けようとバトン部がある都内の中高一貫の女子校へ入学しました。
部活動として始めたバトンは、楽しいよりもまさに社会勉強。なぜなら先輩後輩との上下関係が第一にあったからです。それと、団体演技では全員同じスキルの向上が求められる。協調性やチーム全体のスキルアップのためにどうすべきか、先輩後輩との関係性、大会での緊張感、全国大会出場を目標に奮闘した毎日はまさに青春な学生時代でした。

今も心に残る先輩の言葉

高校1年の夏、とある大会で思うような結果が出せなかった私たち。全国大会出場に向けた大会目前の大会でこのレベルじゃ目標を達成できないんじゃないか、という焦りと不安の雰囲気に包まれている中、現役を引退し大会を見にきてくれた1人の先輩が私たちにこうアドバイスをしました。
"練習してから本番の臨もうとすると緊張して失敗する。だから練習を毎回を本番だと思って練習すれば、本番でいい結果が出せるよ。"

中途半端な努力では悔し涙は出ない

私たちは中学3年、高校1年の頃に2年連続で全国大会に出場することができました。そして高校2年、引退最後の年。私はバトン部の部長として全国大会出場を目指しました。作品の中盤で任された大技(バトンを高く投げ、側転をしてキャッチする大技)がありました。私はその技が思うようにできるようになりませんでした。自分に任された大技を成功させなければいけないプレッシャーとできない悔しさ、チームの作品の完成度を上げるためにやるべき全体練習、大技の練習で負ってしまった利き手の靱帯損傷、怪我の痛みから次第に大技の練習を避けるようになりました。練習時間の確保ができないことを、全体練習の時間が必要だからと自分に言い聞かせ、理由を作っていたんです。

全国大会出場がかかる関東大会。私は任された大技を成功させることができないとなんとなく分かっていました。その時点での技の成功率は30~40%くらいだったと思います。結局、失敗しました。もう気持ちで負けていました。そして、全国大会に出場へ進むことはできませんでした。大会の後のバスの中で、みんな悔しくて泣いていました。でも私は、泣けなかったんです。自分が失敗することを最初からなんとなくわかっていたけど、悔しさはあった。でもその時は自分がなんで泣けないのかよくわかりませんでした。

全国大会出場の夢が途絶えた後の部活動は、プレッシャーの解放からかみんな力が抜け、練習時間はおしゃべりする時間が増えました。でも引退までに最後に1つ大会が残っていました。正直、その最後の大会の結果は何も反映されません。でも私は、最後の大会こそ関東大会で失敗した大技を成功させようと決めました。そこから、自分の練習に多く時間を使い何度も何度も練習しました。

そして最後の大会。絶対に成功させたかった大技を失敗しました。演技が終わった後、顔も衣装もグシャグシャになるくらい大泣きしました。その時思ったんです。人間は、中途半端な努力では悔し涙は流せないんだと。関東大会までにここまでの努力ができなかったことの悔しさと他の仲間たちへの申し訳なさが涙になって一気に溢れてきました。私は、理由をつけて自分の向き合うべき課題から逃げていた。並大抵な努力では夢は叶えられないということを学んだのです。

楽しいから始めたバトントワリングから人生の教訓を学べたことは、私の人生の財産です。みんなで汗を流して何回も練習した時間はかけがえのない青春でした。

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