「胸(ムニ)」と「肝(チム)」の違い、の話。

沖縄の現代版組踊『肝高(きむたか)の阿麻和利』のために作られながら、いつの間にか応援歌として日本全体に広まっている曲『ダイナミック琉球』。

その歌詞の中で、「心」と言う意味で2つの言葉が出て来ます。「胸(ムニ)」と「肝(チム)」です。

心はどこにある?

これは両方、「口説(くどぅち)」と称されるラップ?の部分です。

南(ぱい)ぬ風(かじ)吹く
うりずんぬぐとぅに
胸(むに)ぬ想(うむ)いゆ
語てぃ話さな
海ん渡りてぃ
島ん巡(みぐ)りてぃ
我(わ)したにせたの
肝(ちむ)やドンドン

私にとって馴染み深い言葉は「肝(チム)」です。
胸がドキドキ、は肝ドンドン。
胸が痛い、は肝グリサン。子供の頃はウチナーヤマトゥグチで「可哀想、(他人が)辛い」を「ちむい」と言っていました。

「胸(ムニ)」はほとんど使った事がなければ聞いた事もなかったので、ヤマトゥグチを沖縄っぽく言い換えただけなのかな?と思っていました。

感情の源の違い

私よりウチナーグチに詳しい母に訊いてみると、「胸ぬ想い」とお年寄りが言っていたのは聞いた事があるそうです。
それでも、「胸」と「肝」は意味が違うのではないかとの事。

ヤマトゥグチでは主に心は「胸」にあるものだとされていますが、「肝が据わっている」「肝が冷える」などの言い方もありますよね。
ウチナーグチでは主に「肝」を使いますが、それはヤマトゥグチの「胸」とは違うような、もっと体の芯から湧き上がる想いのような……。

母によると、「胸」は頭で思考するものであり、「肝」は体全体から自然に湧き上がって来るものではないかと言う事でした。
これなら納得出来ます。

感情が生まれる場所の違い

一般的に、感情は「心」から生まれて来るものだとされています。ですが、ウチナーグチでは少し違うのです。

頭で考え、それを想いとして語る事。その想いの源が「胸(ムニ)」。
そして、体の奥底から自然と湧き上がって心身共にみなぎる想いの源は「肝(チム)」なのではないでしょうか。

感じて考えた事、感情、全ての源を「心」だと思っていたから私は『ダイナミック琉球』の歌詞を不思議に感じていたのでしょう。
理屈で表せる想いと、理屈など全く関係ない想いを、ウチナーンチュは使い分けていたのだと改めて知る事が出来ました。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。

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