「盛り」

あとがきと序説しかまだ読んでいませんが、『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』がめちゃくちゃおもしろいです。なぜ、女の子たちは「盛り」をするか。その構造的背景が書かれている本です。

無個性の中の個性をいかに作り出しているか、コミュニティによる美意識が、ある種の共通性を維持しながら、自然発生的に生まれ、変化していきます。それは、コミュニティの中で、コミュニケーションツールによって共有されています。変化する「イケてる」格好が、暗号のように、内と外を緩やかに分けているのです。

コミュニケーション技術と撮影装置(カメラ、加工技術)と生身を「加工」する化粧ツールと、この3つをシンデレラテクノロジーと著者は呼んでいます。美しいドレスとしての外見の映えと、カボチャの馬車に乗っていくように、コミュニケーションツールで届けることと。シンデレラテクノロジー、なるほどね笑

このように、ナチュラルなビジュアルに執着しない日本の女の子たちが、バーチャルな空間上のビジュアルを、所属するコミュニティに従って、相対的に作る行動が「盛り」である。「盛り」はコミュニティとの関係の中で行われるものである。「コミュニティで作る個性」というのも、コミュニティの規範を守りながら、その枠内で個性を出すこととしている。

逆に、江戸時代以前の女の子は、目を「大きく」ではなくて「細く」見せることを目指していたと考えられる。歴史学者の陶智子氏の『江戸美人の化粧術』によれば、江戸時代の化粧書『都風俗化粧伝』では、目が「あまり大きすぎるのは見苦しい」とし、「大き過ぎる目の化粧法」として、目を細く見せるための方法が解説されているというのだ。

江戸以前の白粉、白い化粧で加工しやすい細目を、西洋からアイシャドウが入り、黒い化粧で加工しやすい大きい目を目指されました。道具をうまく使いこなすことが評価されていたのでは?と著者は書いています。。

アイドルの顔が同じに見える、というのも、もしかしたらそういうことなのかもしれない。同じ型の中で、細部の違いに個性が現れる。そして、それは、アイドルのコミュニティには伝わる「暗号」のようなものなのかもしれない。

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